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【オリ・パラ今昔ものがたり】アスリートたちの活躍があってこそ
執筆:佐野慎輔
2月4日に開幕する2022年北京冬季オリンピック。さて、皆さんの期待はやはり、日本選手の活躍にあると言っていいだろうか。
羽生結弦の3連覇挑戦は歴史への挑戦
真っ先にフィギュアスケート、羽生結弦(はにゅう・ゆづる)選手が思い浮かぶ。男子シングル3連覇への挑戦は、もはや世界的な関心事だ。欧米のマスコミの多くも羽生を取り上げ、期待をあおる。
今シーズン、右足首の故障でグランプリ(GP)シリーズ出場を取りやめた。心配する声が広がる中、2021年末の日本選手権に出場。フリーではクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)こそ成功しなかったものの、和の楽曲に乗ってプログラム「天と地と」を華麗に舞い、懸念を払拭した。
北京では再び4回転半ジャンプに挑む。成功すれば世界初、3連覇がぐいと近づく。フィギュアのシングルでは過去3連覇した選手は2人しかいない。まだ冬季オリンピックが始まる前の1920年アントワープ大会から1924年の第1回シャモニー・モンブラン、1928年第2回サンモリッツで男子シングルで優勝したスウェーデンのギリス・グラフストローム以来94年ぶり。女子でも第2回から第3回レークプラシッド、第4回ガルミッシュ・パルテンキルヘンを3連覇し、その後映画女優に転身したソニア・ヘニー(ノルウェー)だけである。
草創期の2人の頃は滑走が重要視され、今日のようにジャンプに重きを置くことはなかった。いまはいかに高度なジャンプをプログラムに取り入れるかで勝負が決まる。ジャンプは着地する足首に体重の3倍とも5倍とも言われる重量がかかる。それだけ選手生命も短くなっている中で3連覇、いや連覇すら至難の業となって久しい。
羽生の挑戦はまさに歴史への挑戦である。2021年の大リーグでロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平(おおたに・しょうへい)選手が「リアル二刀流」によって100年の時空を超えてベーブ・ルースの記録に光を当てたように、スポーツファンならば心躍らせるものがあるようにと思う。
ライバルは1月の全米選手権でショートプログラム(SP)とフリーの合計点で今季世界最高の307.18点をたたき出し、世界選手権3連覇中のネイサン・チェン選手(米国)か。前回の2018年平昌(ぴょんちゃん)大会銀メダルの宇野昌磨(うの・しょうま)選手や今季成長が著しい鍵山優真(かぎやま・ゆうま)選手の演技も見逃せない。
小林、高梨、渡部、平野、堀島、高木…
フィギュアスケート女子シングルでは15歳のカミラ・ワリエワ選手中心にアンナ・シェルバコワ、アレクサンドラ・トルソワ両選手のロシア勢の美しい演技に目を見張ることだろう。しかし、表彰台を独占してもドーピング問題で制裁を受けているロシア国旗は掲揚されず、国歌も流されない。ロシアという国が制裁を受けていて、ロシア・オリンピック委員会(ROC)としての参加となるためだ。
これを機に国家の威信の張り合いとなり兼ねない参加のかたち、国旗・国歌問題は再度検討されてもよい。1970年代前半まで、この問題は国際オリンピック委員会(IOC)を揺るがす問題の1つであった。
日本で注目が集まるであろう選手の名前を挙げておこう。スキージャンプの小林陵侑(こばやし・りょうゆう)選手はジャンプ週間総合優勝を引っ提げて表彰台に挑む。女子ジャンプのエース高梨沙羅(たかなし・さら)選手はワールドカップ(W杯)通算61勝、表彰台は110回を数える。いずれも男女通して歴代最多。前回2018年平昌大会では銅メダル、欲しいのは金メダルだ。ノルディック複合の渡部暁斗(わたべ・あきと)選手は2014年ソチ、2018年平昌と連続銀メダルだった。
スノーボード・ハーフパイプの平野歩夢(ひらの・あゆむ)選手もソチ、平昌と連続銀メダル。北京では世界で初めて成功した大技トリプルコーク1440(縦3回、横4回転)で上位を目指す。日本人選手では史上5人目の夏冬オリンピック出場を果たした東京2020大会は予選落ち。「チャレンジャー精神」で挑むという。フリースタイルスキー・モーグルの堀島行真(ほりしま・いくま)は今季W杯3勝。乱れないターンを見てほしい。
カーリングを人気競技に押し上げたロコ・ソラーレの戦いも楽しみだし、そうした選手たちを主将として束ねるスピードスケートの高木美帆(たかぎ・みほ)は今季絶好調だ。平昌では姉の菜那(なな)らと団体パシュート金、1,500メートル銀、1,000メートル銅を獲得。北京では500メートルから5,000メートルまで全ての個人種目に挑戦する。最強のオールラウンダーは異次元の世界を目指す。
選手たちの戦いに一喜一憂するのがオリンピック観戦の常だが、今回はひとりの選手の取り組みに目を向けたい。
小平奈緒の平昌物語
前回平昌大会の主役の1人、女子スピードスケート500m金メダルの小平奈緒(こだいら・なお)である。北京での話に触れる前に、平昌での物語を少し長くなるけれども紹介しておきたい。
あれは2018年2月18日。平昌大会女子500ⅿ決勝だった。小平は36秒94、オリンピック新記録を樹立してスケート会場を沸かせた。日本からの応援団は喜びを爆発させ、大歓声が鳴り止まない。その時、小平は口元に指を押し当て、次に走る選手のために静まってほしいと願いを込めた。
次を滑るのは韓国の李相花(イ・サンファ)。2010年バンクーバー、2014年ソチを連覇し、世界記録を持つ最大のライバルである。気持ちを集中した李は速いラップで飛び出した。しかし最後は0秒39、小平に届かなかった。
祖国で3連覇を逃した李はしかし、感謝の思いで太極旗を手にリンクを回った。その背に「イ・サンファ」コールが降り注ぐ。あふれる涙を隠さず、リンクを1周した彼女を出迎えて抱きしめたのが日の丸を背にした小平だった。北朝鮮への対応や慰安婦像問題を巡ってギクシャクする日韓両国の旗が、寄り添いながら交じり合った瞬間であった。
小平は耳元でささやいたという。
「よく頑張ったね。相花をリスペクトしているよ」
ライバルは長い友人でもある。双方がそれぞれの自宅を訪ねたこともある。悩んだ末に悲壮な思いで実現した小平のオランダ留学、李の連覇の後の故障など互いの悩みを打ち明けあった。そのリンク上の2人の姿に、政治では果しえない国を超えた交流があった。
IOCは「オリンピックの価値」として「Excellence」「Friendship」「Respect」の3つを掲げる。「卓越」「友情」そして「敬意・尊重」と訳されており、「オリンピズム」と共にオリンピック運動を教える根幹とされる。言葉だけではなかなか理解できない「オリンピックの価値」をあの時の2人が雄弁に物語っていた。
小平と地元とのつながり
その後、ヒロインとなった彼女は、人々の称賛と自らの思いとのギャップに悩む。応援してくれる人たちのために「何かしなければ」という思い、そして金メダリストとして期待される言動。追い詰められそうな思いを救ってくれたのはボランティアだったという。
2019年10月、長野市は台風19号で甚大な被害を受けた。小平は自ら手を挙げてボランティア活動に参加、土埃(つちぼこり)にまみれながら後片付けに従事した。その作業の中で地元とのつながりを感じ、ようやく心の平穏を取り戻したとNHKテレビなどで語っている。その後、長野のりんごをイメージした赤いユニホームで滑走したのも、地元とのつながりを大切にした証である。
平昌で地元の人に支えられて金メダリストとなった小平は、地元の人を応援するスケーターとして北京を滑る。連覇や勝ち負けよりも、もっと違った視点から北京のリンクを滑走する自分を見ているのかもしれない。
国の威信をかけた「ゼロコロナ政策」
北京は、東京2020大会に続いて新型コロナウイルスの感染が収まらない中での開催となる。中国政府は戒厳令を思わせるほど厳格な姿勢で臨む。安全確保は開催国の責任ではあるが、厳しい取り締まりは国家と習近平(しゅう・きんぺい)国家主席の威信がかかった大会の成功に向けられたものだと言っていい。
新型コロナをねじ伏せる強い中国、それを指導する習主席の力。大会を通してそれを国内外に発信し、3期目を目指す国家主席の権威を示す。失敗は許されない「ゼロコロナ政策」である。新疆(しんきょう)ウイグル自治区での人権弾圧、香港での民主化抑圧、台湾有事への懸念から米国が主唱した「外交的ボイコット」により米国のバイデン大統領や英国のジョンソン首相らの姿はないが、経済力を背景とした力で呼び寄せた国々の元首級が集い、盛大な開会式で権勢が誇示されることだろう。
しかし、北京からの報道では2008年夏の北京大会のような高揚感はなく、厳しい規制に人々の思いは離反しているという。そこまでして開くオリンピックとは一体何なのだろうか。そのありようはこれでよいのか。政治利用が進む中、改めてその本質が問われる。
救いはやはり、アスリートたちの活躍にある。そのパフォーマンス、その発信力、影響力の大きさは東京2020大会が示してくれた。北京でもそれを期待したい。
アスリートだからできること
日本財団では2017年、アスリートの、あるいはスポーツを媒介とした社会貢献を推進するプロジェクト「HEROs」(外部リンク)を創設。アスリートの活動を支援すると共に、毎年、顕著な活動が認められた人、団体を顕彰している。
受賞式「HEROs AWARD」は毎年12月、コロナ禍前には都内のホテルに200人近い関係者を集めて開催された。アスリートたちがブラックタイとドレス、着物で装い、受賞者たちを祝福する。
一見、主旨とそぐわないように映るが、社会貢献が地に足を着けた地味な活動だからこそ、スポットライトを浴びる意義を思う。そこでは競技の垣根を超えてアスリートたちが交歓し、社会への思い、フェアプレーやスポーツパーソンシップなどを語り合う。社会貢献を背景にしたアスリートならではのネットワークが育った。
プロジェクトの言い出しっぺはサッカー界で活躍した中田英寿(なかた・ひでとし)さん。「ローレウス賞のような、スポーツの力で社会貢献活動をしているアスリートを表彰する仕組みを日本でも創りたい」と提案し、日本財団の笹川陽平(ささかわ・ようへい)会長が快諾した。柔道の井上康生(いのうえ・こうせい)さんや野球の松井秀喜(まつい・ひでき)さん、ラグビーの五郎丸歩(ごろうまる・あゆむ)さん、バレーボールの大林素子(おおばやし・もとこ)さんたちが賛同し5年が経った。
自然災害の被災者や障害者、病気や暴力と闘っている子どもたち、社会的弱者と言われる人たちに支援の手を差し伸べ、一緒に遊び、スポーツで楽しみ、交流を深める活動は毎年広がっている。しかし、まだまだ抜け落ちている部分も少なくない。だからこそ話題になる手段を講じ、1人でも多くのアスリートに参加を呼び掛けているのだ。
コロナ禍で閉塞感を抱えた中で開催された東京2020大会、そして北京大会で活躍するアスリートだからこそ、社会のありように目を向けてもらいたい。小平選手の活躍と今後の活動も新たな指針となるように思う。
〈プロフィール〉
佐野慎輔(さの・しんすけ)
日本財団アドバイザー、笹川スポーツ財団理事・上席特別研究員
尚美学園大学スポーツマネジメント学部教授、産経新聞客員論説委員
1954年、富山県生まれ。早大卒。産経新聞シドニー支局長、編集局次長兼運動部長、取締役サンケイスポーツ代表などを歴任。スポーツ記者歴30年、1994年リレハンメル冬季オリンピック以降、オリンピック・パラリンピック取材に関わってきた。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会メディア委員、ラグビーワールドカップ組織委員会顧問などを務めた。現在は日本オリンピックアカデミー理事、早大、立教大非常勤講師などを務める。東京運動記者クラブ会友。最近の著書に『嘉納治五郎』『金栗四三』『中村裕』『田畑政治』『日本オリンピック略史』など、共著には『オリンピック・パラリンピックを学ぶ』『JOAオリンピック小辞典』『スポーツと地域創生』『スポーツ・エクセレンス』など多数。笹川スポーツ財団の『オリンピック・パラリンピック 残しておきたい物語』『オリンピック・パラリンピック 歴史を刻んだ人びと』『オリンピック・パラリンピックのレガシー』『日本のスポーツとオリンピック・パラリンピックの歴史』の企画、執筆を担当した。
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