【現地レポート】長野市 堤防決壊、えぐられた壁 求められる支援

白い壁が大きくえぐり取られたようでした。えんじ色の柱はむき出しになり、枯れ草がだらんとぶら下がっていました。

2月上旬、リンゴ畑が周囲に広がる長野市。この壊れた長沼体育館のそばを流れる千曲川の堤防が決壊したのは、4カ月前のことでした。時間が止まったような光景に息をのみました。川の方向を見ると、堤防の復旧工事にあたるショベルが動き、土ぼこりの舞う中をダンプカーが行き交っていました。

写真:白い壁に大きく穴が開き、柱がむき出しになっている長沼体育館
被災した長沼体育館。被害の大きさを物語っています

2019年10月の台風19号は、上陸前から最大級の警戒が呼びかけられました。それでも災害は起きました。「山に守られたような地域で、台風の被害に遭うとは思いませんでした」。取材で出会った人の多くがそう語ったのが、長野の被災地でした。

写真:体育館の隣にあり、建物が壊れたままの消防団の詰め所
体育館の隣にあった消防団の詰め所も被災しました 

豪雨、2日で年間降雨の3分の1

台風19号の特徴は大雨でした。上陸する前から活発に雨雲が生じたことで、広範囲にわたって強い雨が降り続けました。降った雨は山地に大量の水をもたらし、雨が流れ込んだ川は中流に行くにつれてどんどん水かさを増します。北アルプスや関東山地の水を集め、やがて信濃川となって日本海に注ぐ千曲川もその一つでした。

国土交通省のまとめでは、千曲川流域の東側で特に多くの雨が降りました。内陸性の盆地であるこの地域は本来雨が少なく、長野市の年間降水量は900ミリ程度。一方で、10月12日午前1時から2日間で降った雨量は北相木村で395ミリ、軽井沢町で324ミリを観測。つまり、年間降水量の3分の1に相当する雨が非常に短期間で降ったのでした。

写真:千曲川の堤防の決壊現場では、ショベルやクレーンによる復旧工事が行われていました。奥には被災後に設置した仮堤防が設置されていました
千曲川の堤防の決壊現場では、復旧工事が続いています。奥に見えるのは被災後に設置した仮堤防 

耐えきれなかった堤防

大量の水が流れ込んだ千曲川。長野市穂保では約70メートルにわたり堤防が決壊しました。さらに1.5キロにわたって、水位が堤防の高さを上回る「越水」も起きました。国によって仮堤防という応急処置がされましたが、その後に本復旧に向けた工事が進められています。

水害は長野市だけでなく、千曲市や佐久市など、広範囲に及びました。1月末までの県のまとめでは、県内では5人が亡くなり、145人がけがをしました。住宅被害は全壊916棟、半壊2,496棟を含む8,302棟に及びました。被害総額は2,714億円で、農地など農業関係の被害だけで668億円に達しています。

長沼体育館の隣には、市の長沼支所もありました。一帯では住宅や畑、道路を含めて約930ヘクタールもの広大な面積が浸水し、水位が約2メートルに及んだ場所もあります。支所の建物も損壊し、近くにあった古い神社の建物は跡形もなく、小さな祠だけが置かれていました。

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堤防の決壊現場を望む位置にあった古い神社は、建物の跡形もなく、小さな祠だけが置かれていました

続くボランティア活動

その支所と体育の前に「日本財団 災害救援」と掲げられたプレハブ小屋が建っていました。災害NGO結(ゆい)や地元で立ち上がった復興支援グループが拠点にしています。夕方に訪れると、その日の活動を報告し合うミーティングが開かれていました。

写真:長沼体育館前にある支援活動の拠点のプレハブ小屋と、日本財団が被災地に寄贈した軽トラック
長沼体育館前にある支援活動の拠点。隣は日本財団が被災地に寄贈した軽トラック

今は別の場所に避難して生活をしているものの、落ち着かないので壊れていない部分などを使いたいと考えている人がいる、という報告がありました。結の前原土武(とむ)代表(41)は「今はまだ寒いですが、暖かい季節になると、自宅に戻りたいと考える人が出てきます。そのときの支援も必要になります」とニーズに応じた活動の必要性を指摘します。

写真:床が壊れたままの長沼体育館の内部の様子
長沼体育館の内部の様子。床は壊れたままになっていました 

「経験積んだ専門家が必要」

前原さんの名刺には「ボランティア」の文字はなく、「災害支援活動家」「災害復旧・復興支援コーディネーター」と書いてあります。前原さんは自身を災害支援の専門家であると考えているからです。

東日本大震災以来、毎年全国の被災地を訪れています。結はいち早く災害現場に駆けつけて現場を走り回る緊急的な支援活動を重視しています。今回も被災の直後に長野に入りました。

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災害NGO結の前原土武代表 

これまでに約6万人を超えるボランティアが長野で活動をしました。前原さんは「山やスノーボードなどで長野を訪れたことがあって、『自分ごと』として考えられた人が多かったと思います。さらに交通の便が良く、多くの人が集まりやすかったと言えます」と見ています。

ただ、参加者が増えれば、それを調整する役目も必要になります。だからこそ、前原さんは1~2カ月という「長期戦」で活動する人も必要と考えています。「調整があるから明日の活動ができます。人間関係があるからニーズが届く」と話し、一定期間にわたり被災地に入る専門家の必要性を訴えます。「知識や経験を積み重ねた専門家がもっと増えないといけません。同時に資金面での支えも必要です」と語りました。

写真:堤防の本復旧に向けた工事で、ショベルが掘った土をトラックに積む様子
堤防の決壊現場では、本復旧に向けた工事が進められていました

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