日本財団ジャーナル

社会のために何ができる?が見つかるメディア

【ソーシャル人】聴覚障害者が「自分らしく」生きられる未来を求めて。Silent Voiceが目指す社会の在り方

写真
デフアカデミーでろう児・難聴児に授業を行う尾中さん
この記事のPOINT!
  • 「聞こえる」「聞こえない」の違いが人と人の間に壁をつくり、さまざまな可能性を狭めている
  • Silent Voiceは、ろう者・難聴者と聴者のコミュニケーションの壁を壊すサービスを展開
  • “障害者”が直面する「優しい差別」をなくし“障害者”と“健常者”が対等である社会を目指す

取材:日本財団ジャーナル編集部

新型コロナウイルスの影響によって、各地の学校が休校になってしまった。多くの子どもが学校という日常から遮断されたのである。家に帰ってさぁどうするか、近所の子どもたちは?いつもの習い事は?地域とのつながりが強い子どもにとっては、そういった選択肢がいくつも浮かんでいるだろう。

しかし、ろう児・難聴児にとってはその選択肢自体が、そもそも普段から存在しないというケースは珍しくない。「聞こえない」ことがもたらすコミュニティとの遮断は、新型コロナウイルス禍でより一層ろう・難聴児に深刻さを増して迫ってきた。中には、聞こえる保護者が手話を使えないというケースもある。手話でコミュニケーションをとる子どもにとって、家庭内にも行き場のない日々は、想像以上の閉塞感を募らせるはずだ。

そんな状況を打開すべく、手話を用いたオンライン教育サービス(別ウィンドウで開く)を打ち出したのが「デフアカデミー」(別ウインドウで開く)である。家庭の負担を減らし、アクセスできる可能性を高めるため、2020年5月31日まで無償提供を実施。このデフアカデミーは大阪にある、ろう児・難聴児向けの総合学習塾。聞こえない子どもたちがコミュニケーションの壁を越えていけるよう、その可能性を広げるためのサポートをしている。

運営元となる「NPO法人Silent Voice(サイレントボイス)」(別ウインドウで開く)を立ち上げたのは尾中友哉(おなか・ともや)さん。実は両親がろう者であり、幼い頃から聞こえる世界と聞こえない世界を行き来してきた人物だ。

聴覚障害者と共にできることを探し始めた日

現在の活動をスタートさせるまで、尾中さんは都内にある大手広告代理店に勤務していた。「起業する」など想像したこともなく、憧れていた広告業界でがむしゃらな日々を過ごしていたという。

写真
Silent Voice・代表を務める尾中さん

けれど、ある日、尾中さんは働くことの目的を見失ってしまった。

「テレビ局の担当をしていて、連日のように飲み会に駆り出されていました。そんな日々の中で、ある日、泥酔してごみ捨て場で眠ってしまったんです。朝、カラスに突かれて目が覚めた。その朝焼けのまぶしさの中で『何のために仕事をしているんだろう』と泣いてしまいました」

その後、大きく人生を変える出来事があった。

「商店街にあるお団子屋さんに並んでいた時、突然列が動かなくなってしまったんです。前を見ると、お客さんの一人が店員さんとのやりとりで困っている。直感的に『あ、ろう者だ』と分かりました。その瞬間、僕は列を抜けて、手話通訳していたんです。その人はとてもよろこんでくれて、お礼にとお団子をくれました。その時、鳥肌が立ったんですよ。自分は手話ができること、聞こえない人のこと忘れていたと」

その出会いを機に、尾中さんは自分にできることを模索し始めた。生まれながらに接していた聞こえない人々と、何か新しい価値を生めないか。結果、その想いに共感する仲間たちと立ち上げたのがSilent Voiceだった。

聞こえなくても自分らしく生きることはできる

Silent Voiceはデフアカデミーを運営するNPO法人と、社会に出た聴覚障害者や彼らと働く企業をサポートする株式会社とに分かれている。いずれも共通するのは、コミュニケーションの壁を壊すということだ。

この活動の原点となっているのは、尾中さん自身の幼少期の体験である。

「僕の両親は耳が聞こえないため、生まれた時からそれが“普通”でした。コミュニケーション手段は手話だったので、自然獲得した母語も手話になります。ただ、それが普通ではないと思い知ったのは、保育園の頃。みんなの前で自己紹介することになった僕は、当たり前のように手話を使ったんです。すると、手をひらひら動かす僕を見て、みんなが『魔法使いみたい』と騒ぎ出して。声を出してうまく話すことができなかったので、孤独で、悔しくて毎日泣いていました」

写真
耳が聞こえない尾中さんの両親

自分の置かれている環境は普通ではない。子どもだった尾中さんにとって、その現実はつらいものだったのではないだろうか。

けれど尾中さんは、耳の聞こえない両親のことを隠そうとはしなかったという。

「『隠したい』のではなく、『受け入れてほしい』という気持ちの方が強かったんです。小学校に入ると友達を家に呼んで、手話を教えました。その結果、みんな簡単な手話を覚えてくれて、母と会話もできるようになって。両親の障害を隠して普通を装うのではなく、普通の中に僕らの存在も受け入れてもらおうと努力していたんだと思います」

そんな尾中さんが、いまでも忘れられないことがある。それは父親がたびたび見せた、悔しそうな顔だ。

「僕の父は教師になりたかったんです。けれど、50年前の日本では、ろう者が大学に行くなんて選択肢がなかった。結局、父は工場でネジを取り付ける仕事に就きました。そのことをとても無念だ、と言うんですよ」

一方、尾中さんの母親は喫茶店の経営者。聞こえないことを個性にして、開店して以来14年連続で黒字を記録する人気店を営んでいる。

「父と母を見ていると、“障害”の捉え方が違うんです。父は『聞こえないせいでこんな人生になってしまった』と悔やんでいますが、母は『聞こえないからできたことがある』と前向きで。こんな風に、“障害”って捉え方次第で意味が変わると思うんです。だから僕は、いまのろう児・難聴児たちにも、無念さにとらわれるのではなく、自分らしい人生を歩んでもらいたいと思っています」

「優しい差別」をなくしていくために

そんな尾中さんの取り組みが広く知れ渡ったのは、2019年のこと。12月1日に開催された「日本財団ソーシャルイノベーションアワード2019」(別ウィンドウで開く)で、Silent Voiceが最優秀賞に輝いたのだ。

写真
トロフィーを手にする尾中さん(写真中央)

ソーシャルイノベーションを起こそうとしている社会起業家を対象とした同アワードには、131組もの企業が応募。ファイナリストとして9組まで絞られ、最終プレゼンに挑んだ尾中さんは、見事栄冠を手にした。

その時のことを振り返ると、尾中さんは顔をほころばせる。

「僕たちがやろうとしていることを理解してもらえて、とてもうれしかった。ろう文化のことを知らない審査員の方たちの前でプレゼンするためには、まず日本手話と日本語が異なる言語であることや、ろう児と難聴児の違いも説明する必要がありました。限られた時間の中で分かりやすく、僕たちの想いを伝えて、それがこうして評価された。本当にありがたかったです」

写真
尾中さんと共に歩むSilent Voiceの仲間たち。写真左から3人目が尾中さん

Silent Voiceの取り組みが高評価を受けたことをバネに、尾中さんは目指すべき未来をより明確に捉えられるようになった。その未来とは、“障害者”と“健常者”が対等である社会だ。

「昔に比べると、暴力的な態度といった『激しい差別』はなくなってきていると感じます。その代わり、いまは『優しい差別』が増えている。先日、僕たちの塾に、女の子が泣きながら駆け込んできました。その子は勉強を頑張っている子だったんですが、ある日、先生から『この子は耳が聞こえないのに、アルファベットが書けるようになりました』と褒められたというんです。それがとても悲しかった、と」

それは「障害者なのに」という枕詞がついてしまう、優しい差別だ。障害者なのにすごい、偉い、頑張ったね…。これらの言葉が、当事者にとってどう受け止められるのか、私たちは知らなければいけない。

「対等であるということは、健常者・障害者という概念をそのまま強者と弱者という関係に持ち込まず、同じ人間だという事実を念頭に置くことです。障害者だからできない、障害者なのにできてすごい、と決めつけるのではなく、『その人にとってどうなのか』という個別化が重要だと思います。個別化を省いてしまうと、生まれてしまうのが『良かれと思って』という『優しい差別』です。その根底には、その人自身を知る努力の足りなさや無知があると思います。障害者・健常者関係なく相手のことを想う、それが本当の意味での『優しさ』ですから」

ただし、尾中さんは自身の理想を周囲に押し付けたくない、とも話す。

「違う考え方の人に対して、自分の理念をぶつけて説得しようとは思わないんです。そうではなくて、独り言をつぶやくみたいにコツコツと活動を続けていって、そこに共鳴してくれる人と一緒に頑張りたいですね」

写真:聴覚障害のある子どもに指導する講師
デフアカデミーでの授業の様子

尾中さんの活動は、まさに「サイレントボイス」だ。その言葉に気付いた人たちが彼のもとに集まり、少しずつ社会を変えていくのだろう。

そんなサイレントボイスに耳を傾けてくれる人が、一人でも増えることを願ってやまない。

写真提供:Silent Voice

〈プロフィール〉

尾中友哉(おなか・ともや)

NPO法人Silent Voice代表。1989年、滋賀県出身。聴覚障害者の両親を持つ耳の聞こえる子どもとして、手話を第一言語に育つ。大学卒業後、東京の広告代理店に勤務。「自分にしかできない仕事とは?」について考える。2014年から聴覚障害者の聞こえないからこそ身に付いた伝える力を生かした企業向け研修プログラム「DENSHIN」や、ろう児・難聴児向けの総合学習塾「デフアカデミー」を展開し、聴覚障害者の強みを生かす社会の実現に向けて活動している。2018年、青年版国民栄誉賞といわれる人間力大賞(主催:日本青年会議所)にてグランプリ・内閣総理大臣奨励賞および日本商工会議所会頭奨励賞を受賞。
Silent Voice 公式サイト

  • 掲載情報は記事作成当時のものとなります。