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【オリ・パラ今昔ものがたり】開幕まで3カ月を切った北京冬季大会~バッハ会長と習主席との距離の近さを憂う

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北京2022オリンピック・パラリンピック冬季競技大会 日本代表選手団公式服装発表会(2021年10月27日) ⒸPHOTO KISHIMOTO

執筆:佐野慎輔

夏から秋、そして冬へ、季節の移ろいは早い。あれほど選手たちのパフォーマンスが華やかに取り上げられた東京オリンピック・パラリンピックも、もはや遠い話のようだ。冬季競技シーズンの到来と共に、メディアの関心は2022年2月に幕を開ける北京冬季大会に移っている。

習近平主席の威信をかけた大会

もちろん地元開催だった東京2020大会とはニュースの扱いは比べようもない。それでも開幕まで3カ月をきり、代表選手候補の動向や北京の準備状況を取り上げた話題が目立って増えてきた。

第24回北京冬季オリンピックは2022年2月4日に開会式を行い、20日まで17日間。主にスケートやアイスホッケーなど氷の競技は北京市、スキーやスノーボードなど雪の競技は180キロ離れた河北省張家口(ちょうかこう)市で開かれる。

第13回北京冬季パラリンピックは3月4日に開幕、13日の閉会式まで、同様に北京、張家口両市を会場に行われる。両市を結ぶ高速鉄道「京張(けいちょう)都市間鉄道」が全線開業したのは2019年12月30日。時速350キロの高速鉄道が約1時間で両都市を結ぶ。中国政府が開発に力を入れるスキーリゾート地である。

アジアでは日本、韓国に続く3カ国目の冬季大会開催。何より北京は2008年夏季大会に続き、世界で初めて夏・冬大会を開催する都市となる。中国政府、いや習近平(しゅう・きんぺい)国家主席の威信をかけた大会である。

新型コロナウイルス感染の「パンデミック(世界的流行)」で東京2020大会開催の是非が取りざたされた頃、習主席は2度(2021年1月、5月)にわたって国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長と電話会談。「東京大会の開催を支援する」と発言した。各国首脳によるこうした発言は珍しくはないものの、習主席は一歩踏み込み参加選手への中国産ワクチンの提供まで示唆した。

背景に北京冬季大会がある。もし東京がコロナ禍で開催されなければ、7カ月後の北京に影響が出ることは避けられない。まして新疆(しんきょう)ウイグル自治区や香港での人権弾圧に対する世界の風あたりは強く、米国ではボイコットの声が上がった。円滑に北京大会を開催して世界にアピールするために東京大会を風よけに使いたいとの思いが透けて見えた。

習主席との会談後、バッハ会長やジョン・コーツ副会長がコロナ下での東京開催を強く主張した。皮肉な言い方をすれば習主席がIOCの背中を押した“功労者”であった。

バッハ会長が仕掛けた緊密関係

なぜ、習主席はこれほどIOC及びバッハ会長への影響力を持ち得たのか?

話は2013年にさかのぼる。東京が2020年夏季大会開催都市に決まった9月、アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれたIOC総会。バッハ氏はジャック・ロゲ会長の後任として第9代IOC会長に選出された。そして就任2カ月後、初の外国訪問先に選んだのが中国である。

名目は翌年に第2回ユースオリンピックが南京市で開催されるため、競技施設など準備状況の視察である。だが当時、北京は2022年冬季大会招致に名乗りを上げており、立候補都市を新会長が訪問する危うさ、不信感を指摘する声は決して少なくなかった。

バッハ会長はこの訪問で習主席にオリンピックオーダー金章を授与している。この章は本来、オリンピック運動に多大な貢献をはたした人物に贈られる。習氏が2008年北京大会の運営に総責任者として貢献したという理由ではあったが、大会当時はまだ国家副主席1年目。開会式で問題視された少女の歌声の口パクを指示したとされた。2012年12月に中国共産党中央委員会総書記に就任し最高指導者の地位に就いたものの、オリンピック運動との関わりはない。バッハ会長がより親密化に積極的であったことは間違いない。

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派手な演出が目立った北京オリンピック開会式(2008年8月9日) ⒸPHOTO KISHIMOTO

2008年北京大会招致が決まったのは2001年モスクワのIOC総会。「北京」と発表された会場で、私は当時副会長だったバッハ氏にコメントを求めた。「なぜ、北京なのか?」と。

前回北京が立候補した2000年大会招致では天安門事件が尾を引き、依然として中国事情が“竹のカーテン”に覆われていたことからシドニーに票が集まった。8年後、中国は周到に準備、モスクワ総会でロゲ氏と交代するフアン・アントニオ・サマランチIOC会長を味方につけた。しかし、国際社会からは見えていない部分も少なくない。バッハ氏は「挑戦だよ」「壮大な実験だ」と答えた。当時はそんな認識でしかなかった。

ところが北京大会での成功、中国経済の発展に目を見張ったバッハ氏は、サマランチ前会長の傾倒ぶりを参考に中国を頼りにしていく。そして会長選では中国と中国が影響力を行使した票を得て当選。中国出身のIOC委員の助言に従って、訪中し習主席に接近していったのだった。

オリンピックオーダーは近年、政治的な影響力のある人に贈られることが少なくない。2020年の安倍晋三(あべ・しんぞう)元首相の受章も一例だが、習氏受章がその嚆矢(こうし)である。

受章を契機に、習―バッハ両氏は会談を重ね、2015年7月マレーシアのクアラルンプールで開かれたIOC総会で2022年冬季大会北京開催が決まる。言うなれば、北京大会は習主席が勝ち取った大会。国内外に成功を見せつけ、自らの地位を不動にする役割を担う大会となった。

もちろんバッハ会長も中国企業のスポンサー参加(アリババ、蒙牛)という蜀を得て、2021年の再選に向けてIOC内での地位を固めていった。独裁者然とした振る舞いの裏に習主席との緊密な関係があったことはいうまでもない。

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北京で行われた世界陸上開会式に出席した習近平中国国家主席(中央)とIOCトーマス・バッハ会長(その右下)(2015年8月22日) ⒸPHOTO KISHIMOTO

どうなる米国のボイコット姿勢

新型コロナウイルス感染の再拡大に厳戒態勢で臨むことも、「無観客」を主張したIOCの意見を封じ込んで「国内の人々の観戦」を認めさせたことも、全ては北京大会成功のための方策である。開幕すれば恐らく、2008年を超えた首脳礼賛が繰り返されることだろう。

懸念は米国、英国などで声が上がるボイコットの行方である。言うまでもなく新疆ウイグル自治区における人権弾圧、香港の民主化運動の鎮圧、台湾に対する軍事的圧力の強化が理由だ。今春、米国の民主、共和両党がこぞってボイコットの声を上げた。底流には米国の中国脅威論、中国嫌いがある。

米国政府高官が「同盟国と協議したい」とボイコット呼びかけを示唆。一方、中国側は「内政問題だ」として反発、キューバなどがこれに同調した。一時は再び東西冷戦構造となり、1980年モスクワ、1984年ロサンゼルス大会で繰り広げられたボイコット合戦が再燃するのではないかと懸念する声も上がった。

この時バッハ会長はオリンピック憲章にある「政治的中立」を盾に、「オリンピック運動に政治を持ち込むべきではない」と発言し、自制を呼びかけた。米国内でもモスクワ大会のように選手を派遣しないことは効果も薄く、現実的ではないとする意見が出され、USOPC(米国オリンピック・パラリンピック委員会)は参加を表明した。バッハ発言が対中国姿勢を沈静させたのかもしれない。

米議会は7月、公聴会にコカ・コーラやVISAなどオリンピックスポンサーの代表者を呼び、北京大会に協力しないよう圧力をかけた。しかし、スポンサーにとって14億人の中国市場は極めて魅力的であり、企業にとって中国は欠くべからざるものとなっている。加えてIOCや大会組織委員会との契約破棄はリスクが多すぎて、「経済ボイコット」は極めて至難だと言ってもいい。

5月、ナンシー・ペロシ下院議長が表明した政府高官を開会式に派遣せず、オリンピックを舞台にした外交は行わないとする「外交ボイコット」が唯一、米国の残されたカードなのかもしれない。

オリンピックを政治利用する中国

一方、中国側のオリンピック利用の動きは水面下で活発化しているという。ロシアは組織ぐるみのドーピングにより、北朝鮮はIOCの許可なく東京大会参加を取りやめて、いずれもIOCから2022年末までの資格停止処分を受けた。北京冬季大会には選手団として参加できない。

それでもロシアは東京2020大会と同様、ROC(ロシアオリンピック委員会)として参加が認められ、ウラジーミル・プーチン大統領がいち早く開会式出席を明言した。北朝鮮に関しては南北統一にこだわる韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、IOCに処分解除を働きかけてもらうよう中国サイドに申し出たと聞く。プーチン発言にどれほど中国の動きがあったのか。中国が文氏の願いを受けてIOCに働きかけるのか。極めて興味深い。

習主席とプーチン大統領との会談で世界の構造を変えるような何かが進むだろうか。もし北朝鮮の処分解除となれば、米国、日本抜きの4カ国会談で南北朝鮮統一に向けた動きが浮上するかもしれない。そして中国に傾注するバッハ会長とIOCがその先導役を務める可能性もある。

バッハ会長は東西分立時代の西ドイツのオリンピック代表選手で、1976年モントリオール大会のフェンシング団体金メダリスト。連覇を狙った1980年モスクワ大会はしかし、ボイコットに泣いた。「平和を希求する」オリンピック運動の大義のもと、中国の要請に手を貸す可能性は否定できない。

東京2020大会が政治介入を許したと指摘されたが、北京冬季大会の政治利用は、異次元のスケールだと言い換えてもいい。

オリンピックの歴史を鏡として

今年、中国共産党は結党100周年を迎えた。

いまや米国に唯一対抗する巨大国家となったが、毛沢東(もう・たくとう)時代は「文化大革命」により世界に対して鎖国状態にあった。その頃、唯一の窓口となっていたのが日本の卓球界である。そして50年前の1971年、名古屋で開催した世界卓球選手権に中国選手団を招き、これがきっかけに中国は世界に門戸を開いていった。いわゆる「ピンポン外交」である。

その中国の門戸開放の草創期、民間組織として日中交流に大きな役割を果たしたのが日本財団である。

1983年に中国残留孤児の援護基金をつくり、資金援助を開始。日中医学協会の支援にも乗り出した。1984年に初代会長笹川良一(ささかわ・りょういち)が訪中したことがきっかけとなり、当時の最高指導者、鄧小平(とう・しょうへい)と密接な関係を築いていく。

天安門事件が起きた1989年には「笹川日中友好基金」を創設し、国際社会から孤立する中国に手を差し伸べた。笹川陽平(ささかわ・ようへい)会長も度々訪中し、中国の大学などで講演。数多くの大学に約400万冊の図書を寄贈したり、人民解放軍と自衛隊の佐官級交流を長く支援したり対中事業は数えきれない。

一方、台湾との縁も深く、東京財団を通した知的交流事業などで知られる。笹川会長は先年亡くなった李登輝(り・とうき)元総統や蔡英文(さい・えいぶん)現総統とも緊密な人間関係を構築している。

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ジョギング中の日本財団 笹川良一初代会長(右)と笹川陽平会長

こうした大陸も台湾もない交流は、利を求めて中国に接近するバッハIOC会長の動きとは正反対だと言っていい。江沢民(こう・たくみん)国家主席時代、日中関係が険悪になり、江主席が「歴史を鏡として」と発言。日本に対し、日中戦争時の反省を促した時、笹川会長は「2000年の歴史を鏡として」と反論、近代史を切り取るのではなく、2000年にわたり築いてきた関係を直視するべきだと論じた。

いま、北京大会終了後、中国による台湾侵攻が起きるのではないかと懸念されている。2014年ソチオリンピック終了後、パラリンピック開幕までの間を縫い、ロシアがクリミアに軍事侵攻し、国際的な非難を受けた。

IOC、バッハ会長は今こそ「平和を希求するオリンピックの歴史を鏡として」世界の憂慮を中国に示し、習主席に換言するべきではないのか。しかし、「政治的中立」を盾に、耳を蓋ぎ、口を閉ざすことになるかもしれない。バッハ会長の真価が問われる。

〈プロフィール〉

佐野慎輔(さの・しんすけ)

日本財団アドバイザー、笹川スポーツ財団理事・上席特別研究員
尚美学園大学スポーツマネジメント学部教授、産経新聞客員論説委員
1954年、富山県生まれ。早大卒。産経新聞シドニー支局長、編集局次長兼運動部長、取締役サンケイスポーツ代表などを歴任。スポーツ記者歴30年、1994年リレハンメル冬季オリンピック以降、オリンピック・パラリンピック取材に関わってきた。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会メディア委員、ラグビーワールドカップ組織委員会顧問などを務めた。現在は日本オリンピックアカデミー理事、早大、立教大非常勤講師などを務める。東京運動記者クラブ会友。最近の著書に『嘉納治五郎』『金栗四三』『中村裕』『田畑政治』『日本オリンピック略史』など、共著には『オリンピック・パラリンピックを学ぶ』『JOAオリンピック小辞典』『スポーツと地域創生』『スポーツ・エクセレンス』など多数。笹川スポーツ財団の『オリンピック・パラリンピック 残しておきたい物語』『オリンピック・パラリンピック 歴史を刻んだ人びと』『オリンピック・パラリンピックのレガシー』『日本のスポーツとオリンピック・パラリンピックの歴史』の企画、執筆を担当した。

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