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産むことだけが選択肢じゃない。瀬奈じゅんさん・千田真司さん夫妻と“わが子”との出会い

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わが子を抱く千田真司さんと瀬奈じゅんさん
この記事のPOINT!
  • 特別養子縁組という選択肢が、不妊治療に苦しみ、心身ともに疲れきった夫妻を救った
  • 特別養子縁組は子どものための制度。だけど親になりたい“大人を救う”制度でもあると実感
  • 瀬奈じゅんさんと千田真司さん夫妻は、いろんな家族の形が当たり前となる世の中を目指している

取材:日本財団ジャーナル編集部

「特別養子縁組制度」をご存知だろうか。何らかの理由で実親と暮らすことが難しい6歳未満の子どもと、子どもが欲しい別の夫婦を縁組して戸籍上の親子とし、子どもが安定した家庭環境で育つことができるように定められた「子どものため」の制度だ。先日、法制審議会(法務省の諮問機関)で子どもの対象年齢を15歳未満に引き上げる改正案が取りまとめられ話題となったことも記憶に新しい。

2018年2月に、そんな特別養子縁組を通して小さな家族が増えたことを、元宝塚歌劇団月組トップスターで現在女優として活躍する瀬奈(せな)じゅんさんと、舞台俳優として活躍する千田真司(せんだ・しんじ)さん夫妻が公に発表した。そこに至るまでにはどのような背景があったのだろう。特別養子縁組制度で子どもを授かるまでの経緯と、わが子を授かったことで生まれた想いについて、2人に語っていただいた。

苦しい不妊治療の中に差した、一筋の光明

特別養子縁組を提案したのは、夫の千田さんだったという。当時を振り返りながら瀬奈さんはこう語る。

「不妊治療を1年半行い、心身ともにボロボロだった頃でした。苦しむ私をそばで見ていた主人が、特別養子縁組という選択肢もあるよ、と提案してくれたんです」

千田さんはチャイルドマインダー(保育者)の資格を持っている。資格取得の勉強を進める中で、特別養子縁組制度を知ったそうだ。

「肉体的、精神的に追い詰められている妻の姿を見ているうちに、血の繋がりにこだわる必要はあるのだろうかと思うようになって。特別養子縁組制度を妻に提案したんです」と千田さん。

とは言え、不妊治療は2人の子どもを望んでいたからこそ始めたこと。そんな中での特別養子縁組の提案に、当初瀬奈さんは戸惑いを感じたという。しかし心から信頼している夫が言うのであればと、制度について調べてみることに。

「調べる中でまず、施設で育つ子どもの多さに驚きました。世の中には家族と暮らせない子どもが本当に大勢いるんですよ」

日本には、生みの親と暮らせずにいる子どもが約4万5,000人いる。そのうち8割以上の子どもが、施設での生活を余儀なくされていることはあまり知られていない。そんな現実を知り、瀬奈さんは徐々に特別養子縁組も選択肢の一つとして考えるようになる。

写真:親の人差し指を握る乳幼児の手
特に特別養子縁組の対象となる乳幼児期は愛着関係の基礎を作る時期のため、子どもが安定した家庭で養育されることが重要となる

不妊治療をやめるきっかけとなったのは、友人から懐妊の報告を受けたことだった。

「友人が不妊治療をがんばっていることを以前から知っていたので、本当に心からうれしかったんですよ。だけどふと、このまま不妊治療を続けていくうちに、こういう大切な人の喜ばしい出来事を素直に受け入れられなくなるのでは、と怖くなったんです」と、瀬奈さん。

大切な人の幸せな報告を心から祝福できるうちに、不妊治療をやめよう。そう決意した瀬奈さんは千田さんと相談し、長い不妊治療で疲れきった心と身体を癒やすため、およそ10カ月の休憩期間を取った。

その後も特別養子縁組制度を利用するか否か、悩みに悩んだ2人。「子どもは授かりもの。愛情を注いで育て、いつかは社会にお返しするものだと思っています」と話す瀬奈さんは、その責任を本当に果たせるのかと葛藤していた。

そんな彼女の背中を押したのが、「悩んだって答えは出ないんだから、やってみなよ」という、宝塚歌劇団に所属していた頃の先輩の言葉だった。

「一見すると無責任な言葉に感じられるかもしれません。だけど、このひと言が堂々巡りをしていた私の心にすとん、と落ちてきたんです。確かに、やってみなきゃわからない。前に進んでみようと」

はじめて子どもを抱いたとき、救われたのは僕だった

「決断するまでは不安もありましたが、決めてしまえばあとは“希望”ばかりでした」と、笑顔で振り返る千田さん。

「どんな子が生まれてくるのかな?名前はどうしようか?不妊治療を始めたばかりの頃には前向きに話せていたことも、時が経つにつれて話せなくなっていました。それが特別養子縁組制度で一歩踏み出そうと決めたことで、また前向きに話し合えるようになったんです」

特別養子縁組をするにあたって大切なのが、あっせん体制だ。現在日本では、病院やNPOなど23の民間団体が支援を行っている。夫妻が利用したのは、養子縁組支援協会ストークサポートだった。団体の特徴はそれぞれだが、ストークサポートの場合はサポートがきめ細やかで、待機状態に至るまでの審査がきっちりしていたそう。

「一般的に特別養子縁組制度って、審査が厳しく手続きもわずらわしいイメージがあると思います。だけど一人の命を育てることを思えばそれは当然のステップです」と千田さん。子どもを迎える覚悟のある家庭であればクリアできる課題なのに、ネガティブなイメージばかりが先行しているようだ。子どもの命に関わる以上、審査のハードルは下げられないが、「イメージを変えていく必要はある」と瀬奈さんは話す。

また夫妻にとっては、支援団体に申請してから子どもを迎えるまでの10カ月間が大事な時間になった。一歩一歩手続きをクリアすることで、家族が増えることに対する覚悟を再確認できたそう。「夫と同じ熱量とスピードで、これからやってくるわが子に対する愛情を深められたこと、親となる心の準備ができたことは、特別養子縁組制度ならではの良い点かもしれません」

では、実際にお子さんと出会ってどう感じられたのだろう?

「特別養子縁組制度は、子どものためのもの」。その言葉を参加したセミナーの中で何度も聞いていた千田さんだが、「病院ではじめてわが子を抱いたとき、結局救われたのは僕でした」と言う。特別養子縁組制度によって救われるのは、子どもだけではない。父親、母親になりたいと願いながらも子どもに恵まれなかった夫婦にとって、まさに希望なのだ。

「改めて、こんなに素晴らしい制度が認識されていないのはおかしいと思ったんです。大人や子ども、そして不妊治療から抜け出せずに苦しんでいる人のためにも、当たり前の選択肢として浸透している世の中であれば良いのに」

そんな想いから夫妻が取り組み始めたのが、特別養子縁組制度の正しい知識や情報を発信するウェブサイト「& family..(アンドファミリー)」(別ウィンドウで開く)だった。

画像イメージ:「アンドファミリー」のウェブサイト
「& family..」では千田さん、瀬奈さんが取材した特別養子縁組にまつわる記事なども展開している
 

「私たちは役者という仕事柄、『妊娠していなかったのになぜ赤ちゃんが?』と疑問に思う人がいるかもしれない。『真実告知』をする前に、子どもに間違った情報が入ることだけは避けたいと、発表することに決めました。そして、どうせ発表するのなら、私たちと同じように子どもを授かることができずに悩んでいる人の助けになるような情報を発信できればと思ったんです」と話す瀬奈さん。

またわが子が成長する頃には、養子縁組による親子関係であることに負い目を感じない世の中になってほしいと思ったこともきっかけだ。シンポジウムへの参加や専門家と話す機会も増えている。

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日本財団主催のシンポジウムで話をする瀬奈じゅんさん

目指すのは、どんな家族の形も「当たり前」な世の中

「実際に特別養子縁組制度によって子どもを授かり、公表したことで感じたのは、制度に対する世の中の理解度は思った以上に高いということです」と瀬奈さん。

ただお2人が気になったのは、「勇気のある決断をして、えらいね!」という言葉。「ありがたいのですが、特別養子縁組が『特別』ではなく当たり前な家族の形の一つとして、いつか認識してもらえるようにしたいと思いました」と語る。

また、「海外では養子縁組は一般的なのに、日本はまだまだだよね、というご意見もよくいただきました。だけど外国と日本って、そもそもの法律や文化が違うじゃないですか。だから、あまり比べすぎず、日本は日本人の気質に合った方法で、特別養子縁組を当たり前のものとして広めていけたらいいですね」と、お2人は顔を見合わせた。

お子さんとの生活を伺うと、「本当に幸せな毎日です。やらないで、と言ったことをわざとしてニヤッと笑ったり(笑)。そんなかわいいイタズラをされつつも、子育ての中で誰もが感じる喜びや苦労を、僕たちも教えてもらっています」と、やさしい表情で千田さんは話す。

最後に、母となった瀬奈さんに質問を一つ。家族とは何だと思われますか?

「『家族とは』なんて考えない、意識すらしないのが家族なんじゃないでしょうか」

そしてこう続ける。

「親がいつまでもいると思うな、なんて言葉もありますが、母である私を“いて当たり前の存在”と子どもには思っていてほしい。口にせずとも気づけば思い合っているのが家族であるはずです。言わなくてもわかってくれるなんて甘えるな、と言う人もいるかもしれませんが、甘えていいと思う。お母さんはいつでも、どんなときもここにいるよと、子どもには伝えたいですね」

辛い不妊治療をやめて、特別養子縁組制度を通して待望のわが子と出会った瀬奈さん、千田さん夫妻。もし同じように不妊治療に悩んでいる方がいるのなら、選択肢の一つとして、まずはパートナーと話をしてみてはいかがだろうか。その先には、心から愛しいと思える小さな家族との出会いが待っているかもしれない。

〈プロフィール〉

千田真司(せんだ・しんじ)

2008年に「さらば我が愛、覇王別姫」にて舞台デビュー。俳優、ダンサーとしてキャリアを積み続ける。現在はパーソナルトレーナーやダンスインストラクターとしても幅広く活動中。2018年にandfamily株式会社を立ち上げ、特別養子縁組の啓蒙活動を始める。
公式サイト「& family..(アンドファミリー)」(別ウィンドウで開く)

瀬奈じゅん(せな・じゅん)

元宝塚歌劇団月組トップスター。1992年、宝塚歌劇団に入団。舞台「この恋は雲の涯まで」でデビュー。2009年に退団した後は女優として活躍。舞台やテレビ番組、ラジオなど多方面で活動している。

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