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トイレが変われば社会も変わる? トイレ建築の第一人者・小林純子さんと考える、公共トイレの未来
- 実際に設置される場所(街)、そこで暮らす人のことを知らなければ、愛されるトイレは作れない
- 作り手や管理者、利用者全てが愛着を持ってもらうプロセスを踏むことが、快適な公共トイレの普及と維持に
- 東京・渋谷区のトイレを生まれ変わらせるTHE TOKYO TOILET。すでに落書きや器物損壊などの被害が発生
取材:日本財団ジャーナル編集部
日本のトイレは清潔で世界でも最先端の技術を誇る一方で、いまだに「暗い」「汚い」「臭い」「怖い」といったマイナスイメージが付きまとう公共トイレ。2020年8月に発表された日本財団の「THE TOKYO TOILET」(外部リンク)プロジェクトでは、こうした公共トイレのイメージを覆すべく、性別や年齢、障害の有無にかかわらず、誰もが快適に使用できるトイレを設置し、多様性に富んだ社会の実現を目指している。
本プロジェクトは、安藤忠雄(あんどう・ただお)、隈研吾(くま・けんご)といった16名の世界的建築家やデザイナーが参画し、渋谷区内17カ所の公共トイレを生まれ変わらせる。
通称タコ公園にあるイカの形をイメージした休憩所機能を兼ね備えたトイレや、夜になると人通りが少なくなる緑道に行燈のように明るく灯るトイレなど、デザイン性と機能性に優れた個性豊かなトイレが生まれてきた。
しかし、毎日プロの清掃員によるメンテナンスが行われているにもかかわらず、すでに落書きや器物損壊などの被害が発生している。
今回は、2023年3月10日に完成した東京・渋谷区にある笹塚緑道公衆トイレのデザインを手掛ける、日本のトイレ建築の第一人者・小林純子(こばやし・じゅんこ)さんに、公共トイレを美しく保ち続け、みんながいつまでも快適に利用できるヒントにつながるお話を伺った。
公共トイレは、全ての人に開かれた個室
学校や交通機関、商業施設などこれまでに200を超えるトイレを手掛けてきた小林さん。1988年に、瀬戸大橋の開通に合わせて5億円をかけた公共トイレ「チャームステーション」の設計をきっかけに、さまざまな公共・公衆トイレの建築に携わるようになった。
「変革当初は1980年代初めで、今まで人の前でトイレのことを語るのがタブーと言われた時代に、お尻も洗ってほしいとのコマーシャルと共に温水洗浄便座など新しい機器が登場した時代でしたが、公共トイレはまだ、便器と手洗い場さえあればいいという状況でした。デザインも画一化されていて、人間の生理機能にとって必要な場所であるにもかかわらず、臭いや汚れ、怖さで、鼻をつまみ、できるだけ早く出ることを考えてしまうトイレが多く存在していました」
幼い子どもやお年寄り、障害のある人など、一人一人、置かれた状況によってトイレに求めるものは違うのに、それらにはまだ対応できていなかったという。
「いろいろヒアリングしてみると、男性と女性ではトイレに対するこだわりが異なることも分かりました。おそらく体の構造の違いもあって、女性の方が安全性や清潔性に敏感でした。既成概念を取っ払って、利用者はどんなトイレがほしいのだろうと思ったのですが、当時はなかなか良き参考例が周辺にありませんでした。そこで、改めて自分に私はトイレに何を求めるかと問うたことを覚えています。そして行き着いたのが、トイレの在り方とは、単に排泄のための場所ではなく、ホッとひと息ついたり、リフレッシュできたりする街の中の『小さな個室』であることでした」
しかし、公共トイレは、少し異なる。不特定多数が多く利用し、実際は「必要に迫られなければ使わない」という声が多く、タクシーの運転手など一部の人を除いてほとんど利用されていない場所だ。
「一般の方にアンケート調査を行うと、汚い、臭いというイメージが拭いきれず、新しくできたトイレを見ても近寄りたくないという声も多く聞かれます。深く根付いてしまったマイナスイメージを変えるには、思わず『入ってみたい!』と感じるような、インパクトのあるデザインのトイレが必要だと思いました」
ほんの数分間しか滞在しない場所ではあるが、だからこそ優れた機能性と心に訴えかけるデザインが重要だと小林さんは繰り返す。
現地調査を経て生まれ変わる笹塚緑道公衆トイレ
THE TOKYO TOILETで小林さんがデザインを手掛ける笹塚緑道公衆トイレは、以前は駅前にありながら薄暗く、どちらかというと陰気な雰囲気の佇まいだった。
「これは公共トイレ全般に言えることですが、室内に窓がなく閉塞感がありました。そこで、抜け感のあるデザインと、長く使われて古くなっても『ここにいるよ、みんなのことを見ているよ』という存在感があるトイレにしたいと考えました」
日本財団のTHE TOKYO TOILETでは、トイレを改修する際、全ての場所において地元町内会への事前説明を行い、住民の方たちの理解を得ることを重視している。
小林さんもトイレを設計する際には、どんな場所であっても必ず現地で利用者調査を行うという。実際にそのトイレが設置される街の様子や近辺を歩く人、実際に利用しそうな人のことを知らなければ、その土地で愛されるトイレは決して作れないと考えているからだ。
「一般的に公共トイレは男性の利用が多いのですが、笹塚緑道公衆トイレは意外にも女性の方も多く使われていました。また、トイレがある場所の前は、子どももたくさん通ります。子どもは急を要したら待ったなしですから、安心して利用できるようにするための専用トイレも作ろうと決めました。このトイレの外壁には、耐候性鋼板を使用しました。表面が特殊な『さび』で保護され、長期無塗装のまま耐えることができ、年月を経れば経るほど、茶色の色合いが深まり、味わい深くなる材料です。赤さびた表情が力強く街のシンボルになってくれたら、とてもうれしいです」
笹塚緑道公衆は、男性用、女性用、ユニバーサルブースに加え、入口側に子ども専用のトイレを設けた。照明にも工夫を凝らし、暗くなれば街を優しく照らす役目も果たす。
このトイレは、笹塚の街に暮らす人にとって、なくてはならない存在になるだろう。
公共トイレが「自分のトイレ」と認識される社会に
快適な公共トイレを維持し、普及させるためには、設計者をはじめ、施工者、利用者、メンテナンスに携わる人など、そのトイレに携わる全ての人が「これは自分のトイレだ」と愛着を持つことが重要だと、小林さんは言う。
「利用者にとって快適でなければ、自分のトイレだとは思えませんよね。設置される場所や環境によって、利用者の層や求められるトイレの在り方も変わります。作り手や管理する側は、まずはそれを理解することが必要です。そのためには周辺住民や、清掃者などトイレを毎日見守り、メンテナンスに携わる人の声に耳を傾けること。そこから課題を見つけ出し、解決していくことが大切だと思います」
小林さんはTHE TOKYO TOILETが日本の公共トイレが変わるきっかけになってほしいと期待を込める。
「きれいなトイレを維持するのは本当に大変なことです。お声がけいただいた当初から私は、公共トイレはメンテナンスが命だと訴えました。しかし、このプロジェクトではこまめにメンテナンスを行い、記録もされている。これまで自治体がこれほど公共トイレに力を入れた事例はなかったと思いますし、17カ所分のトイレのデータを集積すれば財産となり、日本の全ての公共トイレが抱える課題を解決するための大きな鍵になると思います。これまでほとんど無関心だった利用者の意識改革にもつながるのではないでしょうか」
小林さんが耳にしたある調査によると、学校のトイレがきれいになったらいじめがなくなったという。理由には、利用する生徒が増えて人の目が行き届くようになったことに加え、一人一人が「自分のトイレ」と認識するようになったことで、いじめの抑制につながったと考えられている。
公共のトイレが変われば、人との関わりや社会的風土も変わる。作り手や管理する側だけでなく、トイレを利用する私たち一人一人が、その鍵を握っているのだ。
〈プロフィール〉
小林純子(こばやし・じゅんこ)
一級建築士事務所 有限会社 設計事務所ゴンドラ代表。トイレは「開かれたみんなのオアシス」という考えのもと、性別や国籍、年齢などにとらわれず、全ての人が快適に過ごせるトイレ建築を行っている。小田急線新宿駅西口の客用トイレはIAUD 国際デザイン賞2020の公共空間デザイン部門において金賞受賞。「心に響く空間 ~深呼吸するトイレ~」(弘文堂)ほかトイレにまつわる著書も手がけている。
有限会社設計事務所ゴンドラ 公式サイト(外部リンク)
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