【現地レポート】熊本消防元大隊長に聞く、令和2年7月豪雨
※日本財団は熊本県球磨村からの要請を受けて、重機作業を中心とするボランティア部隊を派遣しました。
本レポートは、ボランティアの一員として参加した当財団職員が執筆しました。
球磨村で一緒に活動させて頂いた、熊本消防の大隊長を勤められた渡邊英典さんにお話を伺いました。被災直後から人吉市や球磨村に入られ、車中泊を続けながら毎日活動をされています。
Q.発災直後はどのように動かれたのですか?
翌日の5日朝に人吉市へ車で入りました。人吉市の繁華街も水が引いておらず通行止めだらけ。住民の方もまばらにいらっしゃいました。球磨村の方が大変な状態のようという情報は入ってきたけれど、通行止めで行くこともできないので10日くらいまでは青井阿蘇神社の近くの活動。10日ころに球磨村まで行き、渡まで行ったけれど、人吉とは比べ物にならないくらいの状態でした。ゴジラかなんか通ったんじゃないか、災害派遣で行った東北の津波災害のような。渡ベースで2週間弱活動し神瀬に入りました。土砂崩れが酷く、九州北部豪雨以上の被害状況だと感じました。
Q.コロナウイルスの感染拡大は影響していると思われますか?
県知事からボランティアは県内に限定されるとの発言を受けました。しかし、せめて技術系(重機を伴う)のボランティアは県外から来てもらわないと復旧作業ができないと訴えて、なんとか県外から入って来てもらいました。県外の技術ボランティアが来なかったらお手上げだったと思います。
でもコロナがなければもっと復旧が進んでいると思うと歯がゆくて・・・益城町の時は消防も福岡県や鹿児島県、宮崎県などから大挙して来てくれましたので。
Q.県外の人に今伝えたいことはありますか?
住民の方々とだけで片付け作業をしていた際、作業の途中で住民さんが突然しゃがみ込まれたんです。その辺りの石に、泥だらけの姿で座り込んで、うなだれて。そんな姿を見たらたまらん、声もかけられませんでした。今まで一度も見たことがなかった光景でした。
被災した直後からずっとずっと続く片付け。命からがらやっとの思いで助かった人が自分達の片付けで倒れて死んでしまったら、せっかく助かった命が本当にたまりません。
さいごに
渡邊さんがぽつりと、「コロナを自分が持ち込んだらって思う人が多いのはわかります。2週間隔離してから現地に入るなど出来ないこともないけれど、そこまで思う人・やれる人は少ないのでしょう」とおっしゃっていました。この言葉を聞いて、「お金がある人はコンビニでお金をちゃりんと募金すれば良い、知恵がある人は知恵を。私はどちらもないから体を提供しているんだ」とおっしゃった重機ボランティアの方が頭に浮かびました。
すぐに行くことはできない被災地ですが、自分に何かできることはないか想像力を働かせることが大きな一歩になるのではないでしょうか。
日本財団 総務部 林美彩