社会のために何ができる?が見つかるメディア
料理人に障害のある無しは関係ない。京都・錦市場「斗米庵」の挑戦
- 「斗米庵」は失われつつある「京の台所」としての機能を錦市場に取り戻すために誕生
- 障害の有無は関係ない。地道に努力すれば、誰でも一流料理人になれる可能性はある
- 一人一人の障害を理解しサポートすることが、障害者の「働く」可能性を広げる
取材:日本財団ジャーナル編集部
400年もの歴史を誇る京の台所・錦市場(にしきいちば)。賑やかな声の飛び交う市場から、細い路地をたどったその奥に、日本料理店「斗米庵(とべいあん)」(別ウィンドウで開く)はある。
今回の舞台は京都。千年を超える歴史を持つこの街で、障害を乗り越え一流の料理人を目指す人と、それを支える人たちの物語だ。「斗米庵」のオーナーで、特定非営利活動法人「京都文化協会」(別ウィンドウで開く)代表理事でもある田辺幸次(たなべ・こうじ)さんへのインタビューを通して、誰もが働きやすい組織づくりのヒントを探る。
失われつつある「京の台所」としての錦市場の機能
多くの観光客で賑わう錦市場。その歴史は長く、平安時代にまで遡ることができる。
「京都は山に囲まれているためか、地下水が豊富で、この辺りにも湧き水がありました。今でも残っていて、温度は年間を通して15度くらいでしょうか。食料の保存や調理にちょうど良いのです。そして、京都御所に食べ物を納めるため、ここに市場が形成されました。それが錦市場の前身になります」
秀吉の時代には、市場としての許可がおり一般庶民も買い物をするようになった。江戸時代になると、幕府から魚問屋の称号を得て、本格的な魚市場としての道を歩みだした。
「錦市場の本来の役割は、全国から選りすぐりの食材を集め、京都の一流料亭や旅館に卸すこと。ですが最近では、観光客の増加に伴い観光商店街になりつつあります。国内外からいらっしゃった観光客の方にも、市場本来の姿を見てほしい。一流の食材を使った旬を感じる料理を味わってほしい、そんな思いでこの『斗米庵』をオープンすることにしました」
「斗米庵」という名前は、江戸時代中期に京都で活躍した、奇想の画家・伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)の雅号(がごう※)から取ったもの。若冲は錦市場の出身で、別の市場におされていた錦市場を盛り上げた、中興の祖(ちゅうこうのそ)としても知られている。
- ※ 画家や文筆家が本名の他につける風雅な名前
「私たちも若冲のように、伝統を大事にしながらもそれだけにとらわれず、新しい取り組みに挑戦していきたいと考えています。障害者の方と一緒にお店を盛り上げたいと思ったのもその一環。私の古い知り合いにダウン症の書家である金澤翔子(かなざわ・しょうこ)さん(別ウィンドウで開く)がいるのですが、彼女や彼女の母、金澤泰子(かなざわ・やすこ)さんを見ていると、強い意志と努力があれば障害か健常かなんて関係ないのだと感じます」
「社会的、文化的に意義のあるお店にしたい」という思いから、料理人になりたい障害者もサポートしていきたいと考えるようになったという田辺さん。京都を代表する料亭「祇園 佐々木」(別ウィンドウで開く)の主人、佐々木浩(ささき・ひろし)氏や錦市場振興組合、日本財団などのサポートを経て、採用に踏み切った。
千里の道は一歩から。一流料理人を目指して奮闘
「一流になるということは、単純であると同時に難しいこと」と田辺さんは言う。
「おいしい料理ができればそれで良いというわけではありません。料理店では、お客さんの目に見えるところから、見えないところまでさまざまな作業があります。その一つ一つを完璧にこなせるようになって、初めて一流の料理人だと私は考えます」
皿洗い、掃除、包丁の研ぎ方からはじまり、食材の見極め方や、出汁の取り方、お客さんとのコミュニケーション…。学ぶべきことは山ほどある。
「健常者でも最低10年はかかります。障害がある方だともっと時間がかかるかもしれません」
現在、「斗米庵」には2人の障害者が働いている。彼らに対しポテンシャルを感じているという田辺さん。
「2人ともとても真面目でいい方です。遅刻などしたことはありませんし、料理が好きで努力する姿には、私たちも学ぶところが多いですね」
そのうちの1人である高村章弘(たかむら・あきひろ)さんは、発達障害がある。仕事を覚えるのに時間がかかることもあるが、まわりのスタッフが丁寧にサポートすることで着実に成長しているという。そんな彼に普段のお仕事や目標について話を伺った。
――「斗米庵」で働くことを決めた、きっかけを教えてください。
高村さん:もともと料理が好きで、料理の専門学校を出た後は、ホテルの調理場やカジュアルな居酒屋さんで働いていました。「斗米庵」の話を聞いて、自分のスキルを上げたい、料理人になりたいと思い、こちらで働くことにしました。
――普段はどのような仕事をしていますか?
高村さん:調理補助をしながら、コースの準備を段取り良くできるように、サポートしています。手が空いていれば、洗い物や掃除もします。
――日々の仕事の中で大変なことはありますか?
高村さん:お客さんの注文がたくさん入ると、何から先にやれば良いのか分からなくなり焦ってしまうことがあります。そんなときは、周りの方にいろいろと助けてもらっています。
――仕事の魅力についても教えてください。
高村さん:毎日が学びであるところです。食材について深い知識を身に付けることができますし、初めて知る調理法や出汁の取り方に感動を覚えます。
――将来の目標を教えてください。
高村さん:一流の料理人になりたいです。自分のお店も出せたらいいですね。そのために、家でも包丁研ぎや、出汁の練習、桂むきの練習などをしています。
「2人とも覚えるのに時間がかかることもありますが、『自分はこれができる』という分野をしっかり持っています。例えば、もう一人は本当に皿洗いがうまい。僕の奥さんが、どうすればこんなにきれいにできるの?と聞くほど、指紋の跡一つなくグラスや食器を拭き上げます」と田辺さん。
目の前にある一つ一つの作業を完璧にこなしていく。田辺さんが伝えた、一流になるための心構えはしっかり2人に伝わっているようだ。
うまくいかないときもある。お互いの歩み寄りが大切
「『斗米庵』では、一人一人の障害をしっかり理解するところから始めています」
障害者のサポート体制について、田辺さんはこう語る。
「障害よっては、順番が分からない、教えても忘れしまうといったこともあります。誰にどんな障害があり、どんなサポートを必要としているのか、それを理解した上で、毎回教える、教える分量を調節するなど、教え方を工夫しています」
掛ける言葉にも気を遣い、健常者のスタッフにも障害について知ってもらうようにしているという。
「彼らの成長は私たちの楽しみでもあるので、頑張って見守っていきたいですね。私たちも日々、健常者、障害者問わず、スタッフたちからは、料理に対するひたむきさや、素直さなどを学ばせてもらっています」
健常者でも最低10年はかかるという料理人への道のり。まだまだ時間を要するが、それでも彼らに一人前の料理人になってほしいと田辺さんは語る。
「『斗米庵』の事業やサービスを通して、お店に関わる人たちがみんな幸せになってくれればいいな、と思います。そのためには、まずお店にお越しになるお客さまを幸せにしなくてはならない。これからもスタッフと協力し合いながら『斗米庵』と錦市場を盛り上げていきたいと思っています」
長くて険しい一流料理人の道。みんなで一緒に乗り越えた先には、障害者の「働く」可能性がさらに大きく広がるはずだ。京都に訪れた際は、2人の成長した姿を見に、また錦市場まで足を運びたいと強く感じた。
撮影:永西永実
〈プロフィール〉
田辺幸次(たなべ・こうじ)
特定非営利活動法人「京都文化協会」代表理事。数多くのデジタルアーカイブ事業や伝統美術事業に携わった経験を持つ。現在は京都文化協会の理事として、古美術作品の複製や教育分野での複製品の活用、錦市場の魅力発信のプロジェクトなど幅広い活動を展開。京都・錦市場にある日本料理店「斗米庵」のオーナーも務める。
特定非営利活動法人「京都文化協会」公式サイト(別ウィンドウで開く)
「斗米庵」公式サイト(別ウィンドウで開く)
- ※ 掲載情報は記事作成当時のものとなります。