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【避難民と多文化共生の壁】日本で暮らすウクライナ避難民が、少し先の未来に望むこと
- 長期化が予想されるロシアのウクライナ軍事侵攻。日本に1,700人以上の避難民がいる
- “ふつうの生活”を送るだけでも、乗り越えなければいけないさまざまな壁がある
- すぐの帰国は困難。地域共生を促進し、学びや就労環境、仲間づくり等を国や社会全体で支援する必要がある
取材:日本財団ジャーナル編集部
2022年2月、ロシアによるウクライナ軍事侵攻をきっかけに、戦火を避けるウクライナの人々が他国に逃れることを余儀なくされてすでに半年以上が経過した。欧州に逃れたウクライナ人は約640万人(2022年8月時点)に上る。
避難先として日本に入国したウクライナ人の数は、2022年3月末の段階で300人近くだったが、8月24日時点で1,783人と急増。日本政府は人道的な配慮から「避難民」としてのウクライナ人在留を認めているが、国際条約(※)に基づく保護と人権を保障する「難民」とその扱いは異なり、法律上の規定はなくあくまで期限付きの特例措置に留まっている。滞在資格の更新はできるものの、いつまで滞在できるのか不明確であることは、避難してきたウクライナの人々が生活の基盤をつくるための支障になりやすいと言えるだろう。
- ※ 正式名称「難民の地位に関る条約」。本国の庇護(ひご)が及ばない難民の保護を目的とする国際条約。迫害の恐れのある国への追放・送還の禁止、任意帰国・再移住・定住に対する便宜を与えることなどを定めている。1951年にジュネーブで締結され、1954年発効。日本は1981年に加盟、翌年発効。国連難民条約。出典:デジタル大辞泉(小学館)
戦況は長期化が予想されている。日本財団では2022年4月より「ウクライナ避難民に対する生活費等の支援策」(別タブで開く)を実施。日本に来るための渡航費・生活費・住居環境整備費を支給するとしたが、入国する避難民の増加を受け、当初1,000人だった対象人数を2,000人にまで拡大することを決定した。8月24日時点で1,441人分の申請を受理、支援総額は85.8億円(予定)で、今後も日本語学習や心理カウンセリングといった支援を拡大していく予定だ。
今特集「避難民と多文化共生の壁」では、命を守るために日本に来た人々が安心して暮らすために、どのような社会づくりが必要か。そして国や自治体だけでなく、私たち一人一人に何ができるのかを、多角的な視点から探りたい。
第2回は、ウクライナ避難民として2人の娘を連れて日本に逃れてきたムリヤフカ・ナタリアさんに、日本での暮らしぶりやいま必要な支援、未来に抱く想いについて話を伺った。
故郷を離れた娘たちが失ったものを、補ってあげたい
ムリヤフカ・ナタリアさん(以下、ナタリアさん)が住んでいたのは、ウクライナ中部ポルタワ州クレメンチュク。ロシア軍による商業施設や火力発電所、給油所などに対する空爆が行われた街としてニュースで知っている人もいるかもしれない。
現在ウクライナでは18歳~60歳の男性の出国が認められていないため、夫と両親を残して2人の娘を連れ、避難電車に乗って1,100キロ以上離れたポーランドのワルシャワまで移動。横浜に住む母親のいとこ(叔母)を頼り、スーツケース1つで日本にやって来た。
「日本に到着したのは3月26日です。最初は言葉がまったく分からず、おばさん以外に頼れる人がいない環境に困難を感じました。でも、今の私は子どもたちにとってママであると同時にパパでもあり、安全の象徴です。私が新しい環境を怖がらなければ、彼女たちも怖がらずにいられます。娘たちにとっては価値観を育てたり、生まれ持った才能を伸ばしたりする大事な時期です。まずは冷静になって、彼女たちが日本に来たことで何を失ったのか、それをどうすれば補ってあげられるのかを考えることにしました」
叔母の家に同居することになったナタリアさんは、日本で新しい友達を見つけられるようにと、子どもたちを小学校と保育園に通わせることにした。乗馬やダンスを習うのが好きだった長女のために、体操教室やプールも探した。
「朝は長女を学校に送ってから、次女を幼稚園に連れていきます。それから洗濯に掃除、買い物など家事や用事を済ませていると、あっという間に次女を迎えに行く14時に。それから長女のお迎えに行って、帰宅後は一緒に宿題をやったり、習い事に行ったり。それから近所の子たちと一緒に外で遊ばせていると1日がすぐ過ぎて、ベッドに入ると娘たちより先に寝てしまうことも。1人でゆっくりコーヒーが飲めるのは、たいてい夜中になってからです」
ウクライナにいる家族とは、毎日連絡を取り合っている。夫とも両親とも、朝起きたら必ず電話をくれるように約束しているのだとか。
「その電話が『無事に起きました、今日も生きています』という生存確認の役割なんです。ウクライナはとても危険な状況で、夫も私の両親もいつミサイル攻撃されるか分からない中で暮らしています。だから娘・孫が安全である様子を見せることがポジティブなエネルギーとなって『今日も生きていこう』という彼らの力になっているんです」
言葉の壁を越え、サポートしてくれる隣人やママ友たち
単なる旅行と違って、異国で生活しようとすると制度や生活習慣の違いがあちこちに立ちはだかる。ナタリアさんの生活に地域コミュニティの助けは欠かせないものだ。
「横浜市にはウクライナ避難民向けの支援を行う機関が2つあります。1つは『多文化共生総合相談センター』(外部リンク)で、ウクライナ避難民向けの窓口も設けられています。そこには在日ウクライナ人や日本人がいて、日本の法律や規則にまつわる相談、自治体の手続きなど、いろいろな面でサポートをしてくれます。そして、もう1つのウクライナカフェ『ドゥルーズィ』(外部リンク)は、避難民同士が情報交換し安心して交流できる場や、市民や企業の皆さんからのお申出と避難民をつなぐ場になっています」
隣人や娘のママ友たちも、言葉の壁に向き合いながらナタリアさんの暮らしを手助けしてくれる心強い存在なのだとか。
「隣に住んでいる人のお嬢さんが娘と同じ学校に行っており、校長先生に相談してくれて、娘の勉強のために机といすを借りてくださいました。また、同じマンションに住んでいる女性がバス停で声を掛けてくれ、後日わが家に遊びに来て一緒に線香花火をしました。何人か仲良くなりママ友もできました。小学校の規則を説明してくれたり、幼稚園のお弁当のことを教えてくれたり。分からないことだらけなので、本当に助かります。会話はオンライン辞書やLINEの翻訳機能を使います。最近、次女が3歳になったのですが、その時は『3歳児検診があるよ』と教えてくれた上に、自治体と連絡を取り、手続きもしてくれたんです。私たち家族の歓迎パーティーをして、お花を贈ってくれたことも。とても助けられていますし、彼女たちのおかげで少しずつ日本のことが理解できています」
スーツケース1つしかなかった荷物も、生活が整うに連れ次第に増えてくる。同居している叔母は日本に避難するための飛行機代を出してくれたが、家が手狭になっていくのが申し訳なくもあり、ナタリアさんは家族3人で新居を探すことを考えている。
「公営住宅の申請をしたのですが、残念ながら私たちが住んでいる近くには住宅がないそうです。別の地域で探すとなると、子どもたちは転校することになります。ウクライナから避難して、ようやく慣れた頃にまた転校というのは強いストレスになると思いますので、日本財団さんの支援を活用してアパートを借りることを検討しています。ウクライナから金銭的サポートが受けられない今、この支援は私たちにとって“命をつないでくれている”と言っても過言ではないものなんです」
育児が一段落した後「自分には何ができるのか」
娘たちに「日本に来たのは避難ではなく旅行だ」と伝えていると、ナタリアさんは話す。
「ウクライナと日本は環境が違いますが、それをいい・悪いではなく『面白い』、いろいろな国に住むのは『新しい経験だ』と捉えられるようになってほしいんです。家や財産を奪われたとき、残るのは知識・能力・技能・経験だけです。ですから子どもたちには持てる才能を伸ばしてほしいし、いろいろな場所でも生きていけるコミュニケーション能力を身に付けてくれたらうれしいです」
長女は週に一度、ボランティアの日本語教師によってオンラインの日本語レッスンを受けている。同じく週に一度、ウクライナ人の教師からウクライナ語と算数のレッスンも。
「日本語で算数を学ぶのは難しいので、ウクライナ語で理解できれば助けになると考えました。またウクライナ国民の基盤として、ウクライナ語はきちんと身に付けておいてほしいとも思っています。時々周りの人から『ロシア人についてどう思っているのか』と聞かれることがあるのですが、私はロシア人について全く考えていません。違う国が起こした戦争のことより、ウクライナの復興と未来について考えたいんです」
来日して間もなく半年が経過する。時おり、電池切れになりそうな自分を感じることもあるのだという。
「彼女たちを学校に送り出した後、ふと『女性であることを思い出したいな』と感じることがあります。すっかり白髪だらけなので、美容院に行って髪の毛を染められたらどんなにいいだろう、と。また、甲状腺の持病があるのと、2021年にコロナウイルスに罹患した後遺症でめまいが残っているので、病院に行きたいなと思うこともあります」
ナタリアさんは、この6年間は育児に専念しているが、ウクライナでは企業の会計士として働いていた。結婚式のコーディネーター職を務めたことも。いつか日本で働くことも視野に入れているが、実現できるかについては不安もある。
「今は娘たちが最優先、とう選択に迷いはありませんが、子どもの生活が安定してきたら自分がこれからやりたいことについても考えたいですね。言葉の問題もあり、日本で何ができるのか。正直いろいろなことがあったので、そもそも何をやりたいのか分からなくなってきている面もあります。仕事にまつわるオリエンテーションやトレーニングのようなものがあればいいのですが」
今は、日本についてもっと知りたい、とナタリアさんは言う。
「週末は娘たちを連れて、公園や海岸などさまざまな場所に出かけます。先日は横浜で田植えの体験ツアーに参加したところ、とても楽しそうにしていました。情報をどう得ればよいのかまだ分からないのですが、日本にも自国の文化を紹介したい、という方がたくさんいらっしゃると思うので、そういう人たちとつながっていけたらうれしいです。日本は島国のせいか、時々日本の人たちに距離感を感じることがありますが、こちらが心をオープンに接するとたいてい心を開いてくれます。私たちはみんな違う人間ですし、人によって事情も考えていることも違います。ただ、必ずお互いから学べることがあるのではないか、というのが私の信念です。将来、日本人とウクライナ人が一緒に何かできるような機会が生まれたらいいな、と願っています」
日本財団が渡航費や生活費を申請したウクライナ避難民を対象に2022年6月から継続的に実施しているアンケート調査では、支援が不足していると感じるものに、「就職機会、職業訓練」「日本語教育」「医療」などに続き、「遊び、観光」「仲間づくり」も。私たちが当たり前だと感じている「ふつうの生活」を送ることが難しいのだ。
図表:ウクライナ避難民が日本国内で支援が不足していると思うもの(5つまで選択)
さまざまな事情を抱え、国に帰れない人たちをどのように地域に受け入れ、支援し、どのように共生していくのか。戦争はいつ起こるか分からないし決して他人事ではない。ナタリアさんの経験を通じて、困難に直面する人たちに手を差し伸べる制度や社会の在り方について、ぜひ考えてみてほしい。
第3回以降では、日本に暮らす外国人の事情に詳しい専門家や行政への取材を通して、ウクライナ避難民の人々にいま必要な支援を探っていきたい。
撮影:永西永実
- ※ 掲載情報は記事作成当時のものとなります。