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【障害とビジネスの新しい関係】必要なのは隣に“障害者”がいる日常。NHK竹内解説委員に問う、インクルーシブ社会実現のヒント

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NHK解説委員の竹内哲哉さん(右)と、日本財団ワーキンググループの奥平真砂子さん
この記事のPOINT!
  • 障害者と健常者が接する機会が少ない日本では、障害者雇用が進みにくい
  • 日常の中に障害者を「見慣れる」機会をつくることが、障害者の社会参加を後押しする
  • 多様な人が混ざり合って暮らすインクルーシブな環境を築くことこそが、障害を含む多様性理解に重要

取材:日本財団ジャーナル編集部

この特集では、さまざまな企業における障害者雇用や、障害者に向けた商品・サービス開発に焦点を当て、その優れた取り組みを紹介する。障害の有無を超えて、誰もが参加できる社会をつくるためには、どのような視点や発想が必要かを読者の皆さんと一緒に考えていきたい。

取材を行うのは、日本財団で障害者の社会参加を加速するために結成された、ワーキンググループ(※)の面々だ。

  • 特定の問題の調査や計画を推進するために集められた集団

今回は、NHKの制作局副部長兼解説委員として福祉やパラリンピック関連番組を担当する竹内哲哉(たけうち・てつや)さんにインタビュー。自身も幼い頃から車いす生活を送る竹内さんに、障害者の社会参加を加速させるために必要な社会づくりのヒントを伺った。

メディア業界で働く夢を叶えるためにアメリカへ

奥平:日本財団ワーキンググループの奥平真砂子(おくひら・まさこ)です。まず竹内さんがNHKに入社されるまでの経緯を教えてください。

竹内さん:もともとは外交官志望だったんですが、車いすでは難しいという感じで、にべもなく断られました。障害を理由に仕事に就けないというのは本当に解せなかったのですが、かといって外交官試験に受かるまで頑張れるのかというと、その自信はなかった。そんな世の中を変えたい、それができるのはメディアだと思い、新聞記者を志しました。

しかし、ここでもまた壁が……。就職活動の際に複数の新聞社を受けましたが、ことごとく断られました。その理由は「車いすで現場記者の仕事ができるのか」という1点。当時(1990年代)の日本のメディア業界では、車いす使用者の新卒採用はあり得なかったんです。

でも、海外にはメディアで活躍している障害者がいることを知っていました。大学で国際関係の勉強をしていたのと、「英語を学んで専門分野を磨いたら、採用してもらえるかもしれない」という当時大手新聞社の論説委員をしていた父の友人の助言もあり、「ジャーナリストになれるのなら他の国でも」という思いで、無鉄砲に渡米。アメリカの大学院に留学しました。大学院修了後に入社したのがシアトルにある日系の新聞社です。

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シアトル時代は大リーグの取材なども担当していたという竹内さん

奥平:アメリカのメディア業界には障害者を受け入れる土壌があったんですね。そこから日本へ帰国されたきっかけは何だったのでしょう。

竹内さん:とにかく忙しくて……。ひどい時は毎朝8時から夜中の2時まで働くという日々が8カ月も続きました。ほとんど寝る間もありませんでしたが、やっと入れたメディア業界だし、好きな仕事だからと一生懸命だったんですね。

それが、深夜3時までの取材が続いたある朝、起き上がって仕事に行くことができなくて。この生活を続けていたら病気になる、という危機感から退社を決め帰国しました。中途採用でNHKに入局したのは2001年のことです。

奥平:それは確かにハードですね。NHKには障害者雇用枠で採用されたのですか。

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竹内さんがNHKに入社するまでの経緯に興味津々の奥平さん

竹内さん:いいえ。NHKには障害者雇用枠がなく、中途採用試験を受けました。他の部署ではすでに障害のある方が働いており、車いすのディレクターとして採用されたのは僕が2人目だったと思います。

奥平:それは素晴らしい。はじめから福祉分野の担当だったのでしょうか。

竹内さん:はい。その当時は福祉に興味はなかったのですが、採用面接の際に勧められ、これを断ると落ちるかもしれないという勝手な思い込みから「すごく興味があります!」と断言してしまったんです(笑)。

番組制作を通して知った、障害者を取り巻く社会の実情

奥平:実際に福祉の取材をやってみてどうでしたか。

竹内さん:僕が通っていた学校には障害者がほとんどいなかったこともあり、NHKに入るまで他の障害のある方と接する機会がほとんどなかったんです。なので、この仕事を始めてから福祉について一から学ぶことがたくさんありました。今は福祉分野の担当になって良かったと思っています。

奥平:職場の皆さんはすぐに受け入れてくれましたか。

竹内さん:福祉を番組で扱っているというだけあって、入局した当時の上司がすごく理解のある人で、働く環境を整備してくれました。ロケ取材で、段差がある場所やエレベーターがないアパートなどに行くことも多かったので、アシスタントを付けてくれて、その方が僕や荷物を担いで運んでくれました。

また当時は僕が働いていたフロアに車いす用のトイレがなかったため、和式トイレを2つつぶして専用トイレを作ってくれて。とてもありがたかったですね。

奥平:障害者に対する合理的配慮の一例ですね。これまでどんな番組に関わってきたのでしょうか。

竹内さん:『にんげんゆうゆう』、『福祉ネットワーク』と何度か名前が変わっているんですが、現在放映中の福祉情報番組『ハートネットTV』(別ウィンドウで開く)『英語でしゃべらナイト』(別ウィンドウで開く)『地頭クイズ ソクラテスの人事』(別ウィンドウで開く)などにも関わりました。

奥平:中でも、印象に残っているお仕事を教えてください。

竹内さん:『クローズアップ現代』(別ウィンドウで開く)で担当した、低出生体重児(※)を取り上げた回です。僕の息子は650グラムで生まれた超低出生体重児なんですが、当時はほとんど情報がなく、取材で伺ったお話はすごく印象的でしたし、学びになりましたね。

  • 生まれた時の体重が2,500グラム未満の新生児のこと。1,500グラム未満を「「極低出生体重児」、1,000グラム未満を「超低出生体重児」という。日本では出生数が減少傾向にあるが、低出生体重児の割合は毎年増加している
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保育器に入った生後間もない息子さんを見守る竹内さん(写真手前)

超低出生体重児は発達障害を発症する確率が高いとされていますが、息子にも発達障害があります。得意なこと、苦手なことは、取材を通じて頭では分かっているのですが、いざ、息子として向き合うと、困り事を抱え、苦しんでいるのは息子だと分かってはいるのに、親としての心配が前面に出てしまい、苦手なことの改善に目が行ってしまいます。

自分のことなら何とでもなると思って生きてきたので、“努力をしない”ではなく“できないことがある”のは分かっていても、その現状をみると非常に歯がゆい。でも、そうした障害のあるわが子と向き合う毎日が、僕にとっての“障害者観”や“人生観”を大きく変えてくれていると思います。

みんなが障害者に「見慣れる」必要がある

奥平:今のお仕事を通して、障害者の社会参加の現状や、課題と感じることはありますか。

竹内さん:街の中で、障害のある方を見かける機会が少ないことが問題じゃないでしょうか。昔よりは増えましたが、スクランブル交差点で猛スピードで車いすを動かしているのは僕くらい(笑)。人は、実際に自分の目で見ないと、どんな支援が必要か分からないと思うんです。

それから、子どもたちが学びの段階で障害者と接する機会が少ないこと、教育現場ごとに大きな開きがあることも課題だと思います。

新聞記事を読んで感動したエピソードがあるのですが、ある視覚障害のある方がバス通勤をする際、地元の小学生たちが10年以上にもわたってバスの乗り降りを手伝っているそうです。その小学生たちは支援をしているという意識がなくて、自分たちができることを考えて始めたというんですね。

最初に一人の女子児童が手伝い始めたのがきっかけで、その子が卒業した後も後輩から後輩へと受け継がれているそうです。そんな風に、当たり前のように障害のある方と一緒に過ごす中で子どもたちが自発的に行動し、学ぶことが大切だと感じます。

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新聞記事で読んで、障害者をサポートする小学生たちの行動に感銘を受けたという竹内さん

奥平:竹内さんは、障害者インクルージョンにおけるメディアや企業の役割は何だと思われますか。

竹内さん:まずは、障害のある方を見慣れる機会をつくることでしょうか。障害者で表舞台に立っている一人として作家、タレントの乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)さんが挙げられますが、最初の頃はともかく、いまでは視聴者の多くは、障害者ではなく「乙武さん」という一個人として見ていますよね。

2012年に開催されたロンドンパラリンピックを機に、イギリスでは障害者に対する視点が「痛々しい」から「すごい!」と変わったように、日本社会全体の障害者に対する視点が、そんな風に変わっていったらいいなと思うんです。

その一環として、障害のある方が表舞台に立って話す機会をつくり、彼らの生き方を隠さず報道するのが、メディアの役割ではないでしょうか。

山田:日本財団ワーキンググループの山田悠平(やまだ・ゆうへい)です。本日は人数を減らすためリモートでの参加になりますが、よろしくお願いします。僕も精神障害があり、障害について社会に理解が広まることは大切なことだと思っています。半面、精神障害のように見えづらい障害を理解してもらうことに難しさを感じていて……。竹内さんはどうお考えになりますか。

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オンラインで参加した日本財団ワーキンググループの山田悠平さん

竹内さん:すごく難しい問題ですね。当事者にとっては、自分には障害があると理解するのは大切なことです。僕の息子もヘルプマークを付けていて、親としては彼に何かがあった時に周りの人にサポートしてほしいという思いがあります。

ただ、ことさら障害者であることを顕在化させることで、かえって差別を生んでしまうこともあるんじゃないかと思うこともあって。僕の中でもまだ答えが出ず、ジレンマを感じています。

山田:なかなかこれという答えは出ませんよね。自分の障害を言葉にして伝えることがしんどいという当事者も多いですし、僕も悩みながら活動しているところです。

奥平:最後に、竹内さんがお仕事を通して実現したい社会について教えてください。

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障害者も当たり前に存在できる社会をつくるためには、と語り合う竹内さん(写真左)と奥平さん

竹内さん:見えづらい障害も含めて、障害のある人もそうでない人も、みんなが混ざり合って生活できる社会。同じ教室で勉強したり、いろんな障害がある先生が教壇に立って教えたり、生活の中で子どもの頃から障害者に見慣れる、当たり前に一緒にいる環境や体制を整えることは、障害者の就労への理解を深める出発点だと考えます。

子どもの頃から一緒にいる友達が障害者だったら、自然に相手を受け入れるのではないでしょうか。今はまだ、障害のある人とない人は離れた場所にいると思うんです。その距離を少しでも縮めるために、番組などを通して働きかけていけたらと思います。

奥平:少しずつメディアに障害のある方が出演する機会が増えてきましたし、インクルーシブな社会づくりがより進むことを期待したいです。本日はありがとうございました。

撮影:十河英三郎

〈プロフィール〉

竹内哲哉(たけうち・てつや)

NHK解説委員室/解説委員。1973年、長野県長野市生まれ。3歳4カ月の時の急性脊髄炎の後遺症で車いす生活に。大学卒業後、アメリカの大学院に留学。その後、シアトルでの新聞記者を経て、2001年にNHKに入局。主に福祉分野やパラリンピックなどを取材。2020東京オリンピック・パラリンピック実施本部の業務を経て、現在は制作局副部長兼解説委員(福祉・パラリンピック担当)。
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特集【障害とビジネスの新しい関係】