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“有り難い(ありがたい)”を“当たり前”に。手話&筆談カフェの挑戦

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経営者の柳匡裕さん(右)とお店で働くアクター
この記事のPOINT!
  • 言葉がなくてもコミュニケーションは成立する
  • ありがとう(有難い)の反対語は「当たり前」。「ありがとう」から「当たり前」になる社会をつくりたい
  • 障害者自らが発信し続けることで、“当たり前の権利”を手にできる社会に変える

取材:日本財団ジャーナル編集部

東京・春日にあるスープ専門店「Social Cafe Sign with Me (以下、サインウィズミー)」(別ウィンドウで開く)は、お店で働くアクター(スタッフ)は、ほぼ全員がろう者(聴覚に障害がある人)である。

業務オペレーションは手話と筆談のみ。経営しているのは一般社団法人ありがとうの種(以下、ありがとうの種)(別ウィンドウで開く)の代表で、自身もろう者である柳匡裕(やなぎ・まさひろ)さんだ。彼が「サインウィズミー」をオープンするまでの経緯と共に、働きやすい職場づくりの工夫などについて話を伺った。

カフェオープンのきっかけは言葉が通じないインド料理店!

「健常者も障害者も関係なく『ありがとう』が行き交う社会がつくりたくて、ありがとうの種を創立したんです」

イキイキとした表情で手話を使い、柳さんは語る。3社もの大手企業で勤めた経験のある彼は、能力があっても障害者であるというだけで発揮する場がない社会の現状に疑問を抱いていた。

「障害者は持っている能力を発揮しづらい分、『ありがとう』と言うことは多くても、言われることが少ないんですよ」

この状況を変えるには、当事者である自分自身が旗を振って行動するべきだ。そう思い至った柳さんは「当事者(聞こえない人)の雇用を作る」「当事者として職域を開拓する」「当事者の成功例を世間に発信する」ことを目的に、2011年12月、一般社団法人ありがとうの種を設立した。

今回取材に伺った「サインウィズミー」や、同店内の一角を使ったレンタルスペースの運営、ろう児向けの学習支援事業などを手掛けている。

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手話でインタビューに答える柳さん

柳さんはなぜ、カフェを開店しようと思ったのだろうか。きっかけはたくさんあるけど…と前置きし、印象的なエピソードを語ってくれた。

「当事者問題解決ビジネスモデルを模索し、街を歩いていたら、おいしそうなカレーの匂いがしたんです」

お腹が空いていた柳さんは匂いにつられて、インド料理店に足を踏み入れた。

「入ってみてびっくりしました。スタッフは全員インド人である上に、メニューはすべて英語のみ。書かれている内容が分からず、筆談しようにも、みんな日本語が通じないからコミュニケーションの取りようがなかったんです」

柳さんは料理の写真を指さし、何とか注文することができた。出てきたカレーを一口食べると…。

「なんておいしいんだ!と感動しました。夢中で平らげましたよ」。

実は柳さん、その日が「インド人」と直接触れ合った初めての日だったそう。最初は全員同じ顔に見えたスタッフも、通い詰めるにつれて一人ひとりが全然違うことに気付いた。

「“インド人はこういう人たち”とステレオタイプを持っていた僕も、実際に会ったことでそれぞれ違った個性を持っていることに気づきました。そこで、これだ!ってひらめいたのです。ひとまとめにされがちな“聴覚障害者”も、それぞれに特性があり、能力がある。それを知ってもらうには飲食事業こそが最適だ!と思いました」

話さずとも注文できることは身をもって理解したから、アクターにはろう者を雇用し、“公用語”を手話と筆談にしよう。そしてせっかく飲食店をつくるなら、元々好物で身も心も温まるスープの専門店にしようと決意する。東日本大震災の時に、炊き出しの温かいスープを飲んで癒やされる被災者の姿をテレビで見て感激したことも看板メニューをスープに決めた理由の一つだと言う。

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ウッド調のインテリアで揃えられ、温もりを感じる「サインウィズミー」春日店

そうして柳さんが固めた店舗のコンセプトは、全国にスープ専門店を展開する株式会社スープアンドイノベーションから賛同を得る。同社とフランチャイズ契約を結び、「サインウィズミー」はオープンした。

力あるトップの意識変革を促すことが社会を変える近道

「サインウィズミー」の1号店は、本郷通りに面した東大赤門近くにある本郷店だ。2号店の春日店は、障害者雇用のモデル事業をつくるプロジェクト「日本財団はたらく障害者サポートプロジェクト(旧名:はたらくNIPPON!計画)」の一環で開店した。「いずれも東京大学の近くであるこの立地を選んだことには、特別な理由があるんです」と柳さんは言う。

写真:メニューを指差すスタッフ
アクターは全員ろう者。指さしによってメニューを注文できる

「手話言語条例」をご存じだろうか。2013年に鳥取県が初めて取り入れたこの条例は、「手話を言語として認め、手話が日常的に使え、ろう者とろう者以外の人が共生できる社会を目指す」ものだ。

「鳥取県がなぜ、前例のないこの条例を取り入れたのか。それは知事である平井伸治(ひらい・しんじ)さんが、大学時代にろう者と出会い、手話に触れたことがあったからなんです」

ろう者と手話における現状を、学生時代に目の当たりにしていた鳥取県の平井知事。彼が社会的に発信力のある人物になって政治に働きかけたことで、ろう者の存在を広く知らしめる機会が生まれたと柳さんは語る。

「そこで、『サインウィズミー』の1号店は、平井知事が通っていた東京大学の近くにつくることを決めたんです。行政に携わる道を選ぶ若者が多い東大生が、ろう者や手話の存在を当たり前のものとして感じてくれたら、彼らが発言力を持つ20年後、ろう者が暮らしやすい世の中を実現してくれるかもしれません」

写真:目指す社会について語る柳さん
ろう者である子どものためにも、柳さんはより良い社会を目指す

前例がなくとも、事業をしながら道を切り拓く

ところで、「サインウィズミー」を経営する中で、障害者のみを雇用しているからこそ生まれる課題などはあるのだろうか?

「あらゆる経営者と同様、マネジメントです。会話が手話で行われているということを除けば、『サインウィズミー』も普通の会社と何ら変わりませんよ」と柳さん。

写真:看板メニューのスープ
スープのメニューは種類豊富だ。ボリュームがありお腹も心も温まる

しかし、当然のことながら“アクターが全員ろう者のスープ専門店”には前例がない。そのため経営を安定させる上で参考になるような情報が得られないことが大きなネックだと言う。

「経営を学ぶセミナーに参加することもありますが、目で見える情報しか得られないため、理解しきれず徒労に終わることが多いんです。耳の聞こえる人にとっては当たり前の社会資源が、ろう者である私には使えないことも多々あるんですよね」

そこで柳さんは、セミナーなどで会った経営者一人ひとりに挨拶してアポを取り、1対1で話をする時間をもらっているそう。そうして少しずつ得た情報を、「サインウィズミー」に取り入れることで、正社員の定着率が年々伸びている。

実際に働いているアクターに話を伺ってみた。インタビューに答えてくれたのは、「サインウィズミー」に勤めて4年目になる綿引宏(わたびき・ひろし)さんだ。

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「サインウィズミー」の中心アクターとして活躍する綿引さん

——「サインウィズミー」に就職を決めたきっかけを教えてください。

綿引さん(以下、敬称略):友達を通じて「サインウィズミー」の存在を知り、興味を持つようになりました。お客さんとして通ううちに、ろう者が手話を使って働けることに魅力を感じて、求人に応募することにしたんです。

——働くにあたり、研修などはありましたか?

綿引:1カ月ほどありました。調理の仕方から接客の基本まで学びました。アクター一人ひとりが調理から接客まで全てできるように教えてもらえるので、アクター同士でフォローをし合いながら働けるんですよ。

——「サインウィズミー」で働くようになって、変わったことはありますか?

綿引:ずっと健常者に対しては声を出してコミュニケーションを取らなければいけないという思い込みがあったんです。だけど「サインウィズミー」で働くようになってからは、声に頼らず生活する自信が持てるようになりました。例えばコンビニで肉まんを頼むとき、今までは「これ1つください」と何とか声を出していたんです。でも今は指さしと表情だけで伝えることができるようになりました。

——これからの目標を教えてください。

綿引:誰に対しても自信を持って、恥ずかしがらずに手話で話せるようになりたいですね。それからせっかく飲食店で働いているので、調理の知識を深めていきたいと思っています。

朗らかな表情でインタビューに答えてくれた綿引さん。「サインウィズミー」での経験は、自身の生活にも良い影響を与えているようだ。

「有り難い」を「当たり前」に。ありがとうの種の裏テーマとは

柳さんに今後の目標を伺うと、逆に質問が投げ掛けられた。

「ありがとうの反対語って、分かりますか?」

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ユーモアを交え、楽しく取材に応じてくれる柳さん

ヒントは、漢字にある。「ありがとう」は「有難う」と表記する。

「ありがとうって、『有り難い』ことなんですよね。『普通はないこと』とか『珍しいこと』を意味しているそうなんです。そうすると、反対語は『当たり前』になりますよね」

ありがとうの種を通して、ろう者にとって「有り難い」ことを「当たり前」にしたい。これが大きな目標なのだと柳さんは語る。

「『ありがとう』という言葉は本当に大切ですよね。だけど、手話を理解してもらうことや、就職の内定をもらうこと、そういったことがろう者である私たちにとって『有り難い』ことでなく、『当たり前』とされる社会をつくりたいんです」

写真:「サインウィズミー」春日店の店内
生きづらさを感じる今の社会を変えたいと願うろう者が、世の中には数多くいる

そのためにも、世の中にはろう者が“いる”ということをより多くの人に知ってほしいと、柳さん。

「障害者といえば福祉施設のイメージを持たれている方が多いと思うんです。保護される無力な存在として、隠されることが多いんですよね。しかしそうすると、社会とのつながりが消えてしまう。ろう者が何を求めているのかを広く伝えるには、耳の聞こえる大勢の人たちの中で、当事者である我々が発信することが一番だと思うんです」

そんな思いも込めて「サインウィズミー」春日店は、人が行き交う大通りに面して建てられている。手話と温かいスープでお客さんをもてなすことで、多くの人にろう者について理解してもらう機会を作っているのだ。そうして、ろう者が“当たり前の権利”を手にできる社会に向かって、柳さんとアクターは少しずつ前進している。

撮影:佐藤潮

〈プロフィール〉

柳匡裕(やなぎ・まさひろ)

スープカフェ「Social Cafe Sign with Me」のオーナー。一般社団法人ありがとうの種代表。スープカフェの経営やろう児向けの学習支援事業を行い、障害者が「ありがとう」と言われ自尊心を持てる社会を目指す。サインウィズミー 公式サイト(別ウィンドウで開く)

スープカフェ「Social Cafe Sign with Me」のオーナー。一般社団法人ありがとうの種代表。スープカフェの経営やろう児向けの学習支援事業を行い、障害者が「ありがとう」と言われ自尊心を持てる社会を目指す。
サインウィズミー 公式サイト(別ウィンドウで開く)

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