【現地レポート】宮城県丸森町、被災者寄り添い 支援続ける萬ちゃん

台風19号で被災した宮城県丸森町では、自分が過去に被災した経験を踏まえてボランティアに取り組む人たちに出会いました。東日本大震災の体験を胸に、支援に取り組む萬代(ばんだい)好伸さん(56)もその一人。被災地では「萬ちゃん」と呼ばれて多くの人に親しまれ、被災者の心に寄り添うことを身上にしています。

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被災した畑で住民と話す萬代好伸さん(右)

丸森町の山間部、筆甫(ひっぽ)地区。ところどころ雪が残る土の上に、小石や岩が転がっています。台風19号の大雨がもともと畑だった場所に無造作な川をつくり、太陽の光をはね返しています。

「畑の水路に土砂が入って埋もれちまった。そんで畑の真ん中に川ができちまって」。萬代さんは畑の隣に住む男性(87)の話を、「うん、うん」と聞きます。男性の顔をじっと見つめ、ゆっくりと次の言葉を待ちました。「だから、あんたのところで直してほしくて」

萬代さんはうなずきました。「今から畑をやって生きがいにして。身体を動かせるようにしねえど」。男性の背中に手を添え、水路の土砂を取り除くことを約束すると、男性はほほえみました。

一人一人と何度も顔を合わせて言葉を交わすのが萬代さんの「作法」です。この日の午前中は家の周辺が被災した2世帯を訪ね、雑談も交えながら困りごとがないかを聞きました。

萬代さんは一般社団法人OPEN JAPANの業務委託スタッフで「緊急支援重機担当」を務めています。東日本大震災で被災経験を話す「語り部」としても活動しており、全国に出向いて被災した経験を伝えるほか、災害時は重機を扱ったり、被災者と直接会って地域のニーズを調べる活動をしてきました。

写真:重機を使って家屋の裏に崩れた土砂を撤去する萬代さん(一般社団法人OPEN JAPAN提供)
丸森町で家屋の裏に崩れた土砂を撤去する萬代さん(一般社団法人OPEN JAPAN提供)

今回の台風19号では、被災から2日後の14日に現地入り。重機を使って家屋や道路など50カ所以上の作業に関わりました。

被災地に入り続ける理由を、「ボランティアが被災者を勇気づける姿を見てきたから」と話します。

東日本大震災が転機に

同県石巻市で生まれ育った萬代さん。9年前は紙の原料製造会社に勤めていました。2011年3月11日、市内で車に乗っていたところを津波に遭遇。あと一歩遅かったら水にのまれるところをギリギリで車で逃げました。自身や家族は無事でした。でも、多くの友人、知人を失いました。被災後に勤務先は解雇になりました。

写真:東日本大震災で被災した港であった漁業支援の様子(2011年8月、石巻市、萬代さん提供)
被災した港の復興支援活動の様子(2011年8月、石巻市、萬代さん提供)

被災した石巻市には多くのボランティアが訪れました。萬代さんはボランティアを送迎するバスの運転手を務めるようになりました。

6月、被災した港を復興する活動がありました。浮きやロープなどの漁具をがれきの中から探して漁師に届けるのがこの日の活動。大切な家も船も流され、漁師を続けることを諦めている人は少なくありませんでした。

約100人のボランティアが作業にあたり、がれきの中から見つけた漁具約200個を漁師に届けました。自分の屋号がかかった浮きを手にした漁師たち。「お前らどうしてここまでやってくれるんだ」と口々に言いました。

すると、ボランティアの一人が言いました。「また、ここの牡蠣を食べたいんです」。その言葉に漁師は目を輝かせて「ここでもう一度、牡蠣の養殖をする。2年待ってろ」と応じたのです。

そのやりとりを見た萬代さんは「助け合うことで、人は立ち直ることができる」と感じました。「被災して失ったから諦めるのではなくて、少しの希望が見えることで、もう一度やり直そうと思えるんだ」。そのためにはボランティアによる力が必要不可欠だと感じました。

支援に迷う男性 説得した

それ以来、災害が起きるたびに被災地に駆けつけるようになりました。元々重機が扱えることから、現場では重宝されました。でも、ボランティアだからといって、すべての被災者が快く受け入れてくれるとは限りません。なかには申し訳ないという思いや、つらい気持ちが整理できずに、支援を拒む人もいます。

写真:西日本豪雨の被災地・愛媛県西予市で、土砂でできた斜面の上で重機を操作する萬代さん(2018年10月、萬代さん提供)
西日本豪雨の被災地・愛媛県西予市で重機を操作する萬代さん(2018年10月、萬代さん提供)

2018年にあった西日本豪雨で、被災した愛媛県西予市で出会った高齢の男性も当初は支援を拒みました。

山間部にあった家の裏山が豪雨で崩れ、家と山の間を土砂が埋めていました。当初は「ボランティアが熱中症で倒れたらいけない」と手助けを断り、「自分で片付ける」と言い張っていました。

しかし、男性には病気で入院し、余命宣告を受けている妻がいました。萬代さんは「重機を使って安全に作業するから大丈夫。土砂は俺たちに任せて、少しでもお母さんのそばにいてあげて」と声を掛け、頼ることに迷いがあった男性を説得しました。男性は支援を受け入れることを決めました。

心を閉ざす相手に対して、どう接すれば受け入れてもらえるのか――。萬代さんは常に被災者の心に寄り添い、何を望んでいるのか考えてきました。「何度も変化を繰り返す住民さんの心に寄り添うことが、一番大切です」

写真:丸森町で重機を背に、作業服姿で住民と話す萬代さん(左)(OPEN JAPAN提供)
丸森町で住民と話す萬代さん(左)(2019年11月、OPEN JAPAN提供)

将来の支え手、増やす必要性

被災地での活動を通じて、萬代さんがいま感じているのは、災害支援のノウハウを受け継ぐ人材の必要性です。ボランティアに来る学生がいても、泥出しなどの作業に終始してしまいがちです。現場で被災者の心に触れ、どんなニーズがあるのか自ら考えることが将来の支え手を増やすことにつながると考えています。今回の台風19号でも、OPEN JAPANをはじめ、現場のニーズに応じて活動してきた支援団体が力を発揮しました。

写真:ボランティア向けの重機講習会で重機の操作を教える萬代さん。萬代さんが重機に乗る様子を、複数のボランティアが見ています(OPEN JAPAN提供)
ボランティア向けの重機講習会で重機の操作を教える萬代さん(2019年6月、OPEN JAPAN提供)

「町の災害復興の過程を知っている人を増やすことが重要です。私たちのようにチームとして支援をしてきた経験を若い世代に受け継いでもらいたい。そして、つらい思いをした人のために何ができるのか、常に考えて行動することが被災者の心のレスキューにつながります」

萬代さんはこれからも丸森町での支援を続けます。

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丸森町の住民と話す萬代さん(左)(萬代さん提供)

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