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自殺を「個人の問題」にしない社会へ。自死遺族が直面する偏見や孤立と、私たちにできること
- 「本人の意思の弱さが原因」といった自死に対する社会の無理解や偏見はいまだに根強い
- 自死遺族は社会の偏見、孤立、法的な手続き、損害賠償請求など多重の困難に直面することがある
- 「自分の身近にいる人も自死遺族かもしれない」と想像し、自殺を私たちの社会の課題として捉える視点が大切
取材:日本財団ジャーナル
- ※ この記事には、自死(自殺)に関する記述が含まれています。つらい気持ちになる可能性がある方はご注意ください
もし、あなたの家族や大切な友だちが、ある日突然いなくなってしまったら――。
日本では年間2万人を超える方が自ら命を絶ち、2024年は2万320人、なかでも小中高生の自殺者数は529人と、1980年以降で最も多い人数となりました。
自死により家族を失った遺族たちは「自死遺族(じしいぞく)」と呼ばれています。深い悲しみを抱えることに加え、警察や役所での対応、相続や損害賠償などの法的、金銭的な問題に直面しなければならない場合もあります。
しかし社会には、「自殺は本人の弱さが原因」といった無理解や偏見が根深く残っています。そのため多くの遺族はさまざまな思いを抱えながらも、「人に話すことができない」と孤立を深めてしまうといいます。
今回は、自死遺族の支援に長年携わってきた、特定非営利活動法人 全国自死遺族総合支援センター(外部リンク)の代表・杉本脩子(すぎもと・なおこ)さんに、自死遺族が抱える痛みや思い、社会に必要な視点についてお話を伺いました。

自責の念、孤立、法的負担——自死遺族が直面する困難
――身近な人を自死で亡くした遺族は、どのような状況に置かれるのでしょうか。
杉本さん(以下、敬称略):身近な人を亡くすことは、人生の中でとても大きな出来事です。自死となると、ほかの死因と比べて、納得のいく筋道が見えにくく、「理由が分からない」「なぜ」という思いを抱えやすくなります。
そして、「あの時、気づいていれば……」「もっと何かできたのではないか」という自責の念、自罰感が強くなりやすいです。
そうした精神的な負担に加えて、実務的な負担が押し寄せることもあります。例えば、鉄道会社や不動産会社からの損害賠償請求、相続に関する手続きなど、法的、金銭的な問題が発生します。
また、いじめやハラスメントが原因の場合では、事実関係を調べて裁判を起こすこともあります。悲しみを抱えながらも、数多の現実的な壁に直面するのが自死遺族の置かれる状況だといえます。
――亡くなった方との関係性によって、悲嘆の現れ方に傾向のようなものはあるのでしょうか。
杉本:一人一人の悲嘆は全て異なるものだ、というのは大前提ですが、関係性によって一定の傾向が見られるのも事実です。
家族を例にすると、子どもを亡くした親の場合は「わが子を守れなかった」という強烈な自責の念を抱きやすい傾向にあります。
また、親を亡くした子どもは、「自分の存在は、親にとって生きる理由にはならなかったのか」という思いや、「自分のせいで死んだのではないか」という罪悪感を抱きやすいとされています。
一方で、きょうだいを亡くした方の場合は、「親をこれ以上悲しませないように」と自分の苦しみにふたをしてしまうことがあります。私たちの関係者の中にもきょうだいを自死で亡くした方がいますが、「親の苦しむ姿を見ると、自分はいい子で居続けるしかなかった」と語っていたことを思い出します。

求めている助けをひも解き、必要な支援につなぐ「仲人」の役割
――全国自死遺族総合支援センターでは、どのような支援を行っているのでしょうか。
杉本:活動の柱となるのは、主に3つの支援です。
1つ目は「電話相談窓口」です。身近な人が自死で亡くなった直後、「どうすればいいか分からない」と現場から電話がかかってくることもあります。
精神的な苦しみを聞いてほしいという方もいれば、法的、金銭的な相談もあります。ただ、言いたいことをすぐに言葉にできるとは限りません。どんな助けを求めているのか、少しずつひも解いていくお手伝いができればと思っています。
2つ目は、「遺族を自治体や専門家につなぐ支援」です。全国の自治体には自死遺族向けの相談窓口があります。しかし、見知らぬ人たちが集まる役所で個人的な事情を話すのは、遺族にとって心理的に高いハードルがあると思います。
そこで、まずは私たちが遺族の話を伺い、整理した上で、自治体の担当部署に「こういったご相談がある」と橋渡しをしています。また、自死に関する知識と経験を持つ士業の専門家とも連携し、必要に応じて紹介しています。遺族と必要な支援先をつなぐ、いわば「仲人」のような役割が、当センターの大きな特徴だと思っています。
3つ目は、同じ体験をした人たちが集まる「つどいの場」の運営と紹介です。センターでは「身近な人を亡くした子どもとその家族のつどい」や、身近な人を亡くした18歳から30代を対象とした「身近な人を亡くした若者のつどい」を運営しています。併せて、全国各地で行われている「つどいの場」を遺族の方に紹介し、適切な場につないでいます。

支援の歴史と「つながり」の力。10万人の署名から「つどい」へ
――同じ体験をした人たちが集うことには、どのような意味があるのでしょうか。
杉本:「つどい」は遺族にとって、とても重要な場です。自死遺族は苦しみの中で「自分が悪い」「やるべきことをやらなかったからだ」という自責の念にもとらわれやすい。しかも、身近な人を自死で失ったことを周囲に話すことができず、孤立しやすいんです。
だからこそ、同じ体験をした方のお話を聞くことで、「同じように苦しんでいる人がいるんだ」という気づきが起こります。そうした気づきを繰り返すことで、自分だけを責め続けていた視点から少し離れることができる。そして、「できなかったこともあったけれど、やれたこともあった」と、自分の行動を多角的に捉え直せるようになります。
亡くなった方は戻ってきませんから、悲しみが消えて楽になることはありません。でも、視野が広がることで、少なくとも、自分を責め続けてより苦しい道へ進むことは避けられる。「より苦しくはならない」状態を保てることが、遺族がその人らしい生き方を再構築するための、大きな一歩になるのです。
――当事者の声が集まることで、社会や制度にどのような変化が生まれてきたのでしょうか。
杉本:2006年に成立した「自殺対策基本法(※)」は、自死遺族自身が声を上げたことをきっかけに実現しました。私もその署名活動に参加していました。
当初「3,000人の署名を集められるかどうか」と不安に思っていたところ、結果的に10万人を超える署名が集まりました。あの署名の束の重さは、一生忘れることができません。
署名書類の中には「(自死遺族である事実は)誰にも言っていないので(署名集めに)協力できなくて申し訳ない」というコメントが添えられているものもありました。その一文は、いまでも強く記憶に残っています。
- ※ 「自殺対策基本法」とは、自殺対策に関する基本理念や国・自治体の責務を定め、自殺の防止と自殺者の親族等に対する支援の充実を目的とする法律。2006年10月に施行され、2016年の改正で、全ての都道府県・市町村に自殺対策計画の策定が義務づけられた

悪気のない言葉が自死遺族を傷つける
――自死遺族の支援を続ける上で、社会の側に必要だと感じる視点について教えてください。
杉本:社会の無理解や、よかれと思った行動が、遺族を追い詰めてしまうことがあります。
かつて自殺防止の啓発ポスターに「あなたの力で守れる命がある」といった文言が使われていました。子どもを自死で亡くした、保健師として働く遺族の方がそれを見て、「子どもの命を守れなかった自分は親としてもダメ。保健師としてもダメ。自分が全面的に否定された気持ちになった」と心情を述べていました。
自殺防止啓発はとても大切です。ただ、すでに身近な人を自死で失った遺族たちの存在も決して忘れてはいけません。「自殺は防ぐことができる」と断言するような表現は、自死遺族に対する配慮のない言葉です。
精神科医で長年自殺予防に取り組んでおられる河西千秋(かわにし・ちあき)札幌医科大学教授は、「亡くなった方の多くが精神疾患に罹患していたという事実があるが、精神疾患は脳の機能障害を引き起こす病気であり、自殺は本人の意思や責任とは別次元のものである」と繰り返し発言しておられます(※)。
この理解は、「守ることができなかったんだ」という遺族の自責感を和らげると同時に、自殺は誰にでも起こりうる社会課題である、と考え直すきっかけにもなると私は考えます。
- ※ 文献:杉本脩子(2025)ポストベンション―遺族支援.精神療法 51(2);201-202.
――こうした社会の無理解や言葉が自死遺族に与える影響を踏まえ、センターでは自死に関わる言葉について、どのような点を心掛けていますか。
杉本:センターでは「自死」と「自殺」を状況に応じて使い分けることを提唱しています(※1)。
「自死」は、死という動かせない事実を指すため、「自死遺族」「自死遺児」のように遺族の心情に配慮した表現として用います。
「自殺」は、自死に至る行為や、追い込まれていくプロセスを指すため、「自殺防止」「自殺未遂」といった表現で用います。厚生労働省の自殺総合対策大綱(※2)には「自殺は、その多くが追い込まれた末の死」と定義されています。これは「自ら命を絶たなければならないほど追い込まれた末に亡くなった」状況を表すものです。
つまり、「自殺という行為やプロセス」の結果として「自死」に至る、という理解です。どちらか一方に言葉を統一してしまうと、自殺念慮を抱える当事者の痛みや、自死遺族の痛みのいずれかを切り捨ててしまうことになりかねないと考えています。
- ※ 1.詳しくは、全国⾃死遺族総合⽀援センターの公式サイトで公開されている「『⾃死・⾃殺』の表現に関するガイドライン 〜『⾔い換え』ではなく丁寧な『使い分け』を〜」を参照
- ※ 2.「自殺総合対策大綱」とは、2022年10月に閣議決定された。自殺対策基本法に基づき、政府が推進すべき自殺対策の指針として定めるものであり、おおむね5年を目途に見直すこととされている
――センターでは、遺族を指す表現として、「大切な人を亡くした人」だけでなく「身近な人を亡くした人」という言葉も使うことを提唱されていますね。
杉本:私たちも立ち上げ当初は、「大切な人を亡くした人」という表現で「自死遺族」への呼びかけをしてきました。
しかしある時、長男を亡くして「つどい」に来ていた家族のうち、次男が「帰りたい」と言い出したんです。理由を聞くと、「両親も僕も、兄の自殺でとても苦しんでいる。こんなに家族を苦しめた兄を許せない。だから“大切な人を亡くした”家族の集まりに、自分は参加する資格がない」と語りました。
実際、全ての遺族が故人を「大切」と呼べるかは分かりません。その死によって苦しんでいる事実に変わりはないけれど、故人との間に確執や虐待があったケースもあります。「大切な人」という表現を使うことで、そうした人たちを排除する可能性があったのです。
アメリカにある、死別を経験した子どもとその家族を支えるケア施設「ダギー・センター(The Dougy Center)」でも、かつて使われていた「Loved one(愛する人)を亡くした」、という表現をやめ、「Someone close(身近な人)を亡くした」という言い方に改めたと聞きました。
この気づきをきっかけに、国や自治体に働きかけを始めたのが20年以上前です。最近では、東京都が自殺防止パンフレットで「身近な人、大切な人」と並列表記してくれるようになりました。少しずつですが、ほかの自治体にも広がっています。
自死で亡くなった人と、どのような関係性であったとしても、その死によって苦しんでいる人を一人も取り残さないという姿勢こそが大切だと考えます。

自殺は「人を追い詰める」社会全体の構造的な課題
――自殺を「個人の問題」として捉える見方は根強く社会に残っています。この捉え方について、杉本さんのご見解をお聞かせください。
杉本:かつて自殺未遂を経験した、若い男性から聞いた印象的な話があります。
彼は自身について「普通の家庭に育ち、特別成績が良いわけでもないけれど悪くもなかった」と語っていました。しかし、家族からは「出過ぎたことをしてはいけない。でも、周囲から遅れてもいけない」という無言のプレッシャーを感じてきたそうです。
それを突き詰めて考えたとき、彼は「透明人間になるしかない」と思った。そして「透明人間なら、生きていてもしょうがない」という思いに至り、自殺を考えたと言うのです。
日本社会には、世間体や周りの目というプレッシャーがあります。それはときに、人を「透明人間」にさせるまでに追い込んでしまう。さらに、インターネットが登場して以降、情報が氾濫し、社会の矛盾や限界も全て見えてしまうようになりました。
これは特に若い人にとって、希望を持って生きることが難しい社会になっている、といえるかもしれません。そうした中で、「自分の居場所はどこにもない」と感じてしまう人は少なくないのだと思います。自殺は個人の問題ではなく、社会全体の構造的な課題だと言っていいのではないでしょうか。

自死遺族を支える社会をつくるために、私たち一人一人ができること
杉本さんから、自死遺族が孤立せず、その人らしく生きられる社会にするために、私たち一人一人にできる3つのアドバイスをいただきました。
[1]身近に自死遺族が「いない」のではなく、「いるかもしれない」と考える
多くの自死遺族は、身近な人を亡くした思いを誰にも言えず、沈黙の中で耐えている。身近に自死遺族が「いない」のではなく、「言えない」だけなのではないかと考えてほしい
[2]遺族の思いを聞いたら、「そっか」「そうなんだ」と受け止める言葉を使う
遺族は自己否定や自責の念で苦しみやすい。勇気を出して胸の内を語ったとき、「いいね」「すごい」といった評価を含む言葉ではなく、「そっか」「そうなんだ」と、そのまま受け止める言葉で寄り添うことで、安心して思いを吐き出しやすくなる
[3]「してあげたい」ということより、「相手が何を求めているか」を考える
「力になりたい」という気持ちは自然だが、「何かしてあげたい」という自分の思いではなく、「相手が今、何を求めているか」に意識を向けることが大切。ときには「そっとしておいてほしい」という思いを尊重する姿勢も大事なこと
日本では年間2万人を超える方が自ら命を絶っています。その遺族や身近な人がどのような思いを抱え、どのような状況に置かれているのか、自死遺族への支援を長年続けてきた杉本さんに伺いたいと考え、取材を申し込みました。
今回の記事で詳しく触れることはできませんでしたが、2006年に成立した「自殺対策基本法」は、自死遺族の子どもたちが「親やきょうだいが自殺したと人に言えない」という胸の内を社会に明かし、切実に訴えたことを発端としています。
そして、遺族支援が「個人の問題」ではなく「社会全体で支えるべき課題」として法的に位置付けられたのは、10万人もの署名を集めた当事者や関係者による運動の大きな成果といえるでしょう。
2025年6月には自殺対策基本法のさらなる改正が行われました。小中高生の自殺者数が過去最多を更新した事態を受け、「こどもに係る自殺対策」や「親族等への支援」の強化が明記されたのです。法律は一度作って終わりではなく、現代の深刻な状況に合わせて今も更新され続けています。
ただ、法律という大きな仕組みがあっても、自死遺族の悲嘆そのものが軽くなるわけではありません。だからこそ、私たちが日常の中で痛みに想像力を働かせ、寄り添いながら共に歩む社会を考えていく必要がある、と強く実感した取材でした。
撮影:佐藤潮
- ※ 掲載情報は記事作成当時のものとなります。