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被災した「未指定文化財」は公的支援を受けられない? 台風で被災した京都・平野神社「三十六歌仙絵」が修理されるまでの軌跡

文化財を未来へ引き継ぐための課題や意義についてお話してくれた岡墨光堂の岡岩太郎さん(左)と平野神社の禰宜・小野兼司さん(右)
この記事のPOINT!
  • 日本において、被災した文化財の多くは、公的支援の対象外となっている
  • 建物は復旧しても、絵画や工芸品などの修理費用が不足するケースが少なくない
  • 文化財を未来へ引き継ぐには、「行政任せではない支援の仕組み」が必要

取材:日本財団ジャーナル編集部

2018年秋、日本列島を直撃した台風21号。京都・平野神社(外部リンク)でも拝殿が倒壊するという甚大な被害を受けました。ニュースでその痛ましい姿を目にし、心を痛めた人も多いのではないでしょうか。

その後、公的資金や全国から寄せられた多くの義援金により、拝殿は見事に元の姿を取り戻しましたが、その影で「取り残されたもの」がありました。

倒壊した拝殿とともに被災し、泥だらけになった貴重な文化財「三十六歌仙絵(さんじゅうろっかせんえ※)」です。拝殿の修理に義援金が充てられた結果、絵画の修理費用は捻出できず、長らく被災したままの状態で保管されていました。

  • 「三十六歌仙絵」とは、平安時代の公家・藤原公任(ふじわら・の・きんとう)が選んだ、柿本人麻呂(かきのもと・の・ひとまろ)や紀貫之(き・の・つらゆき)、大伴家持(おおとも・の・やかもち)、小野小町(おの・の・こまち)といった優れた和歌の詠み手36人の肖像画に、その代表的な和歌を書き添えた絵画作品のこと

実は、こうしたケースは決して珍しくありません。地震や台風、豪雨が相次ぐ日本では、多くの文化財が災害による被害を受けています。

しかし、国や自治体の指定を受けていない文化財の多くは、公的支援の対象になりにくく、修理費用を確保できないまま失われていく危機にさらされています。

地域の歴史や記憶を宿す文化財。「未来の国宝」になるかもしれない貴重な文化財を、誰が、どのように守っていくのか?

この記事では、平野神社の禰宜・小野兼司(おの・けんじ)さん、修理に関わった岡墨光堂(おかぼっこうどう)(外部リンク)の岡岩太郎(おか・いわたろう)さんにお話を伺いました。平野神社の事例から、災害時に文化財を守る仕組みの課題と、未来へ引き継ぐために必要な支援のあり方を考えます。

倒壊した拝殿の下敷きになり、被災した「三十六歌仙絵」

――平野神社の禰宜、小野兼司さんに伺います。まず、平野神社の由来について教えてください。

小野さん(以下、敬称略):平野神社は、もともとは、平城宮の宮中(桓武天皇の父光仁天皇の御所)に祀られていましたが、延暦13(794)年の平安遷都と同時に、桓武天皇の命により現在の地へ遷されました。

古くから朝廷の崇敬を集め、長い歴史のなかで多くの文化財や信仰が受け継がれ、平安時代に花山天皇が桜をお手植えされて以来、桜の名所としても親しまれてきました。

国の重要指定文化財にも指定されている平野神社の本殿。平野神社の歴史は古く、平安初期の法典『延喜式(えんぎしき)』の神名帳にも「平野祭神四社」として記されている

――2018年の9月4日に近畿地方を直撃した台風21号ではどのような被害を受けたのでしょうか。

小野:その日は、外を歩くのも危険なほどの暴風に見舞われました。私たちも建物のなかに避難していたのですが、突然「ドン」という大きな音がして、慌てて確認すると拝殿が倒壊していました。あまりに突然のことで、呆然としました。

拝殿は1650年に建立されたもので、6本の柱で支えられていました。しかし、南から吹き付けた猛烈な突風によって南側の柱3本が折れ、屋根が押し潰されるような形で崩壊しました。風速は50メートル近かったともいわれています。

拝殿内部に掲げられていた「三十六歌仙絵」もその下敷きになり、3分の1が割れたり、泥に覆われたりするなど深刻な被害を受けました。

ほかにも、根元から折れてしまった桜もあり、本殿でも屋根の檜皮(ひわだ)がはがれるといった被害がありました。

台風21号の影響により倒壊した平野神社・拝殿。京都府の指定文化財に指定されている。画像提供:平野神社
台風21号で被災した「三十六歌仙絵」。画像提供:平野神社

――拝殿の修理は、どのように進められたのでしょうか。

小野:拝殿は京都府の指定文化財だったことから、公的な補助を受けることが可能でした。そのため、比較的早い段階から修理を進めることができました。それでも修理には、約3年間を要し、費用は1億2,000万円ほどに上りました。

指定文化財の修理では、建てられた当時の部材をできるだけ残すことを前提として修理が行われます。今回も、壊れた部分を全て新しく作り替えるのではなく、残せる部材は活かしながら作業が進められました。折れた6本の柱のうち、1本は継ぎ合わせて再利用し、残る5本は新たに作り直しています。

また、将来の災害に備え、文化財としての外観を損なわないよう配慮しながら、柱にアンカーボルトやワイヤーを設置するなどの補強も施しました。

2021年9月に修理が完了した平野神社の拝殿。画像提供:平野神社
建てられた当時の柱は1本のみとなってしまった

――「三十六歌仙絵」の修理の経緯について教えてください。

小野:「三十六歌仙絵」は、近衛基煕(このえ・もとひろ)の書と、海北友徳(かいほう・ゆうとく)の絵によるもので、江戸時代初期、寛文年間に公卿・平松時量(ひらまつ・ときかず)が寄進したものといわれています。

神社にとって大切な文化財でしたが、指定文化財ではなかったため、公的な補助の対象にはなりませんでした。まずは拝殿の再建を優先せざるを得ず、絵の修理にはすぐ取りかかれなかったのが実情です。

その後、京都府からの紹介で、専門的な知識と技術を持つ岡墨光堂さんに修理を依頼することになりました。

作業では、付着した泥や汚れを落としながら、これ以上絵が傷まないよう“現状維持”を重視した処置が施されました。36枚の修理費用は約1,000万円に上り、日本財団による文化財修理支援事業「いろはにほん」プロジェクト(別タブで開く)の助成も活用しながら、3年をかけて進められました。

――修理を終えた「三十六歌仙絵」を見て、どのようなお気持ちでしたか。

小野:まずは助成金や義援金など、多くの方の支えによって修理できたことに、何よりも感謝しています。

ただ、可能な限り手を尽くしていただいたものの、約3分の1は割れた状態のまま保存せざるを得ませんでした。完全に元の姿へ戻すことはできませんでしたが、今の技術でできる限りの処置をしていただけたと思っています。

――修理後の「三十六歌仙絵」は、一般公開されているのでしょうか。

小野:現在は公開していません。なかには大きく割れ、破片を横に添えた状態で保存しているものもあるため、以前のように拝殿へ掲げるのは難しいと、岡墨光堂さんからもお話がありました。

平らな場所に並べて展示することは可能かもしれません。ただ、被災した状態を含め、今の姿をどのように見ていただくべきなのか、私たちとしても考える部分があります。いまはこれ以上劣化させず、文化財を守り受け継いでいくことを優先して保管しています。

もともと「三十六歌仙絵」が掲げられていた拝殿内部。今はその姿を見ることはできない
台風21号の被害について語る平野神社で禰宜を務める小野さん

先人から受け継ぐ文化を、未来につなぐ

――長い歴史の中で受け継がれてきた文化財を守り、後世へつないでいくことについて、どのように考えていますか。

小野:神社に残る建物や文化財は、先人たちが長い年月をかけて守り続けてきたものであり、私たちも、次の世代へ残していくことが使命だと思っています。

境内には多くの文化財がありますが、残念ながら、それぞれの背景や価値を十分に伝えきれているとはいえません。今後は、私たち自身が平野神社について知っていただくために発信することも必要だと考えています。

平安時代から「京都随一の桜の名所」として愛されてきた平野神社。境内には約400本の桜が植えられ春は大勢の観光客でにぎわう。画像提供:平野神社

――今後の災害への備えについて、文化財を守る上での課題や難しさをどのように感じていますか。

小野:最も大きいのは、やはり資金面の問題です。神社は一般に思われているほど潤沢な資金があるわけではなく、多くは日々の積み立てや寄付によって支えられています。平野神社でも、今回の修理費用の多くは寄付金や義援金によるものでした。

国の重要文化財であれば費用の約7割は補助されますが、残りは自分たちで用意しなければなりません。さらに、補助金は一度こちらで費用を支払った後に交付されるケースも多く、最初に資金を準備できなければ修理に着手できない難しさもあります。

また、未指定の文化財に対する支援制度は自治体によって内容が異なるため、地域による差も感じています。

完全な修理は断念。「被災文化財」として受け継ぐ

――ここからは、岡墨光堂の代表・岡岩太郎さんにお話を伺います。岡墨光堂の成り立ちから教えていただけますか。

岡さん(以下、敬称略):1894年(明治27年)に、日本画の表装や販売までを一貫して手がける「表具師(ひょうぐし)」として創業しました。

戦後、2代目が欧米の修理技術者と交流を持ったことで、職人の経験や技術だけではなく、学術的、科学的な視点から文化財を修理する重要性を学びました。

その後、国内でも文化財を守る意識が高まる中で、国宝や重要文化財の修理を本格的に手がけるようになり、現在は私どもの事業の中心になっています。

――三十六歌仙絵の修理に関わった経緯について教えてください。

岡:2018年の台風21号は、京都市民にとって大きな衝撃でした。京都市はこれまで自然災害による文化財の被害が比較的少なかったこともあり、お寺や神社が被害を受けたことは非常に印象に残っています。平野神社の被害の大きさも、新聞報道で認識していました。

ただ、まず建物の復旧が優先されるため、その時点では状況を見守っている段階でした。

その後、2021年頃に京都府の文化財保護課から相談を受けたことが、この修理に関わるきっかけになりました。

「三十六歌仙絵」の修理に関わるようになった経緯について語る岡さん

――初めて被災した「三十六歌仙絵」を目にした時の印象を教えてください。

岡:とても痛々しい状態でした。ある程度予想はしていたのですが、建物が倒壊し、雨風にさらされた状態から救出されるまでに時間がかかったため、表面には想像以上に泥が堆積していました。

私たちが平野神社を訪れたのは台風発生から約3年後。その間に泥が乾燥して収縮し、表面の絵の具が泥と一緒に持ち上がるようにはがれ、うろこ状に絵の具が剥離している部分も見られました。

こうした状態自体は過去にも経験がありますが、全体としてはかなり深刻な損傷でした。

特に問題だったのは、物理的に破損している箇所です。もともと曲がっていたのではなく、倒壊の衝撃で下敷きになり、水分を含んだ状態で変形してしまったため、無理に力を加えるとさらに割れてしまう可能性がありました。

熱を加えれば一時的に形を戻せる可能性もありますが、絵の具を定着させている膠(にかわ)にも影響が出るため、簡単に処置できるものではありません。

なんとかして元に戻したいという思いはありましたが、どこまで修理として許容できるか、慎重な判断が必要です。

絵の具層と木材の一部を薄く剥離させて、新しく基底材に貼り直すといった方法をはじめ、さまざまな方法を検討しましたが、文化財修理の倫理として適切ではなく、最終的には採用できませんでした。関係者と協議を重ね、被災した状態を残しながら、これ以上劣化させない「被災文化財(※)」として修理を進めることになりました。

  • 「被災文化財」とは、地震や津波、台風、豪雨などの自然災害によって被害を受けた歴史的建造物や資料、史跡などのこと。歴史を継承する貴重な財産として保護や修理作業を並行して行う
「三十六歌仙絵」の損傷図面(紀貫之像)。埃が堆積した箇所や絵具が剥離した箇所など、修理が必要な箇所が記されている。画像提供:株式会社岡墨光堂
 
「三十六歌仙絵」の処置図面(大伴家持像)。埃を除去した箇所や膠(にかわ)水溶液が塗布された箇所など、修理した箇所が記されている。画像提供:株式会社岡墨光堂

岡:ただ、今回に限らず文化財の修理は恒久的に保存を保証するものではありません。100年後にはまた必ず修理の時期が来ますし、その頃には新しい技術が生まれている可能性もあります。文化財の修理とは、次の世代の人たちに負担がかからないようにしていくことが最も重要だと私たちは考えています。

土埃等が付着、堆積した「三十六歌仙絵」の修理前(左)と修理後(右)。画像提供:株式会社岡墨光堂
木質部が脱落やねじれを起こした「三十六歌仙絵」の修理前(左)と修理後(右)。画像提供:株式会社岡墨光堂
 
縁と板絵が分離した「三十六歌仙絵」の修理前(左)と修理後(右)。画像提供:株式会社岡墨光堂

――特に大変だったのはどのような点でしょうか。

岡:一気に作業を進めることができないため、泥を少しずつふやかしては取り除き、絵の具の状態を観察しながら慎重に進めるしかありませんでした。12枚を仕上げるのに約1年かかるペースで、1枚あたりおよそ1カ月。ひとりの技術者がつきっきりで向き合い、3年をかけて修理を行いました。

最も工夫を要したところは修理後の保管方法です。理想としては温度や湿度の変化が少ない環境で、書画の場合はおおよそ温度22度、湿度55パーセント前後が目安になります。

しかし実際には、神社やお寺では空調のない土蔵や、本殿など建物そのものが保管場所になっていることも多く、環境を理想的に保つことは難しいのが現状です。梅雨時には湿度が90パーセント近くまで上がるところもあり、カビのリスクも懸念されました。

そのため、重さを抑えつつ、ある程度の強度と通気性を持たせた保存箱を、専門の業者に特注で製作してもらいました。中性に調整した紙を用い、桐のように呼吸性を持たせた構造になっています。

土埃等が付着、堆積した「三十六歌仙絵」の修理作業。膠(にかわ)を差し込み絵具層を強化(左)、その後圧着させ(右)、乾燥して定着させる。画像提供:株式会社岡墨光堂
技術者による「三十六歌仙絵」の修理作業。額の裏面に付いた土埃等を除去する様子。画像提供:株式会社岡墨光堂

文化財を支える「修理」という仕事にも目を向けてほしい

――日本の文化財保護に対する支援の仕組みについて教えてください。

岡:文化財の修理は、単に「物を直す」だけの仕事ではありません。併せて、その技術を担う人を育てていくことも重要な役割です。修理技術者を一人前に育てるには、最低でも10年から15年かかります。国(文化庁)は文化財修理の予算を確保することで、こうした技術の継承を支えています。

日本には、書画の修理に不可欠な和紙、刷毛、桐箱、金工品といった伝統的な材料や道具が今なお使われ続けている点は大きな特徴です。海外の修理家からは、こうした材料が実際に手に入る日本の環境は「夢の国」とうらやましがられるほどです。

文化財の修理に必要な技術や材料を支える人々を守るために、「選定保存技術(※)」という制度があり、これが日本の文化財保護の基盤の1つになっています。

災害対応の面では、阪神・淡路大震災や東日本大震災の経験を踏まえ、国による文化財防災のための体制が整備され、多様な文化遺産に関わる関係団体の連携も強化されてきました。能登半島地震では、過去の教訓が生かされ、レスキューの初動も早くなっています。

  • 「選定保存技術」とは、国宝や重要文化財などの「文化財そのもの」ではなく、それらを修理・保存・復元するために欠かせない「伝統的な技術や技能」を選定し、その保持者や保存団体を保護する制度

――では、課題はどのような点にあると感じていますか。

岡:国の予算や支援は国宝や重要文化財に優先的に割り振られるため、それ以外の文化財、いわば“未来の国宝”になり得る価値を持つものにまで十分に手が回らないという課題があります。

また、過疎化や少子化の影響により、地方の神社や寺で神職や住職がいなくなる「無住化」も進んでいます。その結果、文化財が適切に管理されないまま劣化していくリスクも高まっています。

加えて、修理の現場がこれまであまり発信されてこなかったことも課題の1つです。文化財がきれいに残っているのは当たり前だと受け取られやすく、支援や寄付につながりにくい現状があります。

長年この分野は“黒子”として裏方に徹することが美徳とされてきたため、修理のプロセスや価値そのものが社会に伝わりにくい構造もあるでしょう。その上で、10代から30代の若い世代に対して、文化財や伝統技術の価値をどう伝え、次世代につないでいくかも大きな課題だと感じています。

――これから文化財を守っていくために、どのような取り組みが必要だとお考えですか。

岡:まずは文化財のファンになってもらうことですね。きっかけは、「これが好き」「この作品が気になる」といったささやかな興味からでいいと思います。

その上で、私たちが修理のプロセスを発信していくことで、文化財がどのように守られているのかを知ってもらう。そして最終的には、修理について議論し、関心を持って関わってもらえるような環境をつくっていくことが理想です。

また、今回保管用の箱を発注した業者さんのように、さまざまな技術者がいなければ修理は成り立ちません。文化財修理は建物や作品だけでなく、“見えないインフラ”によって支えられているという視点も必要です。

現代ではクラウドファンディングが盛んですが、かつては寺院や神社の造営、修繕のために寄付を募る「勧進(かんじん)」という仕組みがありました。

文化財の修理には公的予算だけでは対応しきれない現実があり、民間が主体となって支える仕組みの必要性は今後さらに高まっていくでしょう。現代における勧進のような形として、100円、200円といった少額からでも参加できる仕組みが広がっていけばと思います。

こうした積み重ねを通じて、「自分たちの文化財は自分たちで守る」という意識を社会全体で育てていくことが、100年先へ文化財をつないでいくために必要ではないでしょうか。

文化財を未来に受け継ぐために、私たち一人一人ができること

文化財を保護し、次の世代に伝えるために、私たち一人一人にできることを岡さんに伺いました。

[1]“推し”の文化財を見つける

日本全国にはさまざまな文化財が存在する。自分が住む地域や旅先にある文化財を調べたり、実際に足を運んだりしながら、お気に入りの文化財を見つけることが文化財を受け継ぐ第一歩となる

[2]文化財は定期的に修理されているという認識を持つ

文化財が美しい状態で残っているのは当たり前のことではない。数十年から100年単位で継続的な修理が行われており、その裏側には多くの人の手が関わっていることを知る

[3]守るための仕組みに関わってみる

寄付やクラウドファンディングなど、小さな形でも支える仕組みに参加してみる

取材時、残念ながら修理が完了した三十六歌仙絵を見ることは叶いませんでしたが、小野さんに修理された拝殿を案内していただきました。古い木材と新しい木材を継いでいる箇所を目にし、被害の大きさを改めて実感したと同時に、修理に携わった職人の技術の高さにも驚かされました。

文化財は長い時間の中で修理を重ねながら受け継がれてきたものであり、裏側には見えない多くの手が関わっています。そのことを少しでも知ってもらうきっかけになればと思います。

撮影:永西永実

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