日本財団ジャーナル

【ソーシャル人】音楽、スポーツ、アートの力で骨髄バンクを広める。荒井DAZE善正さんの活動の原点

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骨髄移植により100万人に1人の難病を克服したプロスノーボーダーでSNOWBANKの代表を務める荒井DAZE善正さん
この記事のPOINT!
  • 年齢制限等により骨髄バンクの毎年約2万人のドナーが登録抹消に。若年層登録者の増加が必要
  • 大切なのは「知ってもらう」こと。「楽しそう」なイベントでより多くの人に認知を促す
  • 骨髄移植への理解を深め、心のバリアフリーを広げることで、ドナー登録者の増加を目指す

取材:日本財団ジャーナル編集部

2019年11月に代々木公園で開催された「東京雪祭SNOWBANK PAY IT FORWARD × HEROs FESTA 2019」。トップアスリートのトークショーや、スノーボーダーによるセッション、人気バンドのライブ、スポーツ体験など多彩なプログラムで、大人から子どもまで魅了し、大盛況のうちに幕を閉じた。

このイベントの目的は、スポーツ、音楽、アートの力を使って骨髄バンクのドナー登録者を増やすことにある。

日本では毎年新たに約1万人以上の人が白血病などの血液疾患を発症していると言われており、そのうち骨髄バンクを介する移植を必要とする患者は毎年約2,000人いる。骨髄バンクのドナー登録者数は、現在約52万6,000人(2019年10月時点)。多い数のように見えるが、ドナーになれる対象年齢は54歳以下となっているため、毎年約2万人が登録取り消しとなる。登録者を増やすことが大きな課題なのだ。

通常、骨髄バンクのイベントでドナー登録に至るのは献血した人の1割程度というのが一般的な中で、献血者数236名、骨髄バンク登録者数112名と、およそ半数の人がドナー登録した。

一般社団法人「SNOWBANK(スノーバンク)」(別ウィンドウで開く)が手掛けるイベントでは、この数字は珍しいものではなく、若者が献血ルームに行列をなすことも多い。そこにはどんな理由があるのだろうか?プロスノーボーダーであり、SNOWBANKの代表を務める荒井DAZE善正(あらい・だぜ・よしまさ)さんに話を聞いた。

誰もが必要とする医療にアクセスしやすい社会に

SNOWBANKは、荒井さんがプロスノーボーダーという夢を実現した矢先に「慢性活動性EBウイルス感染症(まんせいかつどうせいイービーウイルスかんせんしょう)」という100万人に1人がかかる難病を患った経験から生まれた。明確な治療法はなく、余命宣告までされた荒井さん。唯一の希望が骨髄移植だったという。しかし、それは決して簡単な道のりではなかった。

「骨髄移植をするには白血球の型が適合をしている必要があります。適合の可能性が高かった兄と型が合わず、それならばと骨髄バンクからドナー登録者を探し、全国で14人のドナー候補が見つかりました。何とかなったと胸をなでおろしましたが、結局誰とも最終合意には至りませんでした。その後も病院のベッドの上で、連絡を待つしかなかった。

僕はもともと前向きな人間なので、この絶望的な状況をどうひっくり返すかを考えていましたが、そう思えない人も多いと思います。その時、もっと骨髄バンクの登録者が増え、適合するドナーが100人、1,000人といる社会にしようと、心に決めたんです」

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SNOWBANK設立の経緯について話す荒井さん

荒井さん自身もブログを通して骨髄バンクの登録を呼びかけ、その後ドナーが見つかり無事に移植手術を受けることができた。そして、病気を克服し雪山に復活。2011年にSNOWBANKを立ち上げた。

SNOWBANKのミッションは、スポーツ、音楽、アートの力を使ってドナー登録者を増やし、献血・骨髄ドナーを必要とする患者が困らない社会を築くこと。「東京雪祭」の他にも、自身がボーカルを務めDAZEBAND(ダゼ・バンド)として出演する白血病チャリティーライブ「COTSU FES」などを手掛けている。

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「COTSU FES 2019」でライブを行うDAZEBAND

音楽、スポーツ、アートには、それぞれ人を引き寄せる力の特徴があると荒井さんは言う。 

「例えば『COTSU FES 2019』にはサンボマスターやHUSKING BEE(ハスキング・ビー)が参加してくれましたが、アーティストがその思いを語ることによって、ファンたちがそれを真剣に受け止め、行動してくれます。一人一人に深く響かせることができるのが音楽アーティストの力です」

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「COTSU FES2019」の趣旨に賛同し、出演したサンボマスター

「一方、スポーツ選手は幅広く人を集めることができます。先日の『東京雪祭』にもたくさんのアスリートが協力してくれましたが、スポーツをやっている人だけでなく、何となく知っている人も参加して話しを聞いてくれる。広い層を集められるのがスポーツ選手の力だと思うんです」

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「東京雪祭」に参加した元プロ野球選手の赤星憲広(あかほし・のりひろ)さん

そしてアートの力は「場の雰囲気を和らげてくれる」と荒井さん。例えば、「東京雪祭」で実施したアーティストと子どもたちがテントにペイントをする「アートテントプロジェクト」は、子どもたちが屋外で自由に自分を表現することを、心から楽しんでいる様子だった。

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「アートテントプロジェクト」でテントに塗る色を真剣に選ぶ子ども

このように、荒井さんはさまざまな人や団体と組み、骨髄バンクを普及するためのイベントを展開している。

「気軽な登録でいい」。その言葉に秘められた思い

「東京雪祭」が初めて開催されたのは2011年11月のこと。当初、イベントの形態に対して批判的な見方もあったと荒井さんは振り返る。

「スノーボードを関連付けたイベントだと説明すると、『骨髄登録や献血のイベントらしくない』と批判を受けたこともあります。でも“らしい”イベントには、骨髄登録や献血に興味がある人しか参加しないし、参加する人のほとんどがすでに登録済みだったりするんです。だから、興味がない層にどう行動を促すかが重要だと考え、そのまま押し通しました」

あえてイベント名には「骨髄バンク」や「献血」といった言葉を入れず、「楽しそう」と思ってもらえるイベントを目指したという荒井さん。最初は半信半疑だった骨髄バンクの関係者も、若者が献血ルームに行列をつくる姿を見て驚き、徐々に理解してもらえるようになったそう。

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「COTSU FES」で骨髄バンクの説明ブースに並ぶ若者たち

荒井さんは、「そこまで大きな覚悟は持つ必要はなく、気軽に登録をしてくれればいい」という。

「覚悟を持って登録した人だって、例えば数年経って適合通知がきた時には状況が変わっていて、断らざるを得ない人だっているはずです。どんな覚悟を持っていても状況は変わる。逆に、気軽に登録したけれど、何かのきっかけで移植を決心してくれる人だっています。『安易にドナー登録をしないでほしい』という人もいますが、患者に移植のチャンスが増えることの方が大切だと僕は考えます」

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大学で行われた献血バスのイベント。骨髄バンク啓蒙も同時に行っている

スノーボードが教えてくれた病気との向き合い方

闘病中、痛みを伴うつらい治療も多かったが、「100万人に1人の病気を克服するチャンスをもらった」と前向きに病気と向き合ったという荒井さん。そのような思いが持てた背景には、プロスノーボーダー としての経験が大きく影響しているという。

「スノーボードの滑走シーンを撮影する時は、リスクを取らないと良い画は撮れません。誰でもできることをやっていてもしょうがないし、リスクを背負ってジャンプするからこそかっこいい画が撮れる。だからどんなに難しい病気でも、苦しい状況でも、それをひっくり返してやろうという強い思いを持って治療に取り組むことができたのだと思います」

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闘病中も常に前向きだったという荒井さん

荒井さんがもう一つプロスノーボーダーとしての経験から教わったことがある。それは、医師や看護師と共にチームとして治療に取り組むことだ。

「療養中も治療方針について医師とたくさん話をしました。僕は『慢性活動性EBウイルス感染症』だけではなく、足の神経がまひする『慢性炎症性脱髄性多発根神経炎(まんせいえんしょうせいだつずいせいたはつこんしんけいえん)』も併発していたのですが、医師からは足の治療は後回しにし、まず移植を受けて命をつなぐのが優先だと言われました。

でも、ただ命をつなぐだけじゃなく、プロスノーボーダーとしての復帰を目指していたので、医師たちにももっと上を見てほしかった。だから足の治療にも重きを置いてほしいと、思っていることを真剣に伝えました」

荒井さんは、医師との話し合いの結果、骨髄移植前に一時退院をする予定を返上し、神経外科で足の治療を同時に行うことに。それが、プロスノーボーダーとして復活できたことにもつながった 。

患者の中には医師との対立を避け、言われたことを全て受け入れてしまう人も少なくない。しかし、病気が完治しても悔いが残らないよう思ったことはきちんと医師に伝え、自分自身もチームの一員として治療に取り組むべきだと荒井さんは語る。

「スノーボードも撮影をする時には、カメラマンがいます。しかし、ただカメラマンの言いなりになって滑っても、良い画が撮れない。自分はこういうイメージでいきたい、カメラマンもこうした方がいい、と一つのチームとして話し合っていく中で最善の画が生まれるんです。治療だって同じです」

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荒井さんのジャンプ。リスクを背負った技に人は心つかまれる

骨髄移植のバリアフリーは理解から生まれる

骨髄バンク普及の課題について聞くと、若年層の登録者数の少なさに加えて、骨髄移植に対する「社会的な理解が不足していること」と荒井さんは話す。

「僕が治療中に骨髄バンクへの登録をブログでお願いした時、『移植をして半身不随になった人がいる』とコメントをいただいたことがあるのですが、誤った情報を持たれた方がまだまだ多いと感じました。また、適合通知が来ても家族から反対され、移植が進まないケースもあります」

骨髄移植に対する理解不足から、ドナー登録者がなかなか増えない現状がある。たくさんの人に事実を知ってもらい、理解の壁を取り払うことが必要だと荒井さんは強調する。

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「東京雪祭」で骨髄バンクに登録をしたラグビー選手たち。荒井さんの言葉に共鳴し、ドナー登録者の輪が広がっていく

「バリアフリーというと車いすや目が見えない方の言葉だと思われるかもしれませんが、骨髄バンク事業にも必要だと僕は思います。心のバリアフリーが骨髄バンク登録者を増やしていくはずです」

荒井さんに今後の目標について聞くと、SNOWBANKの活動と並行して、プロスノーボーダーとして元気な姿を見せ続けることだと話す。

「今の日本は、移植を受けて社会復帰した人が『自分は骨髄移植を受けて元気になった』ということを発信しづらい社会だと考えます。例えば、会社の採用試験の時に健康な人と、大病した人がいたら、どちらを重要なポストに置くのかという話しなんです。元気に暮らしている人の情報が少ないから、治療中に前向きになれない人が多い。だから僕はプロスノーボーダーとして滑り続けたいし、『東京雪祭』もDAZEBANDも、講演会の活動も続けて、元気な姿を届けたいと思っています」

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「東京雪祭」にて、代々木公園に降らせた雪の前で笑顔を見せる荒井さん

「思い描けることは、必ず実現できる」

この言葉を荒井さんは、プロスノーボーダーを目指した時、闘病中の時、常に心に留めてきた。現実に下を向かず、不可能を可能にしてきたその言葉には、人を前に進める不思議な力がある。だからこそSNOWBANKのイベントに集まった人は、スタートラインに立ち、行動を起こすのだろう。

骨髄バンクの登録に抵抗を感じる人もいるかもしれない。けれどその行動が、難病と闘う人たちに希望の光をともすことを忘れないでほしい。

撮影:佐藤 潮

〈プロフィール〉

荒井DAZE善正(あらい・だぜ・よしまさ)

一般社団法人「SNOWBANK」代表。プロスノーボーダー。1979年、東京都出身。会社員を経て19歳からプロスノーボーダーを目指して練習を重ね、24歳でその夢を果たす。28歳の時に100万人に1人の確率で発症する難病「慢性活動性EBウイルス感染症」にかかり余命宣告を受けるも、骨髄移植を経て現役復帰。その経験から「1人でも多くの患者をスタートラインに立たせる」をミッションに、「東京雪祭」「COTSU FES」などのイベントを主催し、骨髄バンクの普及活動を行う。
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