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祖国から離れた遠い地で働くことを決めたウクライナの若者たち。心の支えは “同窓”
- 帰国した避難民の若者もいるが、日本で長期生活を決意し就職した人も一定数いる
- SPIテスト(※1)、メンバーシップ型雇用(※2)など、日本独特の就職の仕組みが壁に
- 新しい環境に身を置く若者たちにとって「人とのつながり」は、大切な心の支え
取材:日本財団ジャーナル編集部
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1.「Synthetic Personality Inventory」の略。「総合適性検査」で、一般社会人として広く必要とされる資質(性格・能力)を測定する
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2.終身雇用を前提に総合職を採用し、配置転換しながら経験を積ませる日本型雇用の典型
ウクライナから日本へ避難してきた人たちへの日本財団の支援を活用するほか、クラウドファンディングなどを活用し、避難民学生をサポートしているのが福岡県にある日本経済大学です。
2022年度は71名の避難民受け入れを実施。そのうち68名は、同校が2020年から交換留学制度を実施しているウクライナのキーウ国立言語大学とリヴィウ国立工科大学の学生たちです。
授業料の全額免除や寮の無償提供、ウクライナ人教員の雇用など、大学を挙げて学生たちをサポートし、2023年3月には大学4年生にあたる13名のウクライナ人学生が卒業を迎えました。
そしてウクライナへの帰国を選んだ3名を除き、残る10名が日本で働くことを決意。今回は、新社会人となった2名と内定を獲得した1名のウクライナ人学生に、避難を経て、日本での就職を選んだ理由や、同窓生・先生とのつながりについてお話を伺いました。
また、ウクライナ人学生の勉強や就職の支援にあたった、日本経済大学国際部で准教授を務める松﨑進一(まつざき・しんいち)さんにも、避難民の若者を支えるための視点について伺いました。
[ウクライナ人卒業生・在学生紹介]
カテリナ・ボジョクさん
キーウ国立言語大学日本語専攻。日本経済大学を卒業後、2023年4月より、商船で資源輸送を行う海上運送企業に就職。
マルガリータ・ダガエヴァさん
キーウ国立言語大学日本語専攻。日本経済大学に在学しながら就職活動中。2023年6月現在2社から内定を獲得。
カテリナ・エクザルホヴァさん
キーウ国立言語大学日本語専攻。日本経済大学を卒業後、2023年4月より、信販会社の国際ブランディング部門に就職。
ウクライナとは違う日本の“就職”の仕組みに驚き
――まずは、日本の大学生活について率直な感想をお聞かせください。
エクザルホヴァさん(以下、敬称略):私たちは3人とも、キーウ国立言語大学の日本語専攻出身で、ウクライナでも日本語を勉強してきました。それでも、日本語しか通じない環境で学ぶのは初めてのことです。
大変でもありましたが、もともと交換留学をしたいという希望を持っていましたので、いい経験になったと思います。
ダガエヴァさん(以下、敬称略):来日してすぐ、日本は想像していたとおり素敵な国だと感じて嬉しかったのを覚えています。
最初は日本人とコミュニケーションがうまくとれなくて悩んだこともありましたが、自分からお店の人に積極的に話しかけるなどして少しずつ会話のスキルを伸ばし、今ではだいぶ上達したと思います。
私たち3人は部活も一緒で、和太鼓部のメンバーなんですよ。
ボジョクさん(以下、敬称略):博多駅前や太宰府市で演奏したり、ウクライナ大使の前で披露したりしたこともありましたね。人前に出る機会で鍛えられたせいか、以前よりも緊張しなくなりました。
大学生活で勉強やアルバイト、就職活動まで経験したことで、日本に来て大人として独り立ちできたように感じています。
――日本では就職活動にも取り組み、採用・内定に至っていますね。採用プロセスや文化背景が異なる中で、どういった点に苦労しましたか?
ダガエヴァ:私はまだ学生で就職活動中の立場ですが、最初の内定がもらえるまではかなり苦戦しました。SPIテスト(総合適性検査)には苦手な数学がありますし、緊張しやすい性格なので集団面接で大勢の前で自分のことを話すのにもなかなか慣れなくて…。
エクザルホヴァ:大学での勉強もあるのに、それと並行してSPIテストの勉強をするのは時間的にも大変でした。
びっくりしたのは、就職するのに性格のテストもあることです。違う会社を受けるたびに同じようなテストを受けるのは面倒だな、とも感じましたが、ウクライナ人として日本でこういう経験をするのも面白い、と捉えています。
ボジョク:私は最初に受けた会社で内定をもらえたので、そこまで苦労は感じませんでしたが、そもそも“内定”という仕組みがよく分かっておらず、先生に「もう合格したんだよ」と教えてもらうまで、他の会社を探し続けてしまったとことがありました。
ウクライナとの就職の仕組みの違いには驚かされましたね。
――エクザルホヴァさん、ボジョクさんはすでに社会人としての生活が始まり、ダガエヴァさんも来年(2024年)には就職を予定しています。3人とも仕事を通じてどんなことを実現させたいですか?
エクザルホヴァ:入社後の研修が終わり、今は担当部署に配属されたばかりです。日本人に交じってメールのやり取りや事務作業をしながら、仕事の基礎を学んでいます。
これまで学んできた語学やコミュニケーション力を生かした仕事をしたい、というのが私の願い。これからキャリアアップして、国際的なキャンペーンの企画なども提案できるようになっていきたいです。
ボジョク:私も日本人の同期生と一緒に研修を終えて、現在は物流を行う船舶のオペレーターとしての知識を学んでいる最中です。
今の仕事は、世界中の人々を助けることができる業務としてもともと関心を持っていました。例えば昨年、ウクライナには十分な穀物があるにもかかわらず、貨物の移送が難しくなりました。もしそれをアフリカに届けられる物流ルートがあったなら、飢餓の解消に役立てられたかもしれないのです。
船員の生命の安全を守りながら、莫大な金額に相当する貨物を安全に移送するオペレーターの責任は重大です。間違いがあってはいけないと日々緊張しながら学んでいます。
ダガエヴァ:私は長年、環境問題に関心がありましたが、ウクライナにいた時はその関心と、学んできた日本語や翻訳のスキルを生かす方法が分からずにいました。
しかし日本に来たことで、環境を改善することを仕事にしている企業があると知り、現在はそういった会社を中心に就職活動をしています。
将来、ウクライナはもちろん、さまざまな国の環境を良くし、人と自然とをつなげる仕事ができれば、というビジョンを持っています。
大変な経験を共有した仲間だから、絆も強くなった
――ウクライナから避難し、生活環境が大きく変わる中で、大学の友人たちの存在は皆さんにどういう影響を与えていますか?
エクザルホヴァ:まさかこんな形で来日することになるなんて想像もしていませんでしたが、キーウで日本語を勉強してきた友だちたちとみんなで福岡に来られたのが一番嬉しいことかもしれません。
もし私1人だったら「どうしよう……」と思っていたはずですし、大学の寮で一緒に過ごした時間でさらにつながりが深くなりました。
ボジョク:就職してバラバラに住むようになりましたが、今でも友人同士「会社でこんなことがあったよ」「面接受けたよ」とか、近況報告をし合っているんです。私たちウクライナ人は大変な経験を共有している分、絆も強いので、その関係をこれからも大事にし続けたいです。
ダガエヴァ:友だちはもう家族と変わらない存在ですね。いつも飾らない気持ちを話していますし、悩みがあったらすぐに相談します。彼女たちのアドバイスで自分にはない新しい発想が広がるので、いつも助けられているんです。
――大学時代の恩師である松﨑進一先生とも、今でも連絡を取りあっているそうですね。
エクザルホヴァ:就職活動をするにあたり、履歴書の書き方や面接での受け答え、どういう目線で会社を選べばいいのか、など松﨑先生は“サポート”以上の本当にいろいろなことを手伝ってくれました。
ボジョク:就職した今でも「新しい生活には慣れましたか?」と時々メールをくれるんですよ。もう卒業して先生の教え子ではないのに、そうやって気にかけてくださるのを感じると温かい気持ちになります。
ダガエヴァ:私はまだ大学にいるので、松﨑先生とは毎日お話しし、ビジネスマナーなどたくさんの質問をさせてもらっています。
同級生たちが卒業する時、先生が「日本には同窓会というものがあり、同じ学校の卒業生が定期的に集まる」と聞きました。人生の一部を共有した友人たちと再び出会えるのはすごく嬉しいことですし、このつながりをこれからも大切にしたいので、ウクライナ人卒業生でときどき集まろうね、と話しているんです。
――日本での経験を、今後ウクライナの未来にどのように役立てたいと考えていますか?
ボジョク:日本という国に来て、仕事を見つけ、自分でアパートを探すなど、さまざまな新しい経験をして本当に成長できたし、自信もつきました。
現在、ロシアからの天然ガス供給が遮断され、ヨーロッパでは燃料不足が問題になっていますが、今の会社は燃料の運送も手掛けています。これから仕事の知識を広げていけば、ウクライナをはじめ世界の国々をサポートすることにより深く関わることができる、と考えています。
ダガエヴァ:避難は大変な経験ではありましたが、そのことは、私たちが持つ多くの可能性のドアを開けてくれました。異国の地で働く機会を得られましたし、異なる社会背景を持った人たちとコミュニケーションを取ることで、世界情勢に対する理解も深まるだろうと思います。
就職活動で生まれた「人と環境をつなぐ仕事をする」という新しい目標を通じて、将来ウクライナの街を復興することにも関われたら、という思いを抱いています。
エクザルホヴァ:今の私たちは安全な日本に来て、学びの場や仕事も見つかり、本当に恵まれた生活ができています。しかしウクライナにいる人は今も本当に大変な思いをしています。
日本人と話していると、「もう戦争って終わったんじゃないの?」と言われることもありますので、私たちの存在をきっかけにウクライナのことを知って、サポートしてもらえるよう今後も働きかけ続けたいです。
一律で課せられるSPIテストに、優秀な学生も苦戦
今回は日本で働くことを決意した3人の声を聞きましたが、その決断に至るまでウクライナ避難民学生たちはさまざまな壁を乗り越えてきています。
就職活動を含め、彼女らをサポートしてきた日本経済大学国際部・准教授の松﨑進一さんにお話しを伺いました。
避難から1年。1つの壁となるのは「日本に残るか・帰国するか」の選択です。日本経済大学で受け入れた68名のうち、現在は約4割のウクライナ避難民学生が帰国。その理由は、国に残してきた両親に対する思いだと言います。
「帰国希望者が多いのは1・2年生ですが、彼らはまだ17~18歳です。着の身着のまま日本に来たものの、ウクライナの戦況が一進一退する中で家族と離れて過ごすうち、『両親に会いたい』という純粋な思いが募るのは無理もないことだと思いました。大学ではウクライナ人の心理メンターによるサポートも行いましたが、一定数の学生が『ウクライナに戻って両親をそばで支えたい』と帰国を希望する結果となりました」
一定数の帰国者がいることからも分かるように、ウクライナ人の学生たちは決して安穏と学んでいるのではなく「家族を残して、自分たちだけ安心な場所にいていいのか」という葛藤を常に抱えている、と松﨑さんは言います。
だからこそ、日本で就職する、という決断に至るのも家族の影響が大きいのだとか。
「戦争状態にある今のウクライナでは、希望の仕事に就けるか分からないばかりか生命にすら危険が及びます。ご家族から『安全な日本で学び続けてほしい』『日本で働いて、将来の可能性を広げてほしい』と背中を押してもらい、就職を決意した学生がほとんどではないでしょうか」
日本に残って働こうと決めた学生たちが、次にぶつかる壁は「雇用スタイルの違い」です。ウクライナを含めたヨーロッパの主流は、“職務”に適した能力を持つ人を採用するジョブ型雇用。対して日本の主流は、“会社”にマッチする人を採用するメンバーシップ型雇用だからです。
この就職アプローチの違いには、多くの学生たちが戸惑っていたのだとか。
例えば、メンバーシップ型雇用である日本企業には、“下積み”期間を設けている場合があります。例えばメーカーなど生産小売業の場合、仮に企画職として採用されたとしても、入社後2~3年はまず店舗で販売職を経験して、お客さまと直接関わる現場を学んでもらう、といったプロセスは決して珍しくありません。
しかし、担当業務の線引きが明確なジョブ型雇用が主流の国にはそういった文化がないため、「企画職で採用されたのだから、販売の現場に立つ理由が分からない」と考えがちな傾向があります。まずは日本企業における下積みの必要性について理解してもらうことに苦労したのだそうです。
「当初は私自身がそういった違いを認識できておらず、『こんなにいい企業にチャンスがあるのに、なぜそんな理由で行きたくないというんだろう』と不思議に思ったこともありました。しかし学生たちは、決してわがままな気持ちでそう言っているのではなく、そういう就職文化が彼らにとっての当たり前なのだ、と分かってとても反省しました」
日本で働きたい外国の若者を迎え入れるうえで、郷に入れば郷に従えと日本の常識に合わせさせるのではなく、違いを理解した上でのサポートをする必要がある、と松﨑先生は話します。
「私に相談しに来るまで、彼らは十分思い悩んでいますし、不安も感じています。もし、日本の常識に照らし合わせて間違った理解の上で判断をしているのだとしても、いったんは気持ちを肯定して受け入れる。それから後日改めて、実際に下積みを経験した先輩と話してもらう機会をつくるなどの対応をするようになって、学生側の受け止め方にも変化が出てきました」
また、メンバーシップ型雇用は多くの学生に門戸を開く分、SPIテストを行って一定ラインで足切りを行います。この仕組みもウクライナ人学生にとっては難関だったそうです。
「学生たちは日本語を学びながら、SPIに出てくる国語や数学も勉強し、場合によっては日本の時事問題や業界事情にも目を通さなくてはいけません。問題量も多いですから、準備にかかる負担は相当なものです。日本語も堪能で、学業面でも本当に優秀な学生がSPIテストで落ちてしまう場面を何度も目にし、とても残念に思いました」
ウクライナ人学生同士のつながり・支え合いを周囲もサポートできれば
母国からの避難にはじまり、慣れない環境での大学生活、外国での就職と、いくつものハードルを乗り越えて就職・内定を獲得した学生たち。卒業して終わり、ではなく継続的な心的サポートの重要性を松﨑さんは実感しています。
「卒業した学生には、だいたい月に1度くらい『調子はどうですか?』のようなメールを送っています。そんなささやかな行為ですが、思った以上に喜んでくれる。1人で社会に出るだけでも大変なのに、ましてや外国人でウクライナ人だときっと職場でも注目されるかもしれません。返答から孤独を感じることも実際ありますから、何らかの心の支えが必要だと常に意識しています」
日本には同窓会というものがある、と学生たちに教えた背景には、友人同士のつながりを強めるプラットフォームがあれば、という思いがありました。
「私のような教員よりも、同じ経験をした友人同士のつながりが深まるほうが嬉しいと思うんですよね。同級生と連絡を取りあえる枠組みさえあれば、有志も集まりやすくなる。日本経済大学で一緒に過ごした仲間とのご縁が続き、そこで自然な支え合いが生まれていくことを応援しています」
- ※ 掲載情報は記事作成当時のものとなります。