日本財団ジャーナル

社会のために何ができる?が見つかるメディア

持続可能な酪農から生まれた絶品チーズケーキ。美味しさの秘密は「放牧」にあり

写真
北海道日高町にあるユートピアアグリカルチャーの放牧牧場(左)と完売必至のチーズケーキ「CHEESE WONDER」
この記事のPOINT!
  • 労働人口の減少、環境への負荷、コスト高による経営難。日本の酪農は多くの課題を抱えている
  • 自然環境の回復につなげる放牧酪農は、日本の酪農が抱える問題解決の鍵を握っている
  • 持続可能な酪農を追求しながら、人にも動物にも地球にも優しいお菓子作りを目指す

取材:日本財団ジャーナル編集部

乳製品に肉や卵、そしてそこから作られるお菓子など、私たちの生活と切り離せない酪農。そんな日本の酪農が今、多くの課題を抱えている。

例えば、3K(汚い、きつい、危険)による労働人口の減少、牛や酪農運営において発生する二酸化炭素やメタンガス(温室効果ガス)による環境への負荷、外部飼料を購入し続けるというコスト高の財務的な経営課題、牧舎に入れっぱなしによる牛の健康問題、土地の確保や資金面など拡大しにくいビジネス構造などが理由で、日本の酪農は衰退傾向にある。

そんな中、株式会社ユートピアアグリカルチャー(外部リンク)では、北海道・日高町で自然環境の回復に貢献する「リジェネレイティブ・アグリカルチャー(環境再生型農業)」に取り組み、持続可能な酪農のビジネスモデルの構築に挑戦している。

循環型の放牧酪農により生み出された牛乳を使った、人にも動物にも地球にも優しいチーズケーキ「CHEESE WONDER(チーズワンダー)」(外部リンク)は2021 年2月の販売開始以来、即完売という人気ぶりだ。

今回は、同社の代表である長沼真太郎(ながぬま・しんたろう)さんに、これからの酪農の在り方やお菓子づくりにかける思いについて話を聞いた。

美味しいお菓子を追求する中でたどり着いた放牧酪農

北海道の洋菓子店「きのとや」の創業家に生まれた長沼さんにとって、子どもの頃からお菓子は特別な存在だった。現在でも「美味しいお菓子を作り、食べる人を笑顔にする」ことが使命だと言う。

長沼さんが2013年に立ち上げた、焼きたてチーズタルト専門店「BAKE」は瞬く間に大ヒット。その後も「PRESS BUTTER SAND」や「RINGO」などお菓子のスタートアップ(※)として多くの人気スイーツを手がけ、2017年に株式会社BAKEの代表取締役を退任する。その後はアメリカ・スタンフォード大学の客員研究員を経て、2020年にきのとやのグループ会社であるユートピアアグリカルチャーに参画した。

  • スタートアップとは、革新的な技術やアイデアで急成長する組織のこと

現在、取り組むリジェネレイティブ・アグリカルチャーとは、農地の土壌を健康に保つだけでなく、土壌を修復・改善しながら自然環境の回復を目指す農業のこと。現在、日高町にある牧場で約80頭の乳牛を放牧で飼育しているほか、別の場所では平飼いで養鶏も行っている。

写真
ユートピアアグリカルチャーの放牧牧場では、のびのびと乳牛が飼育されている

「美味しいお菓子を作るためには『フレッシュな状態で提供する』『手間を惜しまない』『とにかくいい原材料を使う』という3つの原則があります。3つ目の『いい原材料』を追求する中でたどり着いたのが、放牧酪農でした」

写真
放牧酪農について説明する長沼さん

放牧酪農にはメリットが多い。広大な牧草地で、主に青草を食べてのびのびと育つ牛の牛乳は香りが良く、栄養価が高いという。牧草地には牛たちが排出する糞に加えて鶏の糞もまき、その上を牛たちが歩き回ることで土壌が肥えて、また良質な牧草が育つという循環する仕組みだ。

また、近年の研究では適切に管理された土壌は二酸化炭素を吸収することが分かってきており、同社では「放牧によって牛が出すメタンガスの排出量を相殺できる」という仮説のもと、土壌の研究をはじめ、日本の酪農が抱える課題を解決するためのさまざまな実証実験を行っている。

写真:牧場の土壌調査を行うユートピアアグリカルチャーのスタッフ
ユートピアアグリカルチャーでは放牧酪農が土壌の質にどのような影響がもたらすか調査・研究を行っている
イラスト:
牛が草を食べる→糞が肥料となる→牛が草を踏む(良い牧草が育つ)→良い牧草食べた牛から良いミルクが出る→工場へ→お菓子になる・お菓子から出たくずが養鶏の餌になる→養鶏の糞が肥料となる(牛が草を踏むにつながる)
お菓子をお客様が購入→売上に→放牧酪農に投資→放牧酪農は牛のゲップやおならから排出される二酸化炭素やメタンガスを吸収する
ユートピアアグリカルチャーが目指す、持続可能な酪農を中心とする循環型のビジネスモデル

「放牧式の有効性が実証できれば、持続可能な酪農の実現にかなり近づきます」という長沼さんは、手つかずになっている耕作放棄地の有効活用に加え、放置された山林を牧草地として再生することで野生動物の住宅地への侵入や、近年豪雨などの影響で増加する土砂崩れを防ぐ効果なども期待できると確信している。

嗜好品だからこそ、本当にいい食材を使いたい

放牧は、牛にとってはストレスがない上、酪農家にとっても餌やりや掃除をする必要がないなどメリットが多い。さらに、製菓店をはじめ消費者は新鮮で美味しい食材を手に入れることができる。

まさに「三方よし」に思えるが、日本で放牧酪農を行っている酪農家は全体のわずか1パーセントに過ぎないという。その理由を尋ねると、「放牧酪農を教えられる人がいない」と長沼さんは答える。

「かつて人口がどんどん増えていた頃の日本では、牛乳の大量生産が求められていました。でも、今は違いますよね。日本の酪農家の多くはメガファーム(※)ですが、私自身は、これからはそれほどたくさんの牛を飼う必要はないと思っているんです」

  • メガファームとは、明確な定義は定まっていないが、年間の生乳生産量が1,000トン以上(もしく3,000トン以上)の大型酪農経営を「メガファーム」と言われている
写真:雄大な日高牧場で放牧により飼育されている牛たち
32ヘクタール(東京ドーム約7個分)の広大な敷地を持つ日高牧場で飼育する牛は、わずか80頭のみ

人口の減少により牛乳の消費量も激減。さらに、メタンガスや動物愛護の観点から畜産や酪農に対する逆風も強い。アメリカ滞在中に出会った人の中には「なぜ酪農のような前時代的なことをやろうとしているのか」と言われたこともある。その一方で、大きな気付きも得たと話す。

「お菓子は嗜好品であって、毎日口にするものではありません。日常的に食べるお肉や牛乳が植物性の代替品に変わっても、本物を使ったお菓子はこれからも残るだろうと思いました。それで、環境に負荷をかけずに酪農を行う方法はないかと調べていた時に『リジェネレイティブ・アグリカルチャー』の可能性を見出したのです」

写真
平飼いの養鶏場では5,000羽の鶏を飼育。餌の中にはお菓子を作る時に出るクッキーのくずやケーキの切れ端なども含まれる

放牧酪農の可能性を信じ、帰国後、初めて手がけた「本物のお菓子」がCHEESE WONDERだ。長沼さんが最も美味しいと考える、搾りたてのチーズムースを味わってほしいという思いから考案したもので、ザクザクとしたクッキー生地にしっとりとした生チーズスフレ、ふわふわの生チーズムースが重ねられている。

写真
毎週発売直後に売り切れるという「CHEESE WONDER」

「とてもデリケートなお菓子のため、店頭で販売するのであれば安全性と品質保持の観点で一度焼いて仕上げなければいけません。出来立てを瞬間冷凍することで焼成せずに生のままお菓子にすることができた、言わばオンライン販売だからこそ可能な、これまでにないチーズケーキと言えます」

現在、金曜と土曜の20時に販売しているCHEESE WONDERは、毎週1,700個程度(2022年4月時点)を売り上げている。今後は、お菓子の開発だけでなく、牛乳や卵など食材の販売にも力を入れていきたいと長沼さん話す。

多角的な視点から、放牧酪農の可能性を追求したい

放牧酪農の可能性を広め、従事する人を増やしていきたいと話す長沼さん。その一環として導入しているのが、「シェアミルカー制度」だ。

シェアミルカー制度とは、農場のオーナーに代わって土地を持たない牧場の運営者(ミルカー)が搾乳などの作業を行い、収入や経費を一定の割合で分配(シェア)する仕組みのこと。日本ではまだ前例が少ないが、ニュージーランドでは資金がない酪農家が就農でき、経営なども学ぶことができるとして盛んに行われている。

また、持続可能な農業の研究や普及を行う「創地農業21」(外部リンク)が開催する勉強会においても、放牧酪農にまつわるさまざまな情報発信を行っている。ビジネスとしての可能性について「時代が変化するにつれ、本物の食材を求めるお客さまは今後ますます増えるでしょう。放牧に特化した乳業ブランドの需要も高くなると考えています」と語る長沼さん。

2022年2月には森林を再生させながら放牧や養鶏を行う「FOREST REGENERATIVE PROJECT(フォレスト・リジェネラティブ・プロジェクト)」も始動した。自社が目指す「地球、動物、人に優しい牧場運営」が都市部に近い森林地帯でも可能か、実証実験を行う予定だ。

画像
2月に始動したFOREST REGENERATIVE PROJECTのイメージ画像。©︎DOMINO ARCHITECTS

「私にとって重要なのは、美味しいお菓子を追求し続けることなんです。本当に美味しいものを作れば、必ず買ってくださる方がいる。売り上げが増えれば、規模を拡大でき、規模が大きくなれば、さらに大きな問題に取り組むことができます。時間をかけて、広い視野で日本の酪農の発展と、美味しいお菓子づくりに努めていきたいと思います」

写真:牛たちのいる牧場に笑顔で立つ長沼さん
美味しいお菓子作りと持続可能な酪農を追求する長沼さん

酪農が抱える経営課題や環境問題解決の大きなヒントとなるユートピアアグリカルチャーが展開する循環型の放牧酪農。この持続可能なビジネスモデルが広がれば従事する人も増え、日本の酪農が躍進する可能性を大いに秘めている。これからの長沼さんたちの挑戦に注目したい。

写真提供:株式会社ユートピアアグリカルチャー

〈プロフィール〉

長沼真太郎(ながぬま・しんたろう)

1986年、北海道生まれ。慶應義塾大学商学部を卒業後、2010年に丸紅株式会社に入社、2011年に同社を退社し株式会社きのとやに入社。2013年にお菓子のスタートアップ株式会社BAKEを創業し代表取締役に就任。2018年に同社を退社、スタンフォード大学客員研究員を経て、2020年に株式会社ユートピアアグリカルチャーの代表取締役として再始動。
株式会社ユートピアアグリカルチャー コーポレートサイト(外部リンク)
CHEESE WONDER 購入ページ(外部リンク)

  • 掲載情報は記事作成当時のものとなります。