日本財団ジャーナル

世界を変えるのは個人。ドキュメンタリー映画監督が追った、ハンセン病制圧と差別根絶の「最後の1マイル」

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2016年6月、「ハンセン病患者・回復者の尊厳の尊重とホリスティックケア」シンポジウムにて、ハンセン病回復者を含む参加者たちと記念写真を撮る笹川会長(前から3列目の左端)
この記事のPOINT!
  • ハンセン病に対する偏見は根深く残り、世界各地で患者や回復者が差別に苦しんでいる
  • 無知が差別を生む。自分で見聞きし、病気のことをちゃんと理解した上で問題と向き合うことが大切
  • ハンセン病制圧と差別根絶のための「最後の1マイル」を踏破する鍵は、問題を「自分ごと」にすること

取材:日本財団ジャーナル編集部

人類の歴史上もっとも古くから知られ、恐れられてきた病気の一つ「ハンセン病」。らい菌によって皮膚と神経が侵される感染症で、かつては世界中で恐れられ、患者は差別の対象となった。

治療法が確立された今、ハンセン病は完治する病気となり世界的に患者は減少している。しかしいまだ、ハンセン病にかかれば差別されてしまう国や地域が残っている。

そうした状況を変えるべく、日本財団では約50年にわたって、インドやブラジル、アフリカ、インドネシア、フィリピンなど、世界中でハンセン病の制圧や差別の撤廃に力を注いできた。

その活動の先頭に立っているのが、WHOのハンセン病制圧大使も務める日本財団・笹川陽平(ささかわ・ようへい)会長だ。

2020年9月26日(土)14:00からBSフジで放送のドキュメンタリー映画『最後の1マイル ~ハンセン病 果てなき旅路で~』(別ウィンドウで開く)は、アフリカ奥地にある人口23人の集落から、バチカン市国でのローマ教皇庁と共催した国際シンポジウムに至るまで、現場主義を貫く笹川会長の20カ国、50カ所、1,600時間を超える足跡を記録したもの。

今回は、その監督を務めた浅野直広(あさの・なおひろ)さんに、制作の裏側と共に、ハンセン病制圧や差別撤廃のための「最後の1マイル」を踏破するためのヒントを伺った。

人間は差別をする生き物である

――『最後の1マイル ~ハンセン病果てなき旅路で~』を撮ることになった経緯から教えてください。

浅野さん:以前に僕は、『終の棲家を求めて 〜ハンセン病元患者・平沢保治・75歳〜』というドキュメンタリー番組(2002年BSフジ)を制作しました。その経験から、このドキュメンタリーの制作に携わることになりました。

『終の棲家を求めて』は、東京にあるハンセン病国立療養所の1つ多磨全生園の自治会長だった平沢さんの1年に密着した番組になります。

当時(2001年)、らい予防法の違憲判決のニュースが報じられ、日本でハンセン病がクローズアップされた時期でもありました。ハンセン病問題がマクロの視点で語られることが多かったのですが、実際はどうなんだろうと。そこで、1人の人物を通して、ミクロの視点でハンセン病問題を見たいと思ったんです。

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日本財団ビルにて、取材に応じてくれた浅野直広監督

――今回は、笹川会長の視点を通してハンセン病に対する世界の実情を撮られているわけですが、たくさんの国や地域を回られていますね。

浅野さん:笹川会長と一緒に、約20カ国は回ったでしょうか。差別されたり、排除されたり、どこも共通して似ている問題はあると感じた一方で、それぞれの地域で抱えた問題もあることも最初の半年間で見えてきました。

当初はもっと早く撮り終える予定だったのですが、いろんな国を訪れるうちに問題の根深さを知り、気が付いたら2014年から撮影し、ようやく完成したのは2017年になります。

――「根深さ」について、詳しく教えていただけますか。

浅野さん:世界中どこに行っても、患者・回復者の方々が「人間」として社会から拒絶されているということです。あからさまに、地域だけでなく家族からも阻害されているケースもありましたし、役人がそれを巧妙に隠そうとしているケースもありました。

でも、そのような問題は、遠い国の話ではなく、私たちの身近にだって存在する。人間とはそもそも「差別をする生き物」なのではないでしょうか。

――確かに、ハンセン病ほどではないかもしれませんが、2020年9月現在でも新型コロナウイルス感染者や医療関係者、その家族に対する差別の話も耳にします。

浅野さん:映画を撮影し終わってずいぶん時間が経つのですが、コロナの状況で似たような問題が起こっているなと、いろいろ思い出しました。

コロナウイルスという病気を患ったにもかかわらず、「お大事に」という雰囲気もないじゃないですか。差別まではいっていないと思いますが、患者・感染者は社会から疎外されかねない。

感染症の歴史は、差別の歴史とも言えます。病気のことを何も知らないから差別してしまう。だから、ちゃんと自分で見聞きし、病気のことをちゃんと理解した上で問題と向き合う。そうして、問題を自分ごとにすることが大切だと思うんです。

理性的に判断することと共に、人間は誰でも差別する生き物であることを認識することも重要なことだと思います。

写真:ハンセン病回復者宅に訪れ、回復者を撮影するスタッフ
ハンセン病患者が暮らすインドネシア・ビアク島での撮影の様子

――撮影をする中で、他に気が付いたことなどあれば教えてください。

浅野さん:面白いと感じたのが、取材でお会いした方々の「顔」です。皆さんとても、いい顔をしているんですよ。

――「いい顔」ですか。

浅野さん:しっかり一人の方と向き合ったのは、インドネシアの離島に暮らす、ルンビアックさんという方が最初でした。

彼を見た時、素直にいい顔だなって思ったんです。うまく言葉にできないけど、絶対的な孤独の中で、自分や自分の人生について繰り返し問い直し、そんな顔になっていかれたんでしょうね。

生きるとは何か、人間とは何か、家族とは何か、自分とは何かって…。

時間だけは無限にあって、周りには誰も話す人がいない。そんな中で自問自答していくうちに、いい顔になっていったんだと思うんです。

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2014年春、ハンセン病のために長年にわたり孤独を強いられてきたルンビアックさん(写真右)と交流する笹川会長(写真左)。写真提供:テレビマンユニオン

あと、どこの国を訪ねても優しい人が多かったし、話していても楽しかった。

有り体に言えば、悲しいことやつらい経験した人ほど人に優しくなれると言いますが、まさにその通りだと思ったし、それが本当の優しさなんだと感じました。もちろんずるい人もたくさんいたけど、それでも優しいんですよ。

優しいというのは、悲しみの裏側。そういう人たちと話していると、こちらも考えさせられることが多かったので、制作していて単純に楽しかった。

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撮影で出会ったハンセン病患者・回復者の一人一人のエピソードをもっと深掘りしたかったと語る浅野さん

浅野さん:僕が、この映画を観てくださる方々に伝えたいのは、「彼らの表情を、眼差しを、言葉を、素直に受け取ってほしい」ということです。

「差別はいけないことだ」といった、ありきたりの見方で観ないでもらえるとうれしいです。もちろん差別することはいけないことですが、そういった先入観を持っていると、見えなくなってしまう大切なものもあると思うんです。

――映画を拝見し、ハンセン病というセンシティブな題材を扱いながらも、登場する人たちとのやり取りがとても自然だった印象を受けました。

浅野さん:笹川会長にもご理解いただき、撮影前に1週間ほどロケハン(下見)をして、できるだけ事前にご本人たちとコミュニケーションを交わし、理解をしていただけるように努めました。

「何のために撮影をするのか」「映画を通して何を伝えたいのか」をしっかり伝えするように心掛けました。そして本心を話していただけるように、私たち取材スタッフも限られた時間の中で心を開いて接するようにしました。

――映画を撮るために、とても密な時間を過ごされたのですね。

浅野さん:インドでハンセン病を患った女性にインタビューをした際に、その話を後ろで聞いていた夫が、妻に「大丈夫、この人たちには嘘をつかず、本当のことを話して良いんだよ」と言ってくれたのを覚えています。

私たちのことを信頼していただき、本当にうれしかった。こちら側も、最大限「事実を伝えなくては」と思いました。

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ブラジルのハンセン病回復者宅に訪問した笹川会長(写真左)。 写真提供:テレビマンユニオン

世界を変えるのは個人の思いと行動

――この映画作りを通して、浅野さんが感じた笹川会長というのは、どのような人物でしょう。

浅野さん:とても面白い方でした。「僕は本当のことを見たい」といって、訪問先の役人や関係者から聞かされる上っ面な言葉を信じていなかったところが印象に残っています。

本当に現場主義というか、1年の約3分の1を現地での活動に当てていますし、向かう先は都市部から車で半日以上かかる僻地ばかり。

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カメルーンにて、ハンセン病回復者のいるピグミー族の集落を訪問するためにジャングルの中を歩く笹川会長。写真提供:テレビマンユニオン

――徹底的に現場にこだわるからこそ、見えてくることがあるのですね。

浅野さん:あと、笹川会長の活動を見ていて、「世界を変えるのは個人」だと実感しました。この映画の撮影を通して、個人の思いや発言、行動が世界を変えていくさまを目の当たりにした思いです。

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2016年6月、「ハンセン病患者・回復者の尊厳の尊重とホリスティックケア」シンポジウムに参加するためバチカンに訪れた際、ローマ教皇にハンセン病に対する差別は不当であると直訴する笹川会長

――この『最後の1マイル』は、ギリシャのイエラペトラ国際映画祭 インターナショナル・コンペティション長編部門で「フェスティバル・アワード」を受賞されていますね。

浅野さん:映画祭の主催者や関係者の方々からは、「美しかった」、「ハンセン病の人たちの言葉をよく引き出していた。彼らの表情も胸に残る」、「何千年にもわたる負の歴史、また数多くの撮影地での映像がよくまとめられていた。音楽の使い方も素晴らしい」といった言葉をいただきました。

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笹川会長の人物像ついて語る浅野さん

――最後に、これから映画を観る方々に向けてメッセージをお願いします。

浅野さん:繰り返しになりますが、「差別はいけない」という先入観にとらわれず、患者や回復者の方々の顔や表情をしっかり見ていただきたい。そして、少しでも良いのでハンセン病の問題を自分ごとにしていただけたらうれしいですね。

ハンセン病は完治する病気であり、感染する可能性は皆無とも言える。それにもかかわらず、社会の無知、誤解、根拠のない恐れから、世界中の何千万人もの人が、偏見や差別に苦しんでいる。

この映画を通して、ハンセン病患者・回復者たちのありのままの姿を、まずは自分の目で、耳で知ってほしい。そして、1人でも多くの人が問題を自分ごとにする…。

そこに、ハンセン病制圧や差別根絶の「最後の1マイル」を踏破する鍵があるのだと感じた。

撮影:佐藤潮

〈プロフィール〉

浅野 直広(あさの なおひろ)

1971年大阪生まれ。1996年テレビマンユニオン参加。2000年ETV特集「写真が手話で語りかけてきた…」でデビュー。2002年BSフジ「終の棲家を求めて 〜ハンセン病元患者・平沢保治・75歳〜」を演出。他に「カルテットという名の青春」(第49回ギャラクシー賞選奨、第29回ATP賞ドキュメンタリー部門優秀賞)、「小澤征爾さんと音楽で語った日」(第67回文化庁芸術祭参加作品)、「木村伊兵衛の13万コマ」、「テオ・オン・テオ」(映画監督テオ・アンゲロプロスのドキュメンタリー映画、国際映画祭参加多数)など、アートをテーマとする作品を多く手掛けてきた。