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熊本地震から10年。熊本城の「見せる復興」――壊れた姿をさらけ出し紡いだ信頼と勇気

熊本地震発災後の熊本城・天守閣
熊本地震発災後の熊本城・天守閣。画像提供:熊本城総合事務所
この記事のPOINT!
  • 熊本城の被災した姿や修復過程を公開することで、市民からの信頼と応援を生んだ
  • 復旧過程では、文化財の保存と安全性の両立、記憶の風化を防ぐ継承が大きな課題となる
  • 被災地を訪れ自分の目で見る。そして身の回りの日常の風景を見直し、記憶を語り継いでほしい

取材:日本財団ジャーナル

2016年4月に発生した熊本地震から、今年(2026年)で10年が経過します。

震災後、地域の象徴である熊本城は、重要文化財13棟を含む全33棟が被災。2052年度の復旧完了を目指し、今も工事は続いています。

熊本城は1877年の西南戦争での焼失をはじめ、幾度も被災と再建を重ねてきた歴史を持ちます。その歩みを調査研究し、次世代への継承を目指して活動しているのが、熊本市に属する組織である熊本城調査研究センター(外部リンク)です。

復旧の過程そのものが新たな歴史となりつつある今、いかに災害の記憶を次世代につないでいくべきなのでしょうか。同センター所長の岩佐康弘(いわさ・やすひろ)さんと、熊本市・復旧整備課課長の上村祐一(うえむら・ゆういち)さんに話を伺いました。

上村さんが地震直後の宇土櫓、岩佐さんが地震前の宇土櫓の写真を手にしている写真
熊本市・復旧整備課課長の上村さん(左)、熊本城調査研究センター所長の岩佐さん。上村さんが地震直後の宇土櫓(うとやぐら※)、岩佐さんが地震前の宇土櫓の写真を手にしている
  • 「櫓」とは、敵の攻撃を防ぎ、武器や物資を保管するために、曲輪(くるわ)の端の土塁や石垣の上に建てられた建物

「保存」と「安全性」の間にある、矛盾を超えて目指す復旧

――熊本城調査研究センターについて教えてください。

岩佐さん(以下、敬称略): 特別史跡熊本城跡の持つ学術的価値や特徴を、発掘調査、文献資料の調査など各種の調査・研究を通して明らかにするとともに、その成果を広く情報発信して特別史跡熊本城跡への理解を深め、適切な保存と次世代への継承を図っていくため、平成25年(2013年)に設けられました。

1877年以降の熊本城の歴史。1877年の西南戦争による焼失、1889年と2016年の熊本地震、国宝や特別史跡への指定、1960年の天守再建、2021年の天守閣復旧完了までを時系列でまとめている
1877年以降の熊本城の歴史。西南戦争での火災や、金峰山地震での被災などによって、再建を重ねてきた歴史を持つ。出典:熊本城公式サイト

――では、センター設立から3年後に熊本地震が起きたわけですね。組織としてはどのような変化がありましたか。

岩佐:平成28年(2016年)熊本地震後は、被災状況の記録をはじめ、復旧事業に先立つ発掘調査や石垣解体の際の立会調査、石垣に関する調査研究など、復旧事業に係る調査研究も担っています。

センター設立当初は、熊本城の維持管理及び運営管理を行う熊本城総合事務所とは別組織でしたが、地震の後、熊本城総合事務所内の課相当の組織として統合されました。現在は、復旧事業を主に担う「復旧整備課」と運営管理を担う「総務管理課」とともに事業に取り組んでいます。

ところで、復旧事業を進めるにあたり熊本市が掲げた基本方針の1つに「石垣・建造物等の文化財的価値保全と計画的復旧」があります。これは、文化財である熊本城においては、単に被災箇所の復旧工事を行うということではなく、文化財としての価値を損なわないように復旧していく必要があるということです。

組織ごとに見ると、「安全性」を追求する「復旧整備課」と、「保存」を重視する調査研究センターでは、熊本城の復旧という同じ目標に向かいながらも、突き詰めると異なる観点を持っているのです。

異なる観点、価値観が存在する中で、いかに効果的に、確実に復旧事業を進めていくのか。

そこで、1つの組織内で情報を共有し、日常的に議論できる体制をつくる。それがこの統合の背景です。どちらか一方が正しいのではなく、両方が納得できる着地点を見つけていく。今の体制だからこそ、それがスムーズにできていると感じます。

熊本城の地震被災状況を示したイラスト
熊本城の地震被災状況。「▲」印は国指定重要文化財、「×」印は主な崩落箇所を示す。画像提供:熊本城総合事務所

城郭構造の制約の中で進む復旧。「どこまで残すか」の判断は苦渋の作業

――地震による被害規模と、現在の復旧状況について教えてください。

上村さん(以下、敬称略):熊本城内にある全33棟が被災し、全体の復旧は3段階のスケジュールで進めています。

まず2032年度までに、重要文化財の宇土櫓や本丸御殿などの復旧を終え、2042年度までに本丸地区を重点的に復旧。最終的には、外周部を含めた全ての復旧が2052年度に完了する予定です。

現時点では天守閣と長塀、監物櫓が復旧しており、「奇跡の一本石垣」として知られる飯田丸五階櫓については、2028年度の復旧を目指して、2025年度から本体工事に着手したところです。

岩佐:復旧の順番は、被害の大小ではなく、城の構造上の制約が大きいです。道が複雑に回り込む三段構造になっているため、物理的な作業動線と予算を考慮した上で、順序を組み立てています。

「奇跡の一本石垣」と呼ばれた、地震後の飯田丸五階櫓
地震後の飯田丸五階櫓。角の石垣だけで建物を支えていたことから「奇跡の一本石垣」と呼ばれた。2026年度から本体工事に着手。画像提供:熊本城総合事務所

――石垣の被害と修復について教えてください。

上村:城内で特に深刻なのが石垣の被害です。全体面積のおよそ3割にあたる約2万3,600平方メートルで崩落や膨らみが発生しており、積み直しが必要な石は7万から10万個に上ると推計されています。

岩佐:崩落した石垣の復旧のために、まず行うことは崩落石材の回収です。そして、石垣復旧の鉄則は「元の石材(築石)を、元の場所に、元の通りに戻す」ことです。

崩落した石の1つひとつに番号を付け、崩落場所を記録しながら回収していきます。そして被災前の写真との比較や、崩落地点から地震前の位置を推測することなどにより、元の位置を特定又は推定していきます。

しかしながら、実際に積んでみると事前に推測した位置では上下の石とのおさまりがうまくいかず、石工(いしく※)さんの意見も踏まえながら積み直していく場合もあります。

  • 「石工」とは、石材の切り出しや加工等を行う職人のこと

――熊本城の復旧作業では、どのような難しさや試行錯誤があるのでしょうか。

上村:石垣の復旧作業では、計画通りに積んでいったのに、途中で不安定なことが分かり、50個以上の石を外してやり直したこともあります。

重要文化財の宇土櫓の解体では、シロアリに食い荒らされた柱も見つかりました。全ての柱を新材に替えれば安全面では安心ですが、文化財保存の観点から、使える部分はギリギリまで残し、傷んだ部分だけを新しい木材で継いでいます。

瓦も何万枚もの数を1枚ずつ叩いて音を聞き、目に見えないヒビがないかを選別して、再利用します。この「どこまで残すか」という判断は、文化財の価値と安全性の間で揺れ動く、苦渋を伴う作業です。

震災前の石垣立面図と崩落石の写真
震災前の石垣立面図(左)と崩落石。大学等が開発した位置推測ソフトの有効性を飯田丸五階櫓の復旧で検証。出典:熊本市「熊本城復旧基本計画(令和5年3月28日改定)」

職人の腕と科学の力、専門知識を結集し、議論を重ねる修復の現場

――これだけ大規模な復旧を進める上で、現場が直面している最大の課題はなんでしょうか。

岩佐:「保存」と「安全性」、2つの価値観のせめぎ合いそのものが最大の課題であり、毎日向き合い続けている核心です。今回の復旧では「新しく作り直す」のではなく、「今そこに残っている文化財をどう守るか」が問われています。

解決策は、1つひとつの事案を丁寧にクリアし、その判断に至る経緯を蓄積していくこと以外にありません。安易なスピードアップを狙って後世に恥じる方向へ進まないよう、丁寧にやるしかない。それが今の正直な実感です。

――そうした課題が現れた具体的な事例はありますか。

岩佐:地震で一部が大きく膨らんでしまった、宇土櫓の続櫓(つづきやぐら)の下にある石垣の改修方針です。合意形成をするまでに、5年の歳月を費やしました。

当初の見立てでは「石垣構築当時の貴重な技法がそのまま残っている箇所」だと考えられていました。もしそうなら、修理のために解体してしまえば昔の技術を永遠に失うことになります。

文化財としての「美しさ(意匠)」や、「中身の技法」をどう守るか。私たちは、石垣の表面を詳細に観察し、文献を調べ、過去の「修理履歴」を徹底的にひも解くとともに、この膨らんだ石垣をどう修復していくのかについて議論を進めていきました。

地震後の宇土櫓と崩落した石垣の様子
地震後の宇土櫓と崩落した石垣の様子。画像提供:熊本城総合事務所

――どのような結論に至ったのでしょうか。

岩佐:決め手となったのは「石垣そのものが語る歴史」です。続櫓下の空堀を発掘調査したところ、この石垣が4メートルほども地下に埋没しており、本来の高さは25メートルあり、かなり堀側に張り出してきていることが判りました。

この結果、石垣の変状を巾木石垣で抑え込もうとすると大変な重量物を埋没した石垣の上に作ることになり、逆に悪影響を与えかねないことが判りました。

さらには武骨な重圧感のある巾木が高石垣の意匠を損なってしまうというマイナス面への配慮もあり、これらのことから石垣の解体修理はやむを得ないこととなりましたが、、それでもなるべく古い様相を留める石垣を残せるよう、解体範囲に検討を加えて解体範囲を決定しました。

石垣の「本来の姿」や「修理履歴」が調査・研究によって明らかになってきたこと、それによって解体して積み直す以外の修理の方法がないということが分かり、ようやく方針が定まりました。2024年度から解体に着手しており、解体により石垣内部を確認した上で石垣補強などの設計に進む予定です。

――そうした修復方針の判断や合意形成は、どのように行われているのでしょうか。

上村:日本建築史、石垣や城郭の考古学などに詳しい、外部の専門家7名で構成される「熊本城文化財修復検討委員会」を中心に検討を進めています。安定性の計算データや写真、資料、全てを提示し、委員会の承認を得なければ石1個も動かせません。

かつての職人は、経験と勘で石を積んでいました。私たちが今やろうとしているのは、その「職人の勘」をいかに数値化し、現代の構造計算で安全性を裏付けるか、ということです。

取材に応じる上村さん
熊本城を築城した加藤清正(かとう・きよまさ)公にまつわる祭りや遺構が熊本には多くあり、県民は暮らしの中で自然と清正公に触れてきたという上村さん

誰もが登れる天守閣へ、ユニバーサルデザインと文化財の役割分担

――天守閣の復旧にあたり、エレベーターを導入して、誰もが登れる城を目指すという決断をされました。どのような考えからだったのでしょうか。

岩佐:天守閣は1960年に鉄骨鉄筋コンクリート造りで再建された「復元建造物」です。

当時の再建費用約2億円のうち、5,000万円を地元有志(企業、個人)の寄付で賄う計画だったものを、熊本証券金融会社の松崎吉次郎氏が5,000万円全額を寄付したという逸話もあります。また、再建に賛同した多くの市民が瓦募金を行うなど、熊本城の天守閣は、戦後復興における市民のアイデンティティの象徴だったのです。

震災後、「誰もが登れる天守閣」を目指したのは、復興のシンボルであり博物館でもあるこの場所に、障害のある方も高齢者も、誰もが内部を観覧でき、熊本の街を一望できるようにしたいという考えからでした。

以前からエレベーター設置の議論はありましたが、機械室のスペースといった物理的な問題で断念していました。しかし、技術の進歩で機器がコンパクト化し、今回の復旧でようやく導入が可能になったのです。

――その決断に対して、どのような反響がありましたか。

岩佐:もちろん「重要文化財である櫓を優先すべき」「コンクリート造の天守閣を直してどうする」といったお叱りの声も届きました。

天守閣は「復元建造物」として誰もがアクセスできる場所を目指し、宇土櫓をはじめとする重要文化財である櫓は往時の姿を留め文化財としての価値を保存する。その「役割分担」こそが、熊本城を次世代につなぐための最適解だと信じて決断しました。

2021年の公開前には、障害者団体の方々や、車いすを利用されている市議会議員の方に、修復した天守閣を内覧していただきました。車いすで最上階まで上がり、そこからの景色を見た皆さんが「ついにお城の上に来られた」と涙を流して喜んでくださった。

この決断は間違っていなかった、と確信できた瞬間でした。

取材に応じる岩佐さん
熊本城を築いた加藤清正公に初めて興味を持ったのは、熊本の地下水を支えた“治水の神”としての存在だったという岩佐さん

壊れた姿をあえて公開する「見せる復興」が生んだ信頼

――現在進めている復旧工事の現場は、一般の方が見学できる「特別見学通路」を設けて公開しています。あえて「壊れた姿」を見せ続ける意義についてお聞かせください。

岩佐:地震直後、城内の全てが危険な状態になり、立ち入りが制限されました。もしそこで、「全ての復旧が終わるまで20年間入れません」と決めていたら、熊本城は人々の記憶から薄れてしまうでしょう。

お城は地域のアイデンティティであると同時に、重要な観光資源でもあります。少しでも早く足を運んでいただくことは、地域の経済にとっても文化財の存続にとっても極めて重要でした。

また、何百億円という予算と36年という歳月をかける以上、どのような困難に直面しながら作業を進めているのかを、透明性を持って示す責任があります。そのため、工事の節目ごとに報道公開し、委員会の議論も全て公表してきました。

2023年、工事の完了時期を15年延長することになりました。その時に届いたのは、「そんなに大変なんだ」「頑張って」という励ましの声がほとんどでした。復旧の過程を公開することで、市民の皆さんが「自分たちの物語」として受け取ってくださっていたからこそだと思います。

熊本城公式YouTubeで公開している「宇土櫓を解く~解体調査成果から見える歴史~」のキャプチャー
熊本城公式YouTubeでは、宇土櫓の歴史や解体調査の成果を報告した「宇土櫓を解く~解体調査成果から見える歴史~」の動画を公開している。画像提供:熊本城総合事務所

――熊本城復旧の過程を市民に公開する中で、得られた気づきがあれば教えてください。

上村:「見える化」の重要性は、震災から学んだ大きな教訓でもあります。地震直後、重要な生活インフラである水道も壊滅的な被害を受けました。でも、地面の下のことは市民には見えません。水が出ない不便さの中で、「何が起きているのか、いつ直るのか」という不安はとても大きいものでした。

熊本城の復旧工事も見える形にすれば「確かに進んでいる」と実感できます。その「実感こそが希望になる」と考えたのが「特別見学通路」設置の原点だといえます。

岩佐:ただ、この通路の実現そのものが異例中の異例でした。熊本城は土地そのものが「特別史跡」に指定されており、地盤面そのものが遺構面です。そんな場所に巨大な構造物を置くことは、本来なら認められるはずがありません。

「復旧の過程を、市民や来場者に安全に見ていただくことこそ、復興には不可欠だ」という強いコンセプトを掲げた、粘り強い交渉の上で形にすることができました。バリアフリー化も、この「見せる復興」も、日本財団からの支援の後押しがあったからこそ、妥協のない形で実現できました。

熊本城にある特別見学通路
2020年には高さ約6メートルの特別見学通路が開通。画像提供:熊本城総合事務所
熊本城にある特別見学通路を下から眺めた様子
被害状況や復旧工事の様子を見学できる。画像提供:熊本城総合事務所

地震から10年。市民の心を支え、記憶をつなぐ「我が城」の存在

――生活の再建が優先事項になる被災時において、文化財を修復することにはどのような意義があるのでしょうか。

岩佐:文化財、とりわけ熊本城のようなシンボルは、地域の人々が「私たちが暮らす街(地域)」を実感する道しるべのような存在だと思います。

崩落した石垣の前で観光客が記念写真を撮るのを見て、「まるで焼けた自分の家の前で写真を撮られているような悲しさだった」と語る職員がいました。また、天守閣の展示映像の中には、涙しながら被災した城を見つめる市民の姿が記録されています。

熊本市内ではどこからでもお城が見えますし、熊本の礎を築いた加藤清正公は「せいしょこさん」として今でも慕われており、現在も熊本市民のシビックプライド(Civic Pride※)につながっています。

市民にとって「あって当たり前の風景」が傷ついたとき、初めてその存在の大きさに気づかされるのです。

「奇跡の一本石垣」として知られる飯田丸五階櫓もそうです。隅の角石だけでギリギリ持ち堪えているあの姿に、過酷な環境の中で踏ん張っている被災者の姿を重ね合わせて「お城があんなふうに耐えているんだから、自分も頑張ろう」と思ってくださった方がたくさんいた。

お城は言葉を発しませんが、そこに在るだけで人を勇気づける力を持っている。それを震災で強く実感しました。

  • 「シビックプライド」とは、「地域への誇りと愛着」を表す言葉
熊本市役所14階の展望ロビーから眺めた熊本城の様子
熊本市役所14階の展望ロビーからは熊本城を一望できる。画像提供:熊本城総合事務所

――震災から10年が経ちます。記憶の風化という課題に、どのように向き合っていますか。

岩佐:天守閣が立派に蘇ったことで、県外の方には「熊本城は復旧した」と思われることが多いのですが、実際は、まだまだ手つかずの崩落石垣や櫓が山ほど残っています。復旧は終わっていないという現実をどう伝え続けるかも、私たちの大きな課題です。

力を入れているのが「出前講座」と定期講座「熊本城学」です。自治会や学校、企業まで幅広くご依頼をいただき、「歴史をひも解く」切り口と「現在の復旧状況を解説する」切り口の2本柱で実施しています。現場の熱量を直接届け、関心を持っていただく接点を少しでも増やしたいと考えています。

地震で断水した際、私は江津湖(えづこ)に水を汲みに行きました。そこで、同じ境遇の被災者同士、目が合うと自然に「こんにちは」と挨拶をして、会話が生まれます。共通の困難や大切な場所を共有しているとき、人と人は自然につながれる。お城もまた、そうやって人をつなぐ存在であってほしいと思います。

熊本城がライトアップされている様子
熊本城ではライトアップが毎日実施されている。画像提供:熊本城総合事務所
「春のお城まつり」と「秋のお城まつり」のポスターの写真
熊本城では毎年、伝統的な催事や音楽イベントを中心とした「春のお城まつり」と、紅葉の時期に合わせて特別公開エリアの開園時間を延長する「秋のお城まつり」を開催

災害の記憶を次世代につなぐために、私たち一人一人ができること

災害の記憶を次世代につなぐために、私たち一人一人にできることを岩佐さんと上村さんに伺いました。

[1]被災地の文化財を訪ね、「今の姿」を自分の目で見る

熊本城がそうであるように、たとえ「壊れた姿」だったとしても、被災地に足を運んで文化財を見ることで、写真や映像では伝わらない現実を目の当たりにできる。実際に足を運び、自分の目で見た体験こそが、記憶を風化させない力になる

[2]自分の地域の「当たり前の風景」に目を向けてみる

建物や史跡、山や川、お店など、どの地域にも失って初めてその大きさに気づく存在がある。まずは自分が住んでいる街の風景に目を向け「これがなくなったらどんな気持ちになるか」を想像してみることも、災害の記憶や地域のアイデンティティについて考える一歩になる

[3]復興の歩みを、家族や身近な人と話題にし続ける

熊本に限らず、災害の経験や復興のエピソードを言葉にして伝え合い、同じ記憶を共有し続けることも大切。「お城のあの部分が直った時はうれしかったね」といった些細な会話が、家族や仲間の間で交わされ続けることが、風化を防ぐ最大の力になる

熊本地震から10年が経過し、今も熊本城の復旧が進む中、被災地における文化財修復の意義について伺いたいと思い、熊本城総合事務所のお二人にお話を伺いました。

1607年の築城から400年以上経ちますが、その間に熊本城は幾度も被災と再建を重ねてきました。実際、今回の地震で被害を受けた箇所の約8割が、1889年(明治22年)の地震でも被害を受けていたことが分かっています。

同じ場所が、同じように傷つき、そのたびに人の手で蘇る。熊本城の歩みそのものが、災害と向き合う日本の縮図のようにも思えました。

壊れた姿をあえて公開し、復旧の過程を市民と共有し続けた取り組みは、数字にも表れています。2019年度に約18万人だった入園者数は、天守閣内部公開や特別見学通路の整備を経て、2024から2025年度には141万人を超えました。

取材中、ある職員の方が「熊本の人間には、自覚していなくても心の中にお城の種が植えられているのだと思います」と語っていたのが印象的でした。復旧が完了する2052年まで、あと26年。その種が、この記事を読んだ誰かの心にも芽吹くことを願っています。

撮影:永西永実

  • 掲載情報は記事作成当時のものとなります。