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目指すのは「助けて」と言える社会。NPO法人抱樸の奥田知志さんが奔走する「ひとりにしない」支援

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NPO法人抱樸・理事長の奥田知志さん。「樸」は原木や荒木を意味し、「抱樸」とは原木をそのまま抱きとめるという出会い方であり、人と人との関係を示す
この記事のPOINT!
  • 新型コロナウイルスの影響により、今後も解雇・雇い止めによる生活困窮者の増加が懸念されている
  • 増加する「貧困」「孤立」の問題を同時に解決していく仕組みが、今の日本社会には必要
  • 必要なのは健全な依存。人と人が相互依存していくことが「助けて」と言える「生きやすい」社会をつくる

取材:日本財団ジャーナル編集部

世界を一変させてしまった新型コロナウイルス感染症。「命を守る」ための自粛要請は、経済に大打撃を与え、それに伴い、多くの人たちが職を失った。

解雇、雇い止めなどが進む状況下で、生活困窮者や社会から孤立状態にある人々の生活再建支援を行うNPO法人「抱樸(ほうぼく)」(別ウィンドウで開く)は、すぐさま「コロナ緊急対策事業」を立ち上げ、クラウドファンディング「家や仕事を失う人をひとりにしない支援」(別ウィンドウで開く)をスタート。その目標額は1億円と無謀とも思えたが、3カ月後の締切日前には達成し、寄付者は1万人という規模となり関係者をも驚かせた。

これだけの寄付を集めた人々の思いはどんなところにあったのか。また「社会活動の制限」という体験の中で、あらためて意識することとなった人とのつながり、地域とのつながり、社会とのつながり、「支え合う」ということはどういうことなのか。

今、日本社会が抱える課題解決のために必要な仕組みについて、抱樸・理事長の奥田知志(おくだ・ともし)さんに話を伺った。

新型コロナ禍による経済的打撃と失業者増加の懸念

厚生労働省の発表によると、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で解雇・雇い止めになった人(見込みを含む)は7万242人(2020年11月6日時点)。9月23日に6万人を超えてから、約1カ月半で1万人増えた。

6月に2万人を超え、以降は1カ月約1万人のペースで増加。8月末に5万人に達していた。

1988年から北九州でホームレス支援に取り組んできた抱樸・理事長の奥田さん。新型コロナによるパンデミック発生の状況下で「さらに困窮者が増えると思った」という。

感染による死も驚異だが、それを避けられたとしても、雇い止めや派遣切りなどの先にある生活困難な状況が進むとコロナ関連死が増えるのではないかと危惧。そこで立ち上げたのが今回の大掛かりなクラウドファンディングだった。

目標金額に1億円を掲げて4月28日に開設したクラウドファンディングは、7月27日の締め切りを待たずに達成した。最終の寄付金額総計は1億1,579万8,000円。さらに驚くべきは1万289人に及んだ寄付者の数だ。

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抱樸が行ったクラウドファンディング「家や仕事を失う人をひとりにしない支援」のWebページ

「1万人以上の人の気持ちが動いた。その意味は、お金の額よりも大きいと思います」

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クラウドファンディングによる金額よりも、参加した寄付者の数にこそ意味があるという奥田さん

クラウドファンディングサービスの運営者からは、いちNPO法人が1億円規模のクラウドファンディングを達成するのは稀なことだと言われた。

「新型コロナウイルスで、みんなが当事者となった。自分も弱い、怖いといった弱さの共通項が寄付のベースになっていると思います」

奥田さんは、クラウドファンディングに参加した人々の気持ちをそう推する。それは寄付者から寄せられた言葉から伺い知ることができるという。

「寄せられた言葉の中には、『私も失業したけれども』というのが少なくありませんでした。決してゆとりのある人だけが寄付したのではない。むしろないからこそ支援する。自分も大変だけれど、だからこそどんなことがあっても生き延びていく社会をつくってほしいという思いがあるんだと思います」

寄付の98パーセントが3万円程度だったことも合点がいくという。

「もちろん企業からの大口寄付もありがたいこと。しかし、1回限りの1億円よりも1万人から集まった1億円の方が、世の中が変わると思います。そういった意味で、今回のクラウドファンディングの実施はとても価値あることだったと感じています」

寄付金は、全国の支援団体へ感染予防資材の提供、対面による相談事業を諦めないための機材購入にすでに活用されている。

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生活困窮者の相談に応える抱樸の支援スタッフ。新型コロナウイルスの感染予防資材により、支援スタッフを守ることが困窮者を支えることにつながる

また、今後は現在構想中の、サブリース型(※)を取り入れた「支援付き住宅」の普及に使われる予定だ。これは、抱樸が北九州市内で借り上げたマンションで、その成果を実証済み。

  • 賃貸経営を行うオーナーからサブリース業者が賃貸物件を借り上げて、その賃貸物件の入居者募集や入居者からの賃料回収などを行うこと。サブリース業者は、賃貸物件の入居の有無に関わらずオーナーに保証賃料を支払う

「通常、月3万から3万5.000円くらいで貸している物件を、抱樸が2万円で一括借り上げをして、自分では住居の確保が難しい人に生活支援付き住宅として月2万9,000円(北九州における生活保護の住宅扶助基準)で提供します。また、債務保証会社と協力して月2,000円を生活支援に充てる形の債務保証プランを作ってもらいました。そうすることで、一人当たり1万1,000円の生活支援費が捻出できる。それを、生活支援を行う人件費に充てています」

持続可能な支援事業モデルとして、札幌・仙台・東京・千葉・大阪・兵庫など全国10都市にある困窮者支援団体と提携し、住宅設定のための資金とノウハウを提供することで全国展開を目指している。

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抱樸の支援を受けて生活を送っている当事者の方と奥田さん(写真右)

貧しさと寂しさを同時に解決していく仕組みが、日本社会には必要

30年以上続けてきた「抱樸の原点」とも言える活動に「炊き出し」がある。

「炊き出しというと食糧支援や生命維持のための活動と思われがちですが、週に1回、2回で命を救うというのはちょっと言い過ぎ。30年前始めた頃、じゃあ何の意味があるの?と仲間たちとの話になった時に『友だちの家に遊びに行くときに手土産持って行くよね』って結論にたどり着きました」

炊き出しを通じた出会い、言葉がけ、小さなつながりの一つひとつが、当事者との関係性を築いていくと奥田さんは話す。

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2020年10月に行った炊き出しの様子。写真中央に立つのが奥田さん
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2020年6月、大阪・釜ヶ崎支援機構が行ったマスク配布に参加した奥田さん(中央)

だからこそ新型コロナウイルスによる自粛期間中も、感染予防のためのビニールカーテンの設置や、マスク配布・着用など徹底した対策を行いながら、活動を続けた。

しかし、いつもはスタッフも一緒にテーブルを囲みながら食事をするのだが、リスクが高すぎると断念。その代わりに全国の支援者から手書きのメッセージを送ってもらい、それを1つずつお弁当に添えた。

奥田さんたちが行う「支援付き住宅」や「炊き出し」などの取り組みにおいて、抱樸の活動理念ともなっているのが、どんな状況下においても「ひとりにしない」という伴走型支援だ。

その理念にまつわるエピソードを奥田さんが話してくれた。

1990年、北九州市で中学生がホームレスを襲撃するという事件が起こった。襲撃を受けた当事者から相談を受けた奥田さん。

「その方は、困っている一方で、中学生たちの気持ちが分かると言いました。夜中の1時や2時にそんなことをしているのは、家があっても居場所がないんじゃないか、親はいても心配してくれる人はいなんじゃないか。自分も帰るところがないからこそ分かるんだと」

その言葉を聞き、ホームレス問題の本質は「人と人のつながりがないこと」にあるのだと気付かされたという。

しかし、それから30年が経ち、路上だけではなく社会全体が孤立や孤独の問題がひしめく世の中になってしまった。

「経済的困窮と社会的孤立の問題、貧しさと寂しさを同時に解決していく仕組みが、今の日本社会には必要だと思っています」

抱樸の「支援付き住宅」には、当事者の日常生活を支えるための抱樸スタッフが付く。場所だけを提供するのではなく、話を聞き、職探しや自立する際の家探しもサポートしながら、時に看取りも行う。

たとえ問題が解決できなくても「つながり続ける」ことを大事にする。それが、抱樸が取り組む伴走型支援なのだ。

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新型コロナウイルス感染症による社会の変化について独自の視点で語る奥田さん

目指すのは「助けて」と言える社会

ウィズ・コロナ時代において求められる「新しい生活様式」や社会の変化を、奥田さんはどのように捉えているのだろう。

「新型コロナウイルス感染症が蔓延し、瞬く間に世界に拡大したことで、改めて『グローバル社会』を生きているんだ、世界中の人がつながっているんだと感じました。その反面、日本が海外の国と比べて影響が低いのは、人と人のつながりが希薄だったからではないかと感じたりもします」

緊急事態宣言中に出された「いのちを守る STAY HOME 週間」の呼びかけについても、「感染経路を断つことで守ることができた命がある一方で、社会とのつながりを断たれて失った命もありました。そういう意味では、命に関わるレベルまで孤立化が進んだという見方もできます」と奥田さん。

「リーマンショック(※)以降、生活困窮者は増え続け、その問題を先送りにしてきました。そんな中で、日本の孤立率も高まり、『ネットカフェ難民』という言葉に象徴されるような貧困が見えづらくなりました。本当に困ってしまったときに頼れる他者がいない。自己責任論の蔓延や家族の責任を問うばかりで『助けて』と言えない、言わせない社会になってしまっているのではないでしょうか」

  • 2008年9月、アメリカの有力投資銀行であるリーマンブラザーズが破綻し、それを契機として広がった世界的な株価下落、金融不安(危機)、同時不況の総称

厚生労働省の「令和元年版自殺対策白書」によると日本の10代の若者の自殺率は過去最高を記録した。「助けて」と言えない大人たちの姿を見て育つ子どもたちもまた「助けて」と声を上げることができずに、自らを追い詰めてしまっているのではないかと奥田さんは心配する。

そんな子どもや若者たちが少しでも生きやすくなるようにと、「生笑(いきわら)一座」(別ウィンドウで開く)を立ち上げ、全国行脚(学校訪問)を行う奥田さん。一座のメンバーはさまざまな事情でホームレスとなり、その後、抱樸と出会い自立した人たちで構成されている。過去の体験を伝えると共に、ワークショップや歌などを披露しながら、「苦しいときは助けてと言っていいんだよ」「生きてさえいえば、笑える日が来る」と伝え続けている。

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生笑一座のメンバー。写真上段左が奥田さん

「『人は一人では生きてはいけない』という当たり前のことを、改めてコロナは気付かせてくれました。必要なのは健全な依存。助けたり、助けられたり、相互依存していくということです。だけど、その相互性は平等ではなく、助けることが得意な人がいれば、助けられることが得意な人もいます。それが歯車のようにうまく噛み合って、みんなが生きやすい社会になってほしいと心から願っています」

撮影:十河英三郎

〈プロフィール〉

奥田知志(おくだ・ともし)

1963年7月滋賀県大津市生まれ。14歳でキリスト教徒に。関西学院大学入学と同時に大阪釜ヶ崎と出会う。以来、ホームレスや困窮者の支援に携わる。その後、西南学院大学専攻科、九州大学博士後期課程で学ぶ。1990年日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師就任。NPO法人抱樸、公益財団法人共生地域創造財団、ホームレス支援全国ネットワーク、全国居住支援法人協議会などの代表を務める。「もう一人にさせない」(いのちのことば社)、「助けてと言える国へ」(集英社新書)、「いつか笑える日が来る 我、汝らを孤児とはせず」(いのちのことば社)、近著「『逃げ遅れた』伴走者―分断された社会で人とつながる」(本の種出版社)など著書多数。
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