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アスリートの社会貢献。村田諒太が語る“ネガティブ社会”の変え方

取材:日本財団ジャーナル編集部
ロンドン五輪ミドル級金メダリストで元WBA世界ミドル級王者のプロボクサー、村田諒太(むらた・りょうた)選手。2018年10月に防衛戦で敗戦を経て12月には現役続行を表明した。プロボクサーとして走り続ける一方で、たびたび福祉施設を訪問するなど、社会活動にも心を砕く村田選手が日本の社会をどう見ているのか伺った。
――昨年の12月に現役続行を表明されました。
本当は引退も考えていました。でも、いつか自分の人生を振り返ったときにどう思うかを考えたんです。あんな試合でボクシング人生終わって良かったのか。そう想像したら、いや、あれではダメだ、と思った。もう1回戦って、燃え尽きなきゃ終われない。『あしたのジョー』の最後のシーンは、ボクサーとしての理想じゃなくて現実なんです。現役続行を決めて、今はすごくハングリーになれている自分がいます。
――ボクシングにまい進する一方で、児童養護施設を訪問するなど社会活動にも心を砕かれています。
児童養護施設には継続的に通っています。きれいごとに聞こえるかもしれませんが、この子たちと会うと本当に力をもらえるんですよ。以前、幼いときに両親が自殺して、その施設で育ったという卒園生に会いました。彼女は「人生に感謝している」って言うんです。「両親とはいつか離れる、それが自分の場合は早かっただけ。この施設で育ったこと、教えてもらったことに対して感謝している」と。自分の置かれた環境に言い訳するんじゃなくて、むしろ感謝している。そんな子に会って、力にならないわけがないですよね。
――アスリートによる社会貢献活動の輪を広げる日本財団HEROsプロジェクトのアンバサダーも務めています。
この活動の一環で、少年院で講演する機会を頂きました。後日送ってくれた感想文には、僕が話した、ボクシングのデビュー戦で負けたとか、北京オリンピックには出られなかったという失敗体験に勇気づけられたという声が多くありました。自分の体験が、誰かに勇気を与え得ることを知りました。我々アスリートは、自意識が大きくなり過ぎる傾向があるんです。そのため引退後にアイデンティティの行き場がなくなってフラフラしてしまう人もいる。HEROsのようなプロジェクトに参加させてもらうと、「自分も社会の一員でいていいんだ」と、改めて自分の存在価値を見いだせるんです。社会に貢献したいという気持ちはあっても、やり方が分からないアスリートが多くいます。ですから日本財団にはもっとアスリートに社会貢献する機会を提供していただけたら有り難いです。

――今の日本の社会をどう見ていますか?
正直に言うと、あまり良い状況ではないと思っています。足を引っ張り合うネガティブ社会だなと。例えば週刊誌やネット上で誰かを批判するのもそう。原因は、人と比較することを植えつける日本の教育にあると思います。もちろん、比較することで、上に上がろうとする向上心につながるという、良い面もあります。でも、人を蹴落とすことで人より上にいようとしたり、上にいる人を自分の位置まで引きずり降ろそうとしたりする人もいます。正しい比較は何かを知ることが大事です。心の教育、「道徳」の在り方を見直すときが来たんじゃないのかなと思っています。
――今の日本社会を変えるには、どうすればよいのでしょうか。
まずは、機会を失っている子どもを、努力が効くところまで引き上げることが必要なのではないでしょうか。僕が所属するジムにも、貧困家庭で学校も行けなくて、「自分は拳に賭けるしかないんだ」という子たちが来ます。ボクシングしかないけど、我慢するという教育を受けていないから、試合に負けたりうまくいかなかったりするとすぐ逃げる。簡単に稼げると聞いて変な仕事に手を出してしまう子もいます。家庭が貧しくて学校にも行けない、そういう子たちが勉強したい、学校に行きたいと思ったときに、チャンスを支援することは今の日本に必要だと思います。その後は、本人の努力次第です。
――努力を続けるモチベーションはどのように保っていますか?
僕、いつもみんなに「勝てない」って言われるんですよ。それがかえってモチベーションになっています。オリンピックでも、「ミドル級で金メダルなんて獲れない」と言われ続け、「じゃあやってやるよ!」と奮起して金メダルを獲りました。今は、「村田がゴロフキンに勝てるわけがない」と言われますが、見てろよ!という気持ちです(笑)。また、モチベーションは一定である必要はなくて、世界チャンピオンになったらそれを守りたいという思いがモチベーション、負けたときは、次はもっと上を目指すんだ、という思いがモチベーションになる。夢に向かうということは、常に「一歩前に」という気持ちを持って、一つずつ達成していくことだと思います。ニーバーというキリスト教学者の言葉に、「神よ、変えることのできないものを受け入れる力、変えられることを変える勇気、そしてその2つを識別する知恵を私に与えてください」という有名な一節があります。つまり、今できることにベストを尽くす、「Do your best」が大事なんです。
――孤独な戦いなのではないでしょうか。
僕の場合は家族の存在が大きな力になっています。昨年の敗戦の後も、7歳の息子に発破をかけられました。「次に負けたらやめていいから、もう1回やって」って。僕が納得していないことを息子なりに感じていたのかもしれません。子どもにとって自慢の父親でいたいですし、子どもの言葉の力は大きいですね。人間は弱いものなので、向上心や野心など自分のためだけだと気持ちが折れることもある。家族や支えてくれた人々など、「誰かのために」という思いが追い風となり、推進力が増すと思うんです。
――試合のたびに強いプレッシャーがあると思います。恐怖は感じますか?
試合の前日など、恐怖を感じることはありますよ。でも恐怖とは何かというと、「正体が分からないもの」なんですよね。お化けだって、目に見えないから怖い。僕は恐怖を感じたとき、もう1人の自分「村田B」と会話して正体を見極めます。「あー、怖いな~」「何を怖がってんねん」「明日試合やんか」「殴り合うのが怖いんかい」「いや、それは怖くない」「じゃあ何に怯えてんねん」「だって、負けたらカッコ悪いやん」。…こんなふうに、自分と会話をしていると恐怖の正体が見えてきます。僕の場合は、「人にどう見られるか」に、恐怖を感じていることが分かりました。正体が分かったら、次にそれがコントロールできるかどうかを見極めます。スポーツ心理学でも、「自分がコントロールできるものだけに意識を向ける」という考え方があります。例えば、相手のプレーはどうでしょう。自分ではコントロールできませんよね。レフリーのジャッジもコントロールできない。観客の反応もコントロールできません。じゃあ自分がコントロールできるものは何か。自分のプレーですね。じゃあそれに集中しよう、という考え方です。

――コントロールできないと割り切っても、批判が耳に入ることもあるのでは。
そうですね。でも気づいたんです。人は、他人のことはすぐに忘れるんです。例えばロンドンオリンピックで日本人として48年ぶりに金メダルを獲得して、翌日は新聞の一面を飾り、帰国後はテレビに7本も出演して、どこに行っても村田、村田ともてはやされる。正直、世間の中心は僕だ、くらいに思ってしまった時期もありました。でも、あのオリンピックで金メダルを何人獲ったか、誰が獲ったか、言える人は少ないでしょう。そんなものなんですよね。自分が負けても失敗しても、誰も覚えていないんです。そうすると怖くなくなりませんか? でも、他人が忘れても成功体験は自分の中に残るんです。それが自信になるから、成功体験をしている人は強いですよ。その体験を築くため、これからも「Do my best」でボクシングも社会活動にも努力を重ねていきます。
撮影:須田卓馬
〈プロフィール〉
村田諒太(むらた・りょうた)
1986年1月12日、奈良県出身。182センチ、72キロ。階級はミドル級。2児の父。2012年のロンドンオリンピックではミドル級で金メダルを獲得。2013年4月、プロに転向。2017年、世界王座獲得。2018年4月、日本人初となる防衛に成功。同年10月、ラスベガスでロブ・ブラントと対戦、防衛に失敗するが、12月4日に現役続行を表明。日本財団アスリート連携プロジェクト「HEROs」(別ウィンドウで開く)のアンバサダーを務める。
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