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いまも被災者・ご遺族の思いに応え、家族の「生きた証し」を守り続ける。「思い出の品」を持ち主の元へ

東日本大震災の発生直後に行われた「思い出の品」返却会の様子
東日本大震災の発生直後に行われた「思い出の品」返却会の様子。画像提供:一般社団法人三陸アーカイブ減災センター
この記事のPOINT!
  • 東日本大震災による津波で流され持ち主が分からなくなった「思い出の品」(写真や物品)は、発災直後から現在も返却活動が続けられている
  • 保管場所の維持や活動資金不足で現場は厳しい状況にある一方、自身や家族の思い出の品を探し、また受け取る心の準備に時間を要する人も多い
  • 返却期限を設けず、被災者一人一人の心のタイミングに寄り添う長期的な支援が必要

取材:日本財団ジャーナル編集部

2011年3月11日に発生した東日本大震災。その津波によって流された写真や位牌、卒業証書などの「思い出の品」は、ボランティアや自治体などによって回収、保管され、持ち主への返却活動が続けられてきました。

しかし、震災から10年経った2021年3月に国の財政支援が終了。保管場所の確保や資金不足、担い手不足、劣化を防ぐ難しさなどから、やむを得ず処分する動きが広がっています。

こうしたなか、「災害時に保管された思い出の写真や物品が、希望する全ての人に返却される社会の実現」を目指して、東日本大震災発災直後から活動を続けているのが、岩手県陸前高田市を拠点にする一般社団法人三陸アーカイブ減災センター(外部リンク)です。

災害時の「思い出の品」が持ち主の元に戻らない背景には、「震災による心の傷が癒えていない」「亡くなった家族や友人のことや当時の状況を思い出すことが辛い」「被災地から離れて暮らし、訪問して探す時間が取れない」「量が多く探すのに時間がかかる」などといった、さまざまな事情があります。

今回は、同センターの代表である秋山真理(あきやま・まり)さんに、震災時の「思い出の品」の回収、保管、返却をはじめとする取り組みや、品物が持ち主に戻る意義、活動継続における課題などについて話を伺いました。

三陸アーカイブ減災センター・代表の秋山さん
三陸アーカイブ減災センター・代表の秋山さん。画像提供:一般社団法人三陸アーカイブ減災センター
陸前高田市の竹駒常設会場に保管されている膨大な「思い出の品」の全景
岩手県陸前高田市竹駒町に設けられた常設返却会場には、今も多くの写真や物品が保管・展示されている。画像提供:三陸アーカイブ減災センター

発災後、砂にまみれ海水に濡れた写真をきれいにして返却する活動が、全国に広がる写真洗浄等の活動の原点に

――まず、三陸アーカイブ減災センターの活動内容について教えてください。

秋山さん(以下、敬称略):私たちは岩手県陸前高田市を拠点に、東日本大震災の津波で流された写真や物品、いわゆる「思い出の品」の返却活動を行っています。

この震災では推定20万枚から30万枚の写真が流出したとされており、そのうちのおおよそ7割から8割は返却が完了しました。現在は約7万4,000枚の写真やプリクラに加え、ご位牌、卒業証書などの賞状、母子手帳、へその緒、トロフィー・盾、祭祀道具、表札、掛け軸、生活用品、絵画、木像など、約2,400点の物品を保管している状態です。

――秋山さんがこの活動に携わるようになったきっかけを教えてください。

秋山:震災前、私は東京で防災コンサルタントをしていました。発災後、行政ボランティアとして岩手に入り、2011年のゴールデンウイークに最初に従事したのが、陸前高田市で開催された「思い出の品の返却会」だったんです。

小高い山の上にある気仙大工左官伝承館の駐車場で、海水に濡れたアルバムを乾かしながらお返しする。そこから陸前高田市の思い出の品の返却活動が始まりました。

その後、支援者や他の被災自治体などとのご縁を経て、復興支援や記録保存を目的として三陸アーカイブ減災センターを立ち上げました。現在は「思い出の品」の返却活動と全国の災害で被災した「写真」を救う活動を中心に取り組んでいます。

――東日本大震災以前もこういった活動は行われてきたのでしょうか。

秋山:自治体の「思い出の品」の回収・保管・返却は、東日本大震災から始まりました。環境省が、「災害廃棄物対策指針」において、いずれの災害においても、土砂やがれきなどにまぎれた「思い出の品」を「所有者等の個人にとって価値があると認められるもの(思い出の品)については、廃棄に回さず、自治体等で保管し、可能な限り所有者に引渡す」と位置付けたためです。

――返却活動は、具体的にどのような方法で行われているのでしょうか。

秋山:そもそもこの事業は、「早く返して、早く終えるべき」性質のものです。そのため単に待つだけではなく、さまざまな方法で返却を試みてきました。

まずは返却会の開催です。いつでも探しに来られる常設会場として、現在は陸前高田市の竹駒町に設置しています。そのほかにも、市内や近隣自治体の仮設住宅や災害公営住宅の集会所やコミュニティセンター、岩手県内陸の商業施設、また離れた場所で暮らす被災者のために、盛岡、仙台、東京などでも出張返却会を行ってきました。

2019年3月に東京・原宿で行われた出張返却会の様子。壁一面に写真が展示され、来場者がファイルを閲覧している
2019年3月に東京・原宿で行われた出張返却会の様子。画像提供:一般社団法人三陸アーカイブ減災センター
2024年11月に盛岡で開催された「思い出の品」返却会の様子。長テーブルに並んだ複数のノートパソコンを使用して参加者がデータ確認を行っている
2024年11月に盛岡で行われた出張返却会の様子。震災直後からしばらくは現物を閲覧できる返却会に始まり、いまではデジタル化した思い出の品をPCで、またオンラインでも閲覧ができる機会を設けてきた。画像提供:一般社団法人三陸アーカイブ減災センター

日常生活で特別ではない閲覧機会やオンライン申請。返却への多角的な取り組み

――返却会以外にも返却を進める方法はあるのでしょうか。

秋山:そうですね。震災直後は地元紙への写真の掲載や、市内の美容室・理容室、診療所などに「思い出の品」の一部を閲覧できるインデックスファイルの設置、広報紙として「陸前高田市 思い出の品通信」の毎月発行など、日常生活の中に思い出の品に触れる機会を増やしていきました。

「明日は探しに行こう」と、どきどきしながら明日の朝を迎えるといった心のハードルを超えることは被災者やご遺族の心に負荷をかけてしまうので、被災者やご遺族が、気負うことなくごく自然に思い出の品に触れることができる環境を整えることも重要です。

遠方の方にはインデックスファイルの貸し出しや、写真に写っている方のお名前やご年齢をデータベースにして、名前や生年、住んでいらした町名などから該当する写真をピックアップしてお見せして、「最初の1枚」にできるだけ早くたどり着くように工夫もしています。

――さまざまな方法でのアプローチを行っているのですね。

秋山:はい。2022年末からは、オンラインでの閲覧も始めました。ご本人確認等を経て許可制で写真を閲覧できる仕組みを取り入れることで、物理的な距離や時間の制約がある方でも探せる取組みも試験的に始めています。

「思い出の品」のうち、特に写真は、本来震災さえなければご家族以外の目に触れることはありませんでした。そのため、プライバシーへの配慮は特に重要視しています。申請時にいただいた氏名や住所を基に、ご本人確認も兼ねて、ご案内書類一式と、利用規約に同意いただくためのURLを記載した書類を郵送します。その後、SNSなどにアップしないなどといった利用規約への承諾を確認できた方にのみ、閲覧用のURLとパスワードを送付するという段階的な手順を踏んでいます。

また、探してもなかなかご家族やご自身の写真が見つからない方のために、また傷みがないきれいな写真をお渡しするために、発災前に撮影された入学・卒業時の写真や幼稚園等で撮影されたスナップ写真、陸前高田市の町並みやお祭りの動画等を収集して、提供する取り組み。加えて、陸前高田市の広報担当者が撮影した14万枚以上の写真から写真をピックアップし人物が写っている写真を閲覧できるようにするなど、思い出の品を「増やす」取組みにも力を入れてきました。

美容室の受付カウンターに置かれた、「陸前高田市 思い出の品 お預かりしている物品一覧」というバインダー。
物品と写真の一部が閲覧できるインデックスファイル。市内の歯科医院や美容室・理容室などに設置され、つい最近もファイルの中に家族の写真を見つけた方から連絡があり返却に結びついたという。画像提供:一般社団法人三陸アーカイブ減災センター
「思い出の品」のインデックスファイルの例。見開きには、大漁旗、太鼓、獅子舞のお面、木彫りの置物、笛など、写真以外の「物」が一つずつ整理番号と共に写真に収められている
物品のインデックスファイルの例。写真は複数枚ある「アルバム」から見つけやすい1枚を、また物品は、記名がある物品のリストのほか、細かい品目に分類され、「思い出の品」を探しやすいよう丁寧に整理されている。画像提供:一般社団法人三陸アーカイブ減災センター

「思い出の品」は家族の歴史であり、生きていた証し

――「思い出の品」は、被災者にとってどのような意味を持つのでしょうか。

秋山:「思い出の品」の価値を決めるのは私たちではなく、持ち主ご本人とそのご家族。持ち主の手元に返るその日まで、思い出の品の一つひとつを大切にお預かりしています。例えば、たった1枚の診察券でも、ご家族やご遺族にとっては「その人が生きてきた証し」「唯一の遺品」になることもあります。

特に、ご遺体が見つかっていないご遺族にとって、「思い出の品」はご家族の大切な宝物で、ご家族の大切な記憶、歴史そのものです。被災して家の土台以外の全てを失った方にとって、思い出の品を取り戻した時、ほとんどの方はとても嬉しそうになさいます。

「津波から初めて戻ってきた縁起物」とおっしゃる方もいますが、何か一つでも戻ることで、被災者やご遺族の心にぽっかりと空いてしまった喪失感を埋め、前を向く力となり、心の回復に大きく寄与するのではないかと考えています。

――一方で、思い出と向き合うのがつらいという声もあるのではないでしょうか。

秋山:はい。それも難しい課題です。思い出の品を探す過程で、PTSDなど、当時の状況や深い悲しみ、また後悔などを呼び起こす引き金になることもあります。

ご本人も、日々気持ちや環境の変化もありますし、時間を要する方も数多くいらっしゃいます。思い出の品の報道に触れて「いつか心が落ち着いたら見に行きたい」とお電話をいただいたこともありますが、現在も継続した長期的な活動が求められています。

写真の返却を受けた被災者からの手書きのアンケート用紙2枚。1枚目には「津波の中から手元に戻ってきてくれて涙が出た」と綴られ、2枚目には「次男の赤ちゃんの時の写真が見つかり、諦めていたのでとても嬉しい」という言葉が記されている
「思い出の品」を受け取った方々の感想の一部。画像提供:一般社団法人三陸アーカイブ減災センター
「陸前高田市思い出の品」返却活動の継続をいつまで望むかを集計した円グラフ。336人を対象とした調査結果で、「ずっと(期限を設けず)」という回答が55%と過半数を占めている。次いで「10年後まで」が19%となっており、長期的な活動の継続を求める声が圧倒的に多いことを示している。
「思い出の品」のオンライン閲覧申請者や、陸前高田市に縁のある人を対象とした意向調査(2022年〜2025年に実施)。10年以上の長期取り組みを望む方が8割を超え、また「期限を設けず活動を続けてほしい」と答えた人が半数以上を占めた。データ提供:一般社団法人三陸アーカイブ減災センター

「まだ受け取りたくなかった」――「思い出の品」と向き合い、再び経験する別れ

――「思い出の品」の返却活動を続けていく上で、保管場所の確保や資金面など、直面する課題はありますか。

秋山:実は2017年に一度、国の予算が確保できなくなったことを理由に、陸前高田市から「思い出の品」の返却活動を終了するという決定が下されたことがあります。

これを受けて、新聞やテレビなどのメディアでは「今年が最後の返却機会になる」といった趣旨の報道が相次いで行われました。この「活動終了」の報道と、初めての東京等での返却会の開催がきっかけとなり、東京や仙台などでの出張返却会に多くのご遺族や陸前高田に縁のある方が訪れることになりました。

一方で、「思い出の品が見つかったことはうれしいけれど、まだ受け取りたくなかった」とおっしゃるご家族も複数いらっしゃいました。思い出の品を受け取ることは、お身内を亡くした厳しい現実を受け入れることにもなります。「まだどこかで生きていると信じていたい」——そうしたお気持ちを抱えるご家族はとても多くいらっしゃるものと思います。

そうしたご遺族の深い悲しみ、心の傷みに触れ、人の気持ち、内面の問題に「いつまでに見に来て欲しい」と終わりを告げる、期限を設けることの難しさを痛感しました。震災から15年を迎えるいま、本活動の一部に充てていた国からの補助金も今年度で終わります。被災者等の思いに応えるための寄付をお願いする活動は、これからが正念場になります。

――受け取る準備が整うまでに、長い時間が必要な方もいるのですね。

秋山:はい、「探したい」と思うタイミングは人それぞれです。例えば、震災から10年以上が経ち、お孫さんが生まれたことをきっかけに、「『お父様の若い頃にそっくりね』と皆が言うが、孫は父の若い頃を知らないので写真を探しに来た」と来場される方もいます。

できれば、一律に「返却期限」を区切ることなく、またどこかでセーフティーネットを設けられたら、と考えています。

返却活動の継続を望む理由をまとめた棒グラフ。主な理由として「自分の子供の頃や若い頃の写真が見つかっていない(69件)」「大切な人の写真が少数しか見つかっておらず、もっと探す時間が欲しい(56件)」「街並みや祭りの様子がわかる写真を探したい(51件)」などが挙げられている
返却活動を続けてほしい理由には、自分や家族の写真が見つかっていないことに加え、時間をかけて探したい、子どもや孫のために残したいといった声が寄せられた。データ提供:一般社団法人三陸アーカイブ減災センター
小さな女の子が、ビニール保護された自身が乳児だった時の写真を見つめている
子ども(当時4歳)が乳児の時の自分と対面する様子。画像提供:一般社団法人三陸アーカイブ減災センター

次の災害が起きたとき、「思い出の品」をどう守るか

――全国の災害において、「思い出の品」を希望する全ての人に返却できる社会を実現するためには、何が必要でしょうか。

秋山:災害が起きた直後の応急対応活動では、もちろん生命や生活が最優先されますが、落ち着いてくると、思い出の品の大切さ、必要性に気づかされるケースがほとんどです。

こうしたことを、全国の行政、国民の多くに知っていただいて、現状を変えていく必要があります。自治体の災害時の具体的な計画づくりから、現物をいずれ処分せざるを得ない際のセーフティーネットとしてのデジタル化とオンラインで探す仕組み、また立体物のデジタル化や顔認証などといった最新技術の活用、そして被災した写真を救うためのボランティアの育成まで、さまざまな取り組みが必要です。

私たちは、これまで培ってきたノウハウを全国の自治体等に広めたいと願っています。

――現場の負担を減らしつつ返却を進める方法について、詳しく教えてください。

秋山:まず重要なのは、思い出の品の回収・保管・返却といった具体的な内容やマニュアルを、普段の備えとして、環境省と自治体の「災害廃棄物処理指針」や「災害廃棄物処理計画(※)」「地域防災計画」等に落とし込んでいただくことです。

自治体によっては担当課が決まっていないこともしばしばです。いざ災害が起きたときには「災害廃棄物処理実行計画」を策定されますが、思い出の品の取り扱いを「災害廃棄物(がれき)の処理」に含め、がれきから思い出の品を取り出して、乾燥、洗浄、デジタル化等といった処理を業者に委託することができたなら、応急対応活動に追われる自治体職員の負担を極めて軽くすることができます。

これにより被災自治体は、思い出の品に関する財源の確保や担当者の不足に悩むこともなく、また早い乾燥等で劣化を最小に抑えることができ、その後の返却業務もスムーズに取り組むことが可能になります。

  • 「災害廃棄物処理計画」とは、災害時に発生する災害廃棄物に対する平常時の備えや、発災時の状況に応じた適正かつ円滑な処理、ならびに迅速な復旧・復興に寄与するために必要な事項をまとめた計画を指す

――返却活動を進める上で、自治体が直面しやすい課題や、今後備えておくべき点についてはどのようにお考えでしょうか。

秋山:自治体が返却活動をするなかで、被災者の気持ちを汲み取って活動を続けていただきたいと願っておりますが、それでもどこかで区切りをつけ、思い出の品の現物を廃棄せざるを得なくなるときが訪れるかもしれません。

そうした場合のセーフティネットとして、今後デジタル化された写真や物品のデータを利用して、安価に利用できる「オンライン」の仕組みが必要になります。津波や洪水、土砂災害では、品物は行政区を越えて流出することもしばしばです。都道府県域を越えて探すことができる仕組みの構築や、顔認証技術の活用が求められてもいます。

さらに、被災した写真の応急処置方法や写真洗浄等の処置方法を周知し、災害時に、必要な方に手を差し伸べることができる担い手の育成も欠かせません。

実は、泥にまみれたり水に濡れた写真でも救えるといった知識が広まっていないことで、捨てられたり失われてしまった写真も数多く存在します。「土にまみれたり水に濡れた写真でも救えるので捨てない」「まずは乾燥(あるいは可能なら冷凍)させる」といった、災害時の応急処置の方法を、例えばボランティアに入った先で被災者に伝えていただくだけでも、一度失うと二度と手に入らない写真をご家族の宝物として留めることができます。

「水に濡れた写真の応急処置」を日本語で説明した啓発チラシ。カビやバクテリアの繁殖を防ぐために「早く乾燥させること」を最優先事項として掲げている。アルバムの広げ方、台紙付き写真の扱い、額入り写真の取り出し方などが写真付きで分かりやすく解説されている
同センターでは、「水に濡れた写真の応急処置」のちらしの配付のほか、富士フイルムの協力を得て、被災写真の取り扱いのノウハウを伝える動画も「被災写真救済ネットワーク」のサイトで提供している。画像提供:一般社団法人三陸アーカイブ減災センター
水に濡れた写真の応急処置を説明する英語版の啓発チラシ
「水に濡れた写真の応急処置」のちらし(英語版)。画像提供:一般社団法人三陸アーカイブ減災センター

一枚の写真が心の回復を支える

――災害支援では後回しにされがちな「思い出の品」ですが、長年活動を続ける中で、「思い出の品」の返却にどのような意味を感じていますか。

秋山:発災直後は、まず生命を守ること、そしてその後の暮らし、仕事など生活の立て直しが最優先です。一方で、震災から15年を迎える今も変わらず、私が目の当たりにしているのは、「やっぱり写真が一番大切と思う」と話す被災者やご遺族の声です。

例えば、50代の方が、亡くなったお父様が撮ってくれたご自身の幼少期の写真を見つけた時、当時の思い出やお父様のことなどの記憶が呼び起こされ、たくさんのエピソードを話してくださいます。

また、80歳を超えた方が、自身の学生時代の集合写真を手にした時は、子どもの頃に遠足に行った思い出や先生のエピソードなどをお聞かせくださいました。このように写真は、記憶や思い出のトリガーにもなっていて、一度失うと二度と同じ物が手に入らない家族みんなの宝物です。そうした思い出の品の重要性と価値をこれからも伝えていきたいと考えています。

被災した写真の修復過程を比較した3枚の組写真。上段は「元の写真」で、ベビージムで遊ぶ赤ちゃんの鮮明な姿。中段は「被災時」で、泥汚れや水滴の跡が付着している。下段は「洗浄等の処理後」で、中央の赤ちゃんの姿がはっきりと見えるまで綺麗に処置されている
被災前、被災後、洗浄等の処置後それぞれの写真の様子。画像提供:一般社団法人三陸アーカイブ減災センター
写真の洗浄・乾燥作業の様子を伝える動画のキャプチャー画像。左側は新聞紙の上で洗濯バサミを使い、アルバムを扇状に広げて乾燥させている様子。右側は水を入れたボウルの中で「指のはらで優しくなでて順に中心に向かって洗っていく」工程を実践している
濡れたや泥にまみれた写真は湿気やバクテリアなどの影響で徐々に画像が失われる。同センターでは、被災した写真の乾燥等の応急処置や乾燥後の処理について動画で発信している。出典:三陸アーカイブ減災センター公式YouTube

被災者に寄り添う活動を支えるために、私たち一人一人ができること

秋山さんから、被災者の心を支える活動を支援するために、私たち一人一人にできる3つのヒントをいただきました。

[1] 「思い出の品」の保管や返却の必要性を広め、寄付で活動を支える

「思い出の品」の返却は、短期間で完結するものでも期間を区切られるものでもない。写真や品物を探すための心が落ち着くまでに長時間かかる人もいる。

震災から15年を迎えるいまも「探したい」人は多くいて、長期的な活動を行う必要性にも迫られているため、資金面の支援は不可欠。被災者の心を支える支援として、活動の価値を周囲に伝え、寄付をすることも重要な関わり方の一つ

[2]災害時に泥や汚れにまみれた写真を救うために正しい知識を広める

泥や水で汚れた写真やアルバムでも、できるだけ早く乾燥や冷凍を施すことで、画像を守ることができ、あとで生活が落ち着いてからゆっくり適切な処理を行うことができる。

「まずは捨てずに乾かす」「写真の状態により、拭き・洗浄・デジタル化という手段を取ることができる」といった初期対応の知識が共有されるだけで、将来、持ち主の心の支え、心の回復をうながす「思い出」を守ることができる

[3] 写真洗浄ボランティアという、被災地への関わり方

東日本大震災をきっかけに広まった写真洗浄等のボランティアは、現在では東京、神奈川、大阪、山口、熊本、金沢、能登など全国各地に広がっている。被災地に足を運べなくても、写真の洗浄やデジタル化などを通じて参加できる活動もあり、誰もが被災者やご遺族の「思い出」を守る担い手になることができる

参考サイト:

2021年に国の財政支援が終了した後も「思い出の品」の返却活動を継続している三陸アーカイブ減災センターの取り組みについて、お話を伺いたいと取材を申し込みました。

被災者やご遺族と長年にわたり向き合ってきた秋山さんの言葉から、「思い出の品」が人の心にどれほど深く寄り添う存在であるのか、改めて実感することができました。

災害を経験した人が、自身の「思い出の品」と向き合えるようになるまでには、それぞれに異なる時間が必要です。災害を経験し、その心の準備が整う瞬間を待ち続ける、息の長い支援が欠かせません。

その重要性を理解し、行動していくことが、私たち一人一人に求められていると感じました。

  • 掲載情報は記事作成当時のものとなります。