社会のために何ができる?が見つかるメディア
ドナーミルクが必要な赤ちゃん年間5,000人。善意の母乳が救う小さく生まれた命
- 日本では年間約5,000人の極低出生体重児が、さまざまな理由でドナーミルクを必要としている
- 母乳は未熟な赤ちゃんの免疫力を高め、感染症や合併症などの疾病リスクを下げる
- 母乳バンクの周知や普及により、全ての赤ちゃんが健康にすくすくと育つ社会を目指す
取材:日本財団ジャーナル編集部
極低出生体重児(ごくていしゅっしょうたいじゅうじ※)とは、出生体重が平均値の約半分に当たる1,500グラム未満で生まれた赤ちゃんのことを言う。
- ※ 赤ちゃんの出生体重による分類で、2,500グラム未満を低出生体重児、1,500グラム未満を極低出生体重児、1,000グラム未満を超低出生体重児と言う
赤ちゃんにとって、母乳は大切な栄養源。特に体の機能が未熟な状態で生まれた極低出生体重児には、できるだけ早く母乳を与えることが重要だと考えられている。そんなとき、母乳がたくさん出るお母さんから寄付された「ドナーミルク」をNICU(新生児集中治療室)に無償提供するのが、母乳バンクの役割だ。
現在、国内で年間7,000人いるという極低出生体重児のうち、ドナーミルクを必要とする赤ちゃんは約5,000人。1人でも多くの赤ちゃんに母乳を届け、命をつなぎたい――。そんな思いから日本財団では2021年4月に一般財団法人日本財団母乳バンク(外部リンク)を立ち上げ、2022年3月に新拠点が完成し、本格的に稼働を開始する。
今回は、同団体の理事長を務める、小児科医で昭和大学医学部教授の水野克巳みずの・かつみ)さんに、小さな体重で生まれてくる赤ちゃんにとっての母乳の重要性と、母乳バンクの周知・普及に取り組む想いについて話を伺った。
小さな赤ちゃんの命をつなぐドナーミルク
極低出生体重児は、腸の一部が壊死する「壊死性腸炎(えしせいちょうえん※)」をはじめ、未熟児網膜症や慢性肺疾患などさまざまな合併症を引き起こすリスクが高いと言われている。
- ※ 血流障害や感染などが原因となり腸が壊死してしまう病気
そんな合併症を引き起こさないために重要となるのが母乳だ。母乳には、腸の粘膜を成熟させる物質が含まれるほか、免疫力を高める効果などがある。しかし、極低出生体重児の母親は、超早産や帝王切開による体力の低下や精神的な負担などから、産後すぐに母乳が出ないことも多い。
そのような場合、代用品として人工乳(粉ミルク)を与えることが多いが、1,500グラム未満で生まれた赤ちゃんの未熟な腸にとって人工乳は負担が大きく、日本小児科学会新生児委員会が2015年に行った「ハイリスク新生児調査」では、1年で41人(超低出生体重児)が壊死性腸炎・消化管穿孔により命を落としている。
また、人工乳には腸の機能をサポートするヒト由来のオリゴ糖などが含まれていない。「小さく生まれた赤ちゃんにとって母乳は、単に栄養を摂るだけでなく、さまざまな病気を防ぐための薬の役目があります」と水野さんは話す。
「人工乳は中心静脈(※)カテーテルを介して赤ちゃんに与えるのですが、カテーテルを入れている時間が長くなるほどお腹の動きが悪くなり、肝機能障害や感染症のリスクも高まります。一方、母乳を与える際は、注入器を使ってお腹から栄養を吸収します。こうしてお腹を適度に刺激しながら腸の粘膜を鍛えることは、赤ちゃんの成長にとってとても重要なのです」
- ※ 心臓に最も近く、直接心臓へ流入する大きな静脈
長い間、小児科医としてNICU(新生児集中治療室)に勤務していた水野さん。これまでに多くの極低出生体重児の治療に関わり、生まれてすぐに亡くなってしまった赤ちゃんも少なくなかったという。
そんな水野さんが、日本における母乳バンクの可能性を感じたのは、2005年に留学先のオーストラリアで母乳バンクの立ち上げを目の当たりにしたことがきっかけだ。
「母乳バンクができたことにより、壊死性腸炎の割合が減少していったんです。ちゃんとした実証データも得られたので、日本にも必要だと感じました」
帰国後、学会などを通じて母乳バンクの必要性を訴える中で、メディアで取り上げられるようになり、少しずつ注目されるようになった。そして10年近くかけて供給体制を整え、2014年に水野さんが勤務する昭和大学江東豊洲病院内に、日本初の母乳バンクが誕生。当初はドナーもレシピエント(提供を希望する人)も同病院に通う患者に限定されていたが、他の施設からも導入したいという声が増え、少しずつ活動は広がっていった。
2020年4月には、ベビー用品大手のピジョン株式会社(外部リンク)による全面的な支援により、同社の本社1階に2拠点目となる「日本橋 母乳バンク」を開設。設備も充実し、以前の4倍量のドナーミルクを保管できるようになった。
ドナー登録に協力する人も年々増え、2021年度は254人の母親が参加。ドナーになるための条件は、わが子に与える分よりも多く母乳が出ること。また、これまでに輸血や臓器移植を受けていないこと、過去3年間に白血病やリンパ腫など悪性腫瘍の治療歴がないことなど、安全なドナーミルクを届けるために、さまざまな基準が設けられている。
「ドナーの中には、元気な赤ちゃんを産んだお母さんだけでなく、極低出生体重児のお母さんもいます。ご自身のお子さんは生後間もなく亡くなってしまったけれど、小さく生まれた赤ちゃんの役に立ちたいからという方もいらっしゃいました。ドナーミルクは、赤ちゃんだけでなく、お母さんにとっても『救い』のような一面があるのかもしれません」
全国各地のドナーから寄付された母乳は、専用パックに入った冷凍状態で母乳バンクへ届けられる。ドナーミルクが入ったパックは一つ一つ消毒、混入物がないか入念にチェックされた後、マイナス30度に設定された医療用冷凍庫で保管。その後、医療用冷蔵庫で一晩かけて解凍し、専用ボトルに詰め替え62.5度で30分かけて低温殺菌処理を施す。
保管中や殺菌中の温度管理やデータチェックの徹底に加え、殺菌処理の前後には細菌検査を行い、クリアしたものだけがドナーミルクとして赤ちゃんに届けられる、安心・安全な仕組みだ。
ドナーミルクに支えられたレシピエント家族の想い
実際にレシピエントとして母乳バンクを活用した2人のお母さんに話を聞くことができた。
池田さんは、妊娠29週目で早産になり、緊急帝王切開を行い出産した。
「私がドナーミルクを使ったのは、自分の母乳が出るまでの数日間です。おかげさまで出生時、1,032グラムだった赤ちゃんの体重は3,000グラムを超え元気に育っています。母乳バンクの存在は知っていたのですが、利用して初めて仕組みを知りました。極低出生体重児にはさまざまな疾患のリスクがあり、小さく生んだことでわが子につらい経験をさせてしまっているという申し訳なさと、すぐに母乳をあげられないつらさで、一時期は暗い気持ちになりましたが、母乳バンクの存在がその不安を和らげてくれました。母乳バンクが利用できる環境で出産できたことはとてもありがたかったです」
池田さんは、母乳バンクが制度化されて、ドナーミルクがいつでも必要な母親や赤ちゃんに届けられる社会になってほしいと願う。
もう1人のレシピエントである田辺さんは、予定より3カ月も早く出産することになった。生まれた時の赤ちゃんの体重は約600グラムしかなかったという。
「母乳が出るまでの1~2日間ドナーミルクを提供してもらいました。帝王切開手術後は意識がないので、代わりにパパが母乳バンクの説明を受け、同意書に記名しました。実は、それまで私もパパも母乳バンクのことを全く知らなくて…。正直なところ、はじめは自分以外の母乳をあげることに不安や抵抗もありました。ただ、この子を助けたい、その一心でした。今となっては、母乳バンクがあって本当によかった!と思っています。妊娠中は、本当に何が起こるか分かりません。私も緊急帝王切開手術になるまでは順調で、普通に出産できるだろうと思っていました。これから妊娠、出産を経験される方には、ぜひ事前に母乳バンクやドナーミルクについても知っておいてほしいです」
これから出産を迎える母親にとって、母乳バンクの存在を知っているだけで、きっと心の支えになると田辺さんは話す。
生まれた赤ちゃんを「みんなで育てる」社会に
日本の新生児医療のレベルは世界的に見てトップクラスであるにもかかわらず、公的機関としての母乳バンクは存在しない。一方、世界には50カ国600カ所以上の母乳バンクがあり、保健システムとして制度化されている国もあるという。
「子どもは国の宝です。日本の状況を変えるためには、国全体が『みんなで赤ちゃんを育てる』と意識を変える必要があります」と、語る水野さん。
水野さんを中心に母乳バンクの活動は広がり、2020年度は203人、2021年度は500人を超える赤ちゃんにドナーミルクを提供することができた。ドナーの数も増えて、「日本橋母乳バンク」の保管用冷凍庫は常にいっぱいだというが、ドナーミルクを必要とする全ての赤ちゃんに届けるには、まだまだ不足している。
日本財団母乳バンクの開設によって、さらに母乳バンクの周知、普及を拡大したいと話す水野さん。現在(2022年2月時点)、ドナーミルクを導入しているNICUは約50カ所。全国には約250のNICUがあり、医師の理解を深めることも重要だと話す。
「まずは私たちがドナーミルクの安全性や、極低出生体重児に利益があるという研究結果を示す必要があります。また、全国にドナー登録ができる施設がまだ19カ所しかありません。今後は各県に1カ所以上のドナー登録拠点をつくり、ドナーになりたい方の気持ちにも寄り添えたらと思います」
2022年4月1日より本格的に稼働する日本財団母乳バンクは、Class 6(※)のクリーンルームに最新鋭の母乳低温殺菌処理器を備え、常時5,000リットル以上の母乳を保管できる国内最大規模の母乳バンクとなる。さらに、併設されたラボにおいて超早産児・極低出生体重児の成長を促すドナーミルクの栄養価や⽣理活性物質量を測定分析することで、オーダーメイドのドナーミルクを提供できる研究体制を構築する。
- ※ 国際統一規格であるISO規格では1~9までクラスを分類。数値が高いほど性能レベルも高くなる
最後に水野さんは、「昔の日本のように、みんなで子どもを守り、育てる社会に戻したい。その上で『母乳バンク』が流行語になるくらい、日本にも浸透してほしいですね!」と笑顔で話す。
母乳バンクを利用できるのは1,500グラム未満の極低出生体重児と限定されているが、心配のない体重で赤ちゃんを産んだ母親の中にも母乳が出ないなどの悩みや、子育てに不安を抱えている人は決して少なくない。
全ての赤ちゃんが、安全に生まれ、育てられる社会になってほしいと心から願う。
撮影:十河英三郎
〈プロフィール〉
水野克巳(みずの・かつみ)
1987年に昭和大学医学部卒業。1993年にアメリカへ留学し、カリフォルニア州トーランスにあるHabor-UCLAメディカルセンターの研究員として勤務、1994年からはマイアミ大学のジャクソン記念病院にて研究員として勤務。1995年に帰国後、葛飾赤十字産院小児科にて勤務、1999年に千葉県こども病院新生児科医長を務めた後に、2005年に昭和大学医学部小児科准教授、2014年 昭和大学江東豊洲病院教授、同病院のこどもセンター長を務める。同年7月に日本初の母乳バンク開設。2017年に一般社団法人日本母乳バンク協会を設立。2021年4月、一般財団法人日本財団母乳バンクの開設と共に理事長に就任。
一般財団法人日本財団母乳バンク 公式サイト(外部リンク)
一般社団法人日本母乳バンク協会 公式サイト(外部リンク)
- ※ 掲載情報は記事作成当時のものとなります。