日本財団ジャーナル

社会のために何ができる?が見つかるメディア

【避難民と多文化共生の壁】関心を持つことが共生の第一歩。横浜市が取り組む公民連携によるウクライナ避難民支援

写真:左は、ドゥルーズィで開かれたウクライナの工芸品「プィーサンキ」づくりのワークショップに参加するウクライナ避難民の子どもたち。右は、オデーサ市の柔道クラブの子どもたちと市内にある浅野学園等の生徒たちとの合同練習会の様子
国際平和都市・横浜市ではウクライナ避難民の人々と地域との交流を促すさまざまな取り組みを展開
この記事のPOINT!
  • 公民連携による支援を実現した土台には、横浜が培ってきた「協働・共創」の風土がある
  • 長期滞在に伴って、避難民のクオリティ・オブ・ライフ(生活の質)に配慮したサポートを用意
  • 前例なき人道支援に伴う課題を解決するため国・自治体・企業・市民が一体となった対応が必要

取材:日本財団ジャーナル編集部

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が開始されたのが2022年2月24日。約9カ月が経過する現在もまだ、各地で戦闘が続く。国境を越えて戦火を逃れたウクライナ避難民は1,200万人以上(2022年11月現在)にも上る。

同年3月、日本政府はウクライナ避難民の受け入れを表明。日本での生活に必要な宿泊費や食費などの支援として、5億2,000万円の予備費を計上すると決定した。

金銭面の迅速な判断がなされた一方、国が示した支援メニューは大枠に留まるものであり、避難民受け入れの窓口役を担う地方自治体の多くは、具体的にどういう方法で避難民の生活を支えていくかそれぞれが創意工夫しながら進めている、という状況である。

そうした中、国の決定よりも早く公民連携で独自の支援体制を築いた自治体が神奈川県の横浜市(外部リンク)だ。

そのスピード感は特筆すべきもので、ウクライナ侵攻翌日の2月25日に山中竹春(やまなか・たけはる)市長がロシアの侵攻に対する抗議声明を発表。3月早々には「避難民支援相談窓口」を市内12カ所に開設すると共に、庁内の関係区局を構成員とする、避難民支援に特化した「横浜市ウクライナ避難民等支援対策チーム」を立ち上げた。

そして市内に避難したウクライナ避難民に対する横浜市独自の公民連携による支援メニュー「オール横浜支援パッケージ」を4月15日より開始。入国に伴う一時滞在の対応から避難生活が長期化した場合の準備までをも視野に入れたワンストップの内容で、大きな話題となった。

オール横浜 支援パッケージの内容:
一時滞在施設提供
・来浜直後2〜3週間程度
・一時滞在用の施設(食事付)

生活スタート支援
・在留資格変更・区役所窓口手続
・銀行口座開設、SIMカード取得
・スマートフォンを1年間無償貸与

医療サービス
・医療ニーズの把握
・必要な医療サービスへの繋ぎ

住居・家具・家電
・市営住宅を1年間無償提供(家具・家電等整備)
・民間の賃貸住宅等をご案内

ウクライナ交流カフェ
・ウクライナ避難民等の交流拠点
・企業等の皆様による支援を繋ぐ

就学・日本語支援
・小中学校への就学支援
・無償を基本とした就学援助
・日本語指導等による学習支援
・日本語教室・通訳翻訳機の提供

日常生活支援
・生活用品や食品の提供
・就労を希望する方への支援
・弁護士による法律相談

生活に係る費用
・日本財団様のご支援をご案内
 →生活費一人100万円/年(分割支給。1家族300万円/年を上限)
 →住環境整備費 一戸一律50万円
「オール横浜支援パッケージ」の内容 (2022年11月現在)

戦争の終結がいまだ見えない中、避難生活の長期化が避けられないことは容易に予想される。ウクライナ避難民が日本で安心して生活するためにはどういった支援が必要になるのだろうか。ひいては、外国人を受け入れていく上で地域社会はどういった課題と向き合うことになるのだろうか。

課題解決への道を切り開いた横浜市の事例から学ぶため、横浜市国際局の「横浜市ウクライナ避難民等支援対策チーム」に関わる、江成政義(えなり・まさよし)さん、三島俊範(みしま・としのり)さん・髙嶋美穗子(たかしま・みほこ)さんに話を聞いた。

特集【避難民と多文化共生の壁】記事一覧

オデーサ市との姉妹都市関係が、公民連携による支援につながる

もともと横浜市は、他市町村と比較するとウクライナ人が多く居住していた自治体で、3月以前のウクライナ人人口は123名。避難民の受け入れを開始した3月中旬以降で73組118人を受け入れており(2022年11月現在)、ほぼ倍増している状況だ。

横浜で暮らす家族や親族を頼って避難してくるケースが主流だが、現在は「オール横浜 支援パッケージ」を利用した「横浜の支援が充実している」ため、避難民が親類に声をかける、といったケースも見られる。

なぜ横浜市は迅速な避難民受け入れ体制を築くことができたのだろうか。

三島さん(以下、敬称略)「ウクライナのオデーサ市と姉妹都市関係にあったことが1つの要因です。スポーツを通じた交流も行っていましたし、横浜の都市づくりのノウハウをオデーサ市に共有する取組みも動き始めたばかりで活発なやり取りがありましたから、ロシアによる侵攻の事実を知って、これは決して見過ごすことができない状況だ、という思いが現場の職員にはありました。また日本の政令市の中でいち早く『国際局』を創設したのは横浜市です。現在、避難民支援に関する本部的な役割を私たち国際局が担っていますので、そういった部署があったことも迅速さにつながっていると思います」

写真
横浜市とオデーサ市との交流について語る三島さん

江成さん(以下、敬称略)「私たち職員も、市民の方々も『横浜は日本を代表する国際都市の1つである』というシビックプライド(居住都市に対する市民の誇り)を持っているように感じています。同時に、1987年には国際連合から『ピースメッセンジャー(平和の使徒)都市』という称号が授与され、国際平和の推進に関する条例もある平和都市だという意識もあります。有事の時だからこそ『その名に恥じない行動をしていこう』という現場職員の意識と市長のリーダーシップが一つになって、素早い行動につながっていったのではないでしょうか」

写真
ウクライナ避難民支援の迅速な取り組みの背景について語る江成さん

公民連携による支援メニュー「オール横浜支援パッケージ」は、横浜市に来た避難民がホテルに一時滞在し、銀行口座開設ほか各種手続きを進め、住宅・食料の提供などを通じて生活基盤を整備。その後は就学・就労、日本語習得の支援など、新しい暮らしを始めるためのリアルな悩みに寄り添ったきめ細かい内容となっている。

国の方向性が定まらない中、この内容を構築していくには苦労もあったという。

江成「避難民の受け入れに当たって、まずは『住む場所が必要だ』と考えて市営住宅を所管する建築局が住宅の確保に動きました。市営住宅で本格的な避難生活を始める前の段階で、一時的に安心して過ごせる宿泊先を用意しなければと市内のホテルに協力を仰いだのがパッケージの第一歩です。その後は横浜市内の企業に協力を仰いで家具や家電を揃えると共に、国際交流団体(公益財団法人横浜市国際交流協会〈YOKE〉)と支援相談窓口を立ち上げるなど、生活に必要な衣食住のニーズに沿って一つ一つ起こる課題を手探りでクリアしながら、最終的にパッケージとしてまとめました。具体的な支援を進めていく中で、日本財団さんや横浜YMCAさん等にも多大なるご協力いただきました。また、オデーサ市からの柔道青少年の一時避難受け入れの際には、横浜市柔道協会さんにもお世話になりました」

写真
3月10日に横浜市庁舎で行われたウクライナ侵攻による犠牲者の方々への献花。手前は山中竹春市長

三島「横浜は人口約377万人の大都市ですが、以前から『市民協働』の風土があり、これまでも公民一体でプロジェクトを行ってきた蓄積がありました。今回の支援パッケージについても私たちから働きかけるだけではなく、自ら協力を申し出てくれる市民団体や企業がいました。多様なステークホルダーをまとめるのは行政の得意分野ですから、公民で相互連携して一緒にやっていこう、という姿勢が支援パッケージとして表れた、という言い方もできます」

江成「市民協働という文脈で言うと、今回のウクライナ支援に対して国際局の国際協力部門が中心となって募金を呼びかけ、短期間で多くの募金が集まったことも印象深い出来事です。現地に支援を届けるための募金に約2,400万円、横浜市内の避難民を支援する募金に約1,500万円。それも市庁舎や区役所に設置された募金箱に集まった金額ですから、市民の方々がウクライナをサポートしようとわざわざ足を運んでくれた結果です。これには驚き、感動させられました」

写真
横浜市庁舎に設置されたウクライナ支援の募金箱。横には献花も

「居場所づくり」「自己実現」など避難民の生活の質にも着目

「オール横浜 支援パッケージ」の中でも特徴的なのが、4月末に横浜国際協力センター内にオープンした「ウクライナ交流カフェ ドゥルーズィ(ウクライナ語で「ともだち」の意)」(外部リンク)の存在だ。

この場所の目的は、企業からの寄付やボランティアの方々の申し出をつなぐと共に、ウクライナ避難民が母国語で情報交換し、安心して交流できる空間を提供すること。衣食住など生命維持に関わる支援だけではなく、人とのつながりや心の触れ合いといった、避難民のクオリティ・オブ・ライフ(生活の質)を視野に入れた支援の形だと言えるだろう。

写真
ドゥルーズィで開かれたウクライナの工芸品「プィーサンキ」づくりのワークショップに参加するウクライナ避難民の子どもたち
写真
ドゥルーズィで開かれた七夕をテーマにした日本語ワークショップの様子

江成「もともとは集まった支援物資をストックし、避難民へと受け渡す場所にできたら、という視点が始まりでした。しかし受け入れが進むうちに、急激な生活の変化や言葉の問題などで、避難生活によるストレスについても分かってきました。そこで、避難民同士はもちろん、在日ウクライナ人や地域の方々と交流できる場所があれば、外に出るきっかけも生まれて精神衛生上も良いのではないか、と現在のカフェ形式に発展していったんです。避難されている子どもさんのために、キッズスペースも設置しています。現在は、必要に応じウクライナ人スタッフによるカウンセリングを行うと共に、YOKEの支援相談窓口につなげています。また、企業や個人の皆さまから大相撲観戦や田植え体験等さまざまなお申し出をいただき、避難民にご参加いただいています」

髙嶋さん(以下、敬称略)「受け入れ開始から半年近くが経過しましたが、戦争終結の目処はついていません。時間の経過と共に日本で子どもを就学させたり、自らも就労を検討したりする必要が出てくるでしょう。求められる支援が『受け入れ』から『地域社会にどう溶け込むか』というフェーズに移行しつつあるんです。目の前の暮らしが安定すると同時に、戦争や避難のストレスによる心身の不調を訴える方、高齢のため語学の習得や就労に不安を覚える方など、新しい悩みも生まれています。これまでは国際局や提携する市民団体が避難民一人一人に寄り添いながら課題解決を目指してきましたが、今後は少しずつ地域社会に溶け込み、そこで悩み事を相談できる関係性を築いてもらう必要も出てきます。そういうステップとして『ドゥルーズィ』が市民と避難民の交流を促す場としても活用できるのではないか、と」

写真
横浜市に暮らすウクライナ避難民の現状について語る高嶋さん

三島「現在もすでに、文化交流の場として各種イベントを定期的に開催しています。日本文化を避難民の方々に知っていただく企画もあれば、市民の方々が避難民からウクライナ語を教わる、という企画も。支援する側・される側ではなく、フラットで対等な関係性を築いていける場としての役割を期待し、ゆくゆくは避難民の方が自ら企画を立てて、自分らしい居場所をつくっていくような在り方になればいいな、と想像していましたが、想像より早く、そのような形に向かっていっています」

ウクライナってどんな国?関心を持つことが共生への第一歩

自治体が主体となって、独自の支援メニューを構築・運用していった横浜市。ここまでの歩みを振り返り、今後解消していくべき課題だと感じているのはどういう点なのか。

江成「長きにわたり横浜市が、国際機関や国際会議の誘致などを進めてきたという実績もウクライナ支援の原動力となったと思います。また、外国人が暮らしやすく、社会参画しやすいまちづくりを推進しているYOKEの存在も大きかったですね。当初、私たちも『先走って国の方針と齟齬があってはいけない』と考えていました。しかし、命からがら戦地から避難されてくる方々を前にして、市長をはじめとする幹部のリーダーシップはもとより、市民や議会からのウクライナを支援すべしとの声が追い風となり、他の自治体に先駆け、横浜市独自の対応へと舵を切ることができました」

三島「避難民のこともそうでしたが、国が大枠の制度・方針を作って交付金の支給を決定したあと、細かいところは自治体で……という方式になることがあります。その場合に何が困るのかというと、例えば今回の避難民入国は現行の身元保証人制度を使っていますが、その管轄は法務省。しかし滞在ビザを管轄するのは外務省で、最終的に入国許可の判断をするのは入管と、業務が細分化されています。また避難生活の長期化によって、税金や健康保険についても今後検討していかなければいけない事柄です。これもまた税金は財務省で、健康保険は厚生労働省と別々の管轄です。しかし、避難民がやってくるのは自治体の窓口ですから、私たちが避難民の抱える事情ごとに関係省庁に連絡して確認を取ることになってしまうんです。難しいこととは思いながらも、現場の動きをもっと反映しながら、『生活』という視点で制度設計や制度修正を進めていける体制が生まれてきてほしい、という思いは抱きます」

多文化共生社会の実現に向けて、早くから動き出している横浜市。外国人との共生を考えていく上で私たちにとってどういった意識・心構えが大切になるのか、避難民の受け入れを通じて気付いたことを共有いただいた。

写真
8月24日に、オリンピックメダリストの井上康生(いのうえ・こうせい)さんと羽賀龍之介(はが・りゅうのすけ)選手を指導者に招き行われた、オデーサ市の柔道クラブの子どもたちと市内にある浅野学園等の生徒たちとの合同練習会

三島「多文化共生や平和という言葉だと大きな話に聞こえますが、その原点は『ウクライナってどんな国なんだろう?』『どういうことが起こっているんだろうか?』と相手に興味・関心を持つことが第一歩なのかな、と感じます。以前ウクライナと横浜、柔道を学んでいる子どもたち同士の交流を兼ねた合同練習をしたことがありました。横浜の子どもたちからは『ありがとうの握手をする時にしっかり握ってくれて、礼節ってこういうものなんだと感じた』『自分たちは恵まれた環境で練習できていると気付いた』などの声が聞かれたのですが、改めて自分を知り、新しい気付きがあるのは相手の存在があってこそです。外国人に限らず、人に対してフラットな気持ちで接することが大切なのではないでしょうか」

江成「同感です。実際に行動し、触れ合ってみると、インターネットでは得られない気付きや発見が必ずありますよね。最近は何でも検索できますから『どんなことでも知っていないと恥ずかしい思いをする。』と考えてしまい、スマホを手放せない人が多い気がします。しかし、頭で考えるよりも、相手の立場に立って、まずは自分ができることから素早く始めてみる。その一歩を踏み出しさえすれば、自ずと次のアクションへと導かれ、国や文化に対する感じ方が広がっていくと思います」

写真
外国人との共生に必要な視点について話してくれた江成さん(左)、三島さん

撮影:十河英三郎

〈プロフィール〉

江成政義(えなり・まさよし)

横浜市国際局 国際政策部 国際連携課 欧州米州担当課長。ウクライナ侵攻以前は、東京五輪のホストタウン交流、アフリカ諸国との交流などを担当。侵攻直後からウクライナ国旗カラーによる「市庁舎ライトアップ」や横浜市ウクライナ避難民等支援対策チームの設置に従事し、オール横浜支援パッケージの企画・立ち上げを担当する。

三島俊範(みしま・としのり)

横浜市国際局 国際政策部 国際連携課 課長補佐。欧州米州担当として横浜市と欧米都市との連携促進業務を担う。姉妹都市であるウクライナ・オデーサ市との連携も担当していたことから、同市を中心としたウクライナ支援および横浜市に来た避難民支援業務を開始。現在はウクライナ支援全般の総合調整を担当する。

髙嶋美穗子(たかしま・みほこ)

横浜市国際局 国際政策部 政策総務課 ウクライナ避難民等支援担当課長。ウクライナ避難民等支援対策チームの一員として、チームの差配や支援メニュー実施体制の整備、関連機関との連携やデータ管理といった避難民支援の統括業務を担当する。

特集【避難民と多文化共生の壁】記事一覧

  • 掲載情報は記事作成当時のものとなります。