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世界遺産に泊まり伝統を楽しむ。特別な体験で日本文化を後世へとつなぐ
- 欧米豪を中心とする訪日外国人の日本の歴史や文化に対する関心はとても高い
- 歴史的建造物での宿泊、特別な文化体験プログラムを通して、日本文化の新たな価値を創る
- 日本の文化財を改修し活用することで、その価値を高め、後世へつなぐ可能性を広げる
取材:日本財団ジャーナル編集部
千年の都、京都。受け継がれてきた伝統を守りつつも先進性も兼ね備えたこの地で、日本財団は2016年より「いろはにほん」プロジェクト(別ウィンドウで開く)を始動させた。海外からの旅行者を主な対象に、原則非公開の寺院等での滞在型の文化体験プランを提案。普段、一般の観光客が立ち入ることのできない場所での体験や、座禅や雅楽といった唯一無二の文化体験プログラムを通して、日本文化に対する理解と文化財に対する関心を高めることが目的である。
このプロジェクトは、どのような課題を解決するために始まったのか?そんな問いを胸に、滞在施設の一つである京都の仁和(にんな)寺(別ウィンドウで開く)を訪れた。
文化財を開くことで広がる、日本文化の保護継承の可能性
「仁和寺は、かつて京の北西部の大半を占める大寺院でした。でも、先の大戦(応仁の乱。1467〜1478年)で東軍に焼かれてしまって…」
そう語るのは仁和寺の境内を案内してくれた大石隆淳(おおいし・りゅうじゅん)執行。
京都府右京区御室に位置する、世界遺産・仁和寺。創建は仁和4年(888年)で、1000年を超える歴史を持つ真言宗御室派の総本山だ。この仁和寺は出家した宇多(うだ)天皇が居室を建てて暮らしたことから、「御室(おむろ)御所」とも呼ばれている。宇多天皇の後も30世まで皇室出身者が門跡(住職)を務めた。
23万坪の境内には、国宝が1棟、重要文化財が14棟、登録有形文化財(建造物)が7棟、さらには古文書や美術工芸品など3万点以上の文化財を有し、その維持管理には莫大な費用がかかる。これまでは、拝観料や所属寺院からの護持金、寄付に頼っていたが、人口減少に伴い文化財の修繕・保持に充てられる予算は減少し続けている。
日本には世界に誇るべき歴史的な建造物や文化財が全国各地にあるが、仁和寺と同様の問題を抱え、日本文化はまさに消失・衰退の危機に瀕している。そんな問題を解決するために、「いろはにほん」プロジェクトでは、日本文化に関心の高い国内外の旅行者と、寺院等の歴史的建造物での宿泊や文化体験を結びつけた。そうして文化財の活用を促すことで、国内外の日本文化への関心を高め、後世へとつないでいくことに注力している。
日本政策投資銀行・日本交通公社が2018年に行った「アジア・欧米豪 訪日外国人旅行者の意向調査」によると、訪れてみたい観光地では、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアの訪日外国人における「寺社仏閣」「日本庭園」の人気はとても高い。また訪日を検討するきっかけでも、「世界遺産」「文化・歴史」が高い割合を占めており、「いろはにほん」プロジェクトの潜在的ニーズは大きい。
図表:訪れてみたい日本の観光地(2018年)
図表: 訪日旅行を検討したきっかけ(2018年)
2019年12月時点での「いろはにほん」登録寺院は6寺院。多くの寺社仏閣が集まる京都を中心に実験的にサービスを提供する。
■「いろはにほん」登録寺院
- 仁和寺(別ウインドウで開く):1000年を超える歴史を持つ、「御室御所」とも呼ばれる世界遺産
- 光雲寺(別ウィンドウで開く):東山を借景とした、池泉回遊式の名園が広がる非公開の禅寺
- 真如寺(別ウィンドウで開く):春秋の紅葉が美しく、趣きある庭園が広がる非公開の禅寺
- 永明院(別ウィンドウで開く):世界遺産・天龍寺の山内に位置する非公開の禅寺
- 大慈院(別ウィンドウで開く):茶室の先に、枯山水の庭が広がる美しい禅寺
- 海宝寺(別ウィンドウで開く):僧自らが腕を振舞う普茶料理を堪能できる非公開の禅寺
悠久の歴史を誇る世界遺産・仁和寺で日本文化に浸る
夕方になると仁王門が閉じられ、境内は静寂に包まれる。世界遺産の境内を一晩貸し切りにできる仁和寺の「日本文化体験」では、ゲストは僧侶のガイド付きで境内をゆったり散歩したり、3万点を超える寺宝鑑賞を堪能したりすることができる。
「事前にゲストの方の好みや知りたいことを教えていただければ、それに合わせたお部屋の調度、プログラムをご用意します。例えば、宇多天皇がお月見をした記録が残っている御殿で、ススキや団子を並べ僧たちの声明(※)に耳を傾けがながら月を眺めることもできますよ」と大石執行。
- ※ 仏典に節をつけた仏教音楽
他にも、天皇が愛したと言われる茶室での茶会、真言密教に伝わる護摩修法体験、非公開の金堂や五重塔などの特別拝観など、ゲストのリクエストに応じて寺側は「本物」の体験を用意する。他では決して経験することのできない、仁和寺ならではのプログラムだ。
食事をいただく宸殿(しんでん)は、とても華やかだ。仁和寺の御殿における中心的な場所で、歴代の門跡(皇族関係者の住職)が実際に暮らした区画に建てられている。現在の建物は、1914年に建てられたものだが、平安時代の寝殿造りを取り入れるなど、天皇の御殿を彷彿とさせる建築が特徴だ。
食事中は、要望に応じて雅楽で使われる笙(しょう)の演奏を聴くこともできる。雅楽は、日本古来の音楽と海を渡ってもたらされたアジア大陸の音楽や舞が混ざってできた音楽で、平安時代に成立したと言われている。宗教的な側面も大きく、「三管(さんかん)」と呼ばれる管楽器の笙、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)の三つの音色を組み合わせて「宇宙」を表現するといった思想がある。
四季の移ろいを器に表現した料理を味わい、雲間から差す光のように神々しい笙の響きに浸っていると、季節感やものの移り変わりといった変化に儚(はかな)い美を見出す日本らしい感覚や、自然や未知のものに対する畏怖(いう)の念が沸き起こる。建築や宝物に関する丁寧な説明も貴重だが、食事や音楽といった言葉を介せず日本文化に触れられる経験も特別な体験である。
ゲストが泊まるのは、境内にある「松林庵(しょうりんあん)」。ここは、仁和寺に関わりの深かった久冨(ひさとみ)家の建物を改築したもので、庵内にしつらえられた太鼓橋(たいこばし)や茶室などが特徴だ。
客室に案内してもらうと、所々に散りばめられたさりげない心遣いが感じられた。ゲストが関心を寄せそうな調度品を揃え、庭の木を整えるといった日本らしい空間を保ちつつ、身長が高い欧米の人でも快適に過ごせるようにいすやテーブルを厳選して配備するなど、仁和寺の関係者たちがゲストの喜びを追求していることが分かる。
日本文化研究の第一人者である故ドナルド・キーン氏は、京都に下宿していた学生時代に、夜のお寺で十五夜の美しい満月を寺から眺めていると、さり気なく横にお茶が置かれており、その心遣いや感性に心を打たれた、というエピソードがある。海外の高級ホテルでも丁寧な「サービス」は受けられる。しかし、こういった日本らしい「おもてなし」や茶道の考えにも通じる「心遣い」は、他の国にはあまりないものなのだろう。
「文化」「伝統」を後世に残していく意義とは
「日本は世界的に見てもとてもユニークな国です」
そう語るのは日本財団・笹川陽平(ささかわ・ようへい)会長。
「その理由の一つが2000年以上続く歴史です。世界のどこを探しても、一つの国がそれだけ続いている例はありません」
そんな日本には、世界に誇れるたくさんの文化財や建築物があるが、度重なる地震や豪雨といった自然災害による倒壊、人口減少に伴う檀家・信者の減少により、存続の危機に瀕している。また、グローバル化による生活様式の変化により、かつてあった礼儀作法や畳に座る習慣など、日本文化そのものがなくなりつつある。
「長い歴史を振り返ってみると、国がなくなっても文化が続くことがあります。文化とはそれほど、人々の暮らしに密着した大切なものなのです。そんな日本文化を海外に発信しつつ、日本人にも再発見してもらえたらいいですね」
IT技術の進歩で、均一化やグローバル化が進む世界。便利で安価なものが生まれたと思えば、すぐに新しい商品が出てくる目まぐるしい世の中だからこそ、古より受け継がれてきた日本特有の文化や伝統を守り、後世へつないでいくことが重要ではないだろうか。それは、海外からのゲストはもちろん、私たち日本人にとっても自国の良さを見直すきっかけになるはずだ。
撮影:永西永実
- ※ 掲載情報は記事作成当時のものとなります。