【現地レポート】長野市、泥水が襲ったリンゴ産地 収穫まで続く支援

台風19号が長野の被災地に与えたのは人的被害だけではありません。千曲川の堤防が決壊した場所のある長沼地区は特産のリンゴの生産地。川に並行して走る国道は「アップルライン」と呼ばれていました。しかも、台風が直撃したのは、まさに収穫を迎える実りの秋のことでした。リンゴ農家にとっては、家だけでなくその後の生活の糧も被災したのです。

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リンゴ畑には、出荷できなかったリンゴが箱に入っていました。そのリンゴを手にする徳永さん

リンゴ農家の徳永慎吾さん(39)も被災した一人です。2階建て住宅の1階部分は床上浸水。2階部分しか使えなくなり、1.5ヘクタールの果樹園は泥水に覆われました。台風が伊豆半島から関東地方にかけて上陸した10月12日夜、徳永さんは家族と避難所にいました。

「なんとか水が引いて、家の近くに帰ることができたのは14日夕方。最初は最悪2階もだめだな、と思いました。畑の様子は見ただけで、まずは家の片付けが先でした」

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水が引いて徳永さんが初めて自宅に戻ったときの様子。足元にはまだ水が残っていました(10月14日、徳永さん提供)

リンゴの木は高さが数メートルあり、一見、水を被らなかったリンゴは出荷できるように思います。しかし、泥水につかったリンゴはもちろん、雑菌がついた可能性があれば、出荷はできません。早期に育つ品種で収穫していたものを除き、大切に育ててきたリンゴの出荷が難しくなってしまいました。

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冷蔵庫が倒れ、足の踏み場がない台所の様子(10月15日、徳永さん提供)

樹木の呼吸、妨げる泥

水が引いた後は、地面に大量の泥が残りました。今年1月末時点の長野県のまとめでは、長野市を中心として869ヘクタールに厚さ5センチから最大60センチの土砂が畑や果樹園にたまりました。その総量は107万立方メートルにも及んだのです。

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被災して地面に泥がたまった状態になった徳永さんのリンゴ畑(10月24日、徳永さん提供)

この泥が果樹園にとっては厄介で、樹木の呼吸を妨げてしまいます。さらに例年、春にはその年の栽培に向けた作業を本格的に始めなければならないのですが、泥が残っている状態では機械を使えず、作業が遅れてしまいます。「気持ちを切り替えていくしかないです。泥をかぶった樹木に花がさいて、実がなるのかはわかりませんが、実がつくことを想定して取り組んでいます」

徳永さんは地元の農家と「長沼林檎生産組合ぽんど童」をつくり、その組合長を務めています。自分たちの土地とは別に、遊休農地を利用して共同でリンゴを育て、産地を大事にしてきました。「ぽんど」は英語で「沼」。その名の通り、長い歴史をたどると水害が繰り返され、その結果として肥沃な土壌がはぐくまれ、おいしいリンゴが育つ地域でもありました。

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流されたカゴなどが散乱した状態になった農作業の倉庫の様子。片付けが後回しになったそうです(10月16日、徳永さん提供)

長期の付き合い 新たな関係に

ただ、徳永さんを含むメンバーは自分たちの家と畑が被災し、ぽんど童の果樹園の復旧にはなかなか手が回りませんでした。そんなとき、東日本大震災などで支援活動をしてきた一般社団法人「LOVE FOR NIPPON」(東京都渋谷区)がボランティア作業として、ぽんど童の泥かきに手を上げました。

「これだけ多くの人がこの地域に来てくれることはありませんでした。これを機にさらに長い付き合いになれば、新たな販路にもつながると思いました」。そう語る徳永さんたちを勇気づけたのはボランティアの存在でした。ぽんど童には昨秋から、多くの人が週末に合わせてボランティアに入りました。年が明けても活動は続きました。

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ぽんど童の畑には、訪れたボランティアが名前を書いた木札を掛ける看板があり、たくさんの木札が並んでいます

一方でぽんど童の周囲には、泥かきがまだ終わっていない果樹園だけでなく、泥かきすらできていない場所もありました。県のまとめで明らかになった長野市内の土砂は、堤防より宅地側の農地では4割強が撤去されましたが、堤防より川側の農地ではまったく手つかずでした。収穫できずに地面に落とした多くのリンゴがそのままになっている果樹園も見かけました。

災害が地域に大きな打撃を与えたことは事実です。それでも、徳永さんは多くの人が地域に関心を持ち、継続して訪れ続けることを願っています。「安心して住めないと感じている人もいますが、長沼というリンゴの産地としてこれからも生産を続けていきたいです」

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ぽんど童のリンゴ畑にしゃがみ、被災の状況を説明する徳永さん

収穫して一緒に味わう それが目標

LOVE FOR NIPPONは「リンゴスタープロジェクト」と題した長野の被災地の支援活動に取り組んでいます。ぽんど童の畑には名前を書いた木札を掛けられる看板を置いています。一過性の活動とせず、今後も継続して現地を訪れる予定です。
当面の目標は、次の収穫である今年の秋に、関わった人たちが改めて集い、農家の人たちと一緒にリンゴを味わえることをめざしています。

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リンゴ箱を再利用した箱を持って紹介する2人の女性スタッフ

また、現地に行かなくても支援につなげられるようにと、プロジェクトに賛同したデザイナーがパーカーとTシャツを制作。インターネット上で購入できます。2月15日には、東京都内でイベントを開き、被災地の畑にあって処分に困っていた木製のリンゴ箱に手を加えて、3,000円で販売しました。LOVE FOR NIPPONのCANDLE JUNE代表は「訪れた場所に足跡を残し、活動を続け、絆づくりをしていくことが大切です」と話しています。

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LOVE FOR NIPPONのCANDLE JUNE代表

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