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失ったはずの腕や脚が痛む「幻肢痛」。治療方法は、脳を“だます”こと?
- 手や足を失った人の約8割が、ないはずの場所が痛む幻肢痛に悩まされている
- 脳をだますことで、幻肢痛は緩和できる。猪俣さんはVR機器を応用したセラピーを開発
- 医師ですら幻肢痛を知らないこともある。まずは認知度を上げることが重要
取材:日本財団ジャーナル編集部
事故や病気で手足を失った人の多くが、ないはずの手足が痛む「幻肢痛(げんしつう)」に悩まされているといいます。
幻肢痛のメカニズムはいまだ解明されていません。
通常、私たちが右手親指を動かそうとするとき、脳から「右手親指を動かせ」と指令が出て、筋肉に伝わることで、右手親指が動きます。そして、筋肉が動くと、脳に「動かしたよ」とフィードバックが送られ、脳は「処理が完了した」と認識します。
しかし、体の一部を失うと、脳から送られた指令に対してフィードバックがないため、処理が完了せず、脳がエラーを起こします。
このエラーが“痛み”として出力され、ないはずの場所が痛むという不思議な現象が起きるのではないかと考えられています。
幻肢痛の感じ方は人それぞれで、呼吸もできないほどの痛みを感じたり、数日間にわたり眠れなくなったりする人もいるといいます。また、特効薬もありません。
そんな中、幻肢痛に苦しんだ経験のある猪俣一則(いのまた・かずのり)さんは、VR技術を応用した「幻肢痛緩和セラピーシステム」を開発するため、2015年に株式会社KIDS(外部リンク)を立ち上げました。
現在、痛みからほとんど解放されたという猪俣さんに、幻肢痛とはどのようなものか、そして脳をだますことで痛みを緩和するというユニークな治療法についてお話を伺いました。
「どうせ分かってもらえないだろう」と誰にも言えなかった
――まずは猪俣さんのご経歴から教えてください。いつ頃から幻肢痛に悩まされているのでしょうか?
猪俣さん(以下、敬称略):17歳の時に事故で、右腕の動きをつかさどる5本の神経が全てちぎれてしまいました。一時期は右腕だけでなく、左脚も切断しなくてはならないとも言われていましたが、手術によりなんとか切断は免れました。
右腕が動かなくなってしまったのですが、肋骨の裏側を走る神経を右腕に移植するという手術と、リハビリのかいもあって、単純な動きであれば、呼吸で右腕を動かせるようにはなりました。
ただ、ちぎれてしまった神経は元には戻らないため、右腕の感覚はありません。
感覚がないはずの右腕に猛烈な痛みを感じるようになったのは、事故後間もなくです。人間は通常、痛みを感じると、患部や周辺をさすることで痛みを紛らわせようとしますが、どこを触っても「痛みのもとはここだ!」という感覚にならなかったんです。
何もない、宙に浮いている部分に痛みがあるという感じでした。
当時は幻肢痛という言葉も知りませんでしたし、「この状態を理解してもらうのは難しい。命が助かったのだから、後遺症くらいは我慢しなくては……」と、痛みをなんとかしてほしいと訴える気持ちにも至らなかったんです。
――幻肢痛という言葉にたどり着いたのはいつですか?
猪俣:右腕の機能を失ってしまったので、その代わりではないですが、デジタル技術を深く身に付けようと大学に進学し、デザインや工学について学んでいました。
その後、留学したイギリスで出会った友人から「その痛みは幻肢痛ではないか?」と教えてもらったんです。
この痛みに名前があるのなら、治療法もあるはずだと調べ始め、薬、手術のほかに治療法の一つといわれている「鏡療法(ミラーセラピー)」を知りました。
鏡療法とは、体の中心に鏡を立て、残っている方の肢(手や足のこと)を鏡に映します。すると、左右反転した像が映るので、それを自分の頭の中にある幻肢と重ね合わせるんです。
そのまま、肢を動かすと鏡像も動くので、「失ったはずの手や足がちゃんと動いている」と、視覚的に脳をだます療法です。
猪俣:これで脳が「肢は動いているから処理に異常なし!」と、だまされてしまうんですよ。神経からのフィードバックがないのを、視覚で補うという感じです。これによりエラーが出なくなって、痛みが緩和します。
鏡療法はこれを繰り返すことで、脳の処理方法を上書き更新していくようなリハビリです。
――とても不思議に感じます! 人間が視覚から得ている情報ってとても多いんですね。実際に猪俣さんは鏡療法を試されたのでしょうか?
猪俣:はい。ただ、僕はあまり効果を感じられませんでした。
というのも、「鏡療法によって幻肢痛が軽減された」という論文は発表されていますが、マニュアルは存在せず、医師や理学療法士、作業療法士(※)を含むセラピストでも、実務経験がある人の方が少ない状況でした。
鏡1枚と段ボールさえあれば訓練道具は作れるので、多くのリハビリ施設に置いてはいるんですけどね。
もう1点、効果を感じなかった理由があって、鏡は左右対称にしか映し出せませんが、幻肢の形って人それぞれなんです。
私は幻肢が宙に浮いている感じで、そのほかにも極端に短い人、指がない人、胃の中に幻肢が入ってしまっているという感覚の人もいるんです。
そもそも鏡に額があれば、それだけで脳が「これは鏡だ」と認識してしまい、療法が通用しなくなってしまいます。ただ、工夫すれば効果は期待できるのではないかと。
- ※ 理学療法士とは、けがや病気などで体が思うように動かない人に対して、「立つ」「歩く」「座る」「寝る」などの基本的動作能力の回復・維持を目的に、理学療法に基づいたリハビリを行う専門職。作業療法士とは、日常で必要となる「食事」「洗顔」「料理」「字を書く」などの応用的動作能力や、地域活動への参加、就学・就労といった社会的適応能力を維持・改善し、その人らしい生活の獲得を目的に、リハビリを行う専門職。参考:理学療法士と作業療法士の違いってなに?具体的な仕事内容は? | コラム | 大阪保健医療大学(外部リンク)
――なるほど……。簡単にはだまされてくれないのですね。
猪俣:はい。そこで当時、仕事で携わっていたVR技術を応用すれば、一人一人が持つ幻肢のイメージに合わせたビジュアルを作り出すことができ、より高い効果が出るのではないかと考え、株式会社KIDSを立ち上げました。
せっかく作るなら、きちんと臨床研究をして、同じように幻肢痛に悩む人たちの治療につなげたい。そんな思いから、東大病院、畿央大学の先生の協力のもと、私自身も被験者の一人となって、当事者を中心に研究開発を進めていきました。
幻肢痛に悩む人の多くが、一人で痛みと闘っている
――猪俣さんが開発されているVRセラピーシステムとは、どういった仕組みなのでしょうか?
猪俣:VRを利用した鏡療法の進化版になります。
赤外線カメラで動く方の肢の動きを撮影し、リアルタイムで動かせる3DCGにします。さらにそれを反転することで、幻肢の3DCGも生成。幻肢が左右対称でない患者さんの場合は、その日の幻肢の状態に合わせ、VR空間内で位置調整ができるようプログラムされています。
患者さんはVRゴーグルを装着し、VR空間に映し出される3Dの幻肢に、自分の頭の中にある幻肢を重ね、「幻肢を動かす」という疑似体験を繰り返していくことで、痛みを緩和するというものです。
どのような訓練が有効かを開発していく内に、僕自身の痛みもほとんどなくなりました。
猪俣:現在は週に1回、幻肢痛交流会という場をつくって、リハビリを行いつつ、患者さんの「もっとこうしたらいいんじゃない?」という声を積極的に取り入れながら、“参加型”で一緒に開発を行っています。
――先日、お伺いした幻肢痛交流会では、「3Dプリンターで作る肩」の開発にも取り組まれているとお話しされていました。こちらはどんな目的で作られているのでしょうか?
猪俣:肩から切断した人は、腕も含む義手が必要なのかと思いきや、実際には、「義手は重くてかえって不便だから、それよりも肩だけがほしい」という声が多かったんです。「肩があれば、服も着られるから」、と。
また、人間には、バランスをとるため、見える範囲の中心、重心にいようとする性質があります。周辺視野で両肩を見ていて、その中心に頭の位置を定めているんです。
右肩を切断すると、当たり前ですが自分の視界から右肩が消えるので、無意識に首が左に寄ってしまうんです。
これは最終的に姿勢の歪みも生んでしまいます。肩パッドはこうした悩みを解決してくれます。
猪俣:今の技術であれば、スマートフォンで体を撮影するだけで、肩の3Dデータは作成できます。ですから、遠方にお住まいでも、オーダーメードが可能なんですよ。
こういった要望があることは、当事者の声を集めないと分からなかったことだと思います。
まずは幻肢痛を知ってほしい。知る人が増えれば届くべき人にも届く
――身近に当事者がいなければ、幻肢痛について知る機会は少ないかもしれません。認知されていないことで起きている問題があれば教えてください。
猪俣:体の切断、神経の損傷をされた方のおよそ8割が幻肢痛を感じているといわれていて、中には社会復帰ができないほど症状がひどい方もいます。
また、「ないはずの場所が痛い」という状況は、家族にさえ理解してもらうことが難しく、孤独を抱えている方がいます。痛み止めを大量に服用するようになり、その副作用に悩まされている方もいます。リハビリ以前に心のケアが必要になってしまうケースも少なくないんですよ。
そのため、幻肢痛交流会は「初めて同じ痛みを持つ人に会えた」とか、「この場所だったら『痛い』と言える」という声も多いです。
連絡はいただいているものの、遠方のためまだ実際にお会いできていない方が何名もいます。こうした方々にどうやって届けるかということも、今後の課題の一つです。
――遠方の患者さんにも届けるためには、どんなことが必要でしょうか?
猪俣:まず、幻肢痛に対応できるセラピストを全国に増やす必要があります、圧倒的に足りていません。
現在、患者さんもセラピストも自宅にいながらVR空間を活用してリハビリができる「遠隔VRセラピーシステム」も株式会社電通総研と協同で開発していますが、初めての方に機械をお渡しすることはできません。
幻肢痛は一人一人症状が違うため、ご自身の有効な訓練方法がつかめるようになるまで、まずは対面でセラピストがマンツーマンでサポートする必要があります。
猪俣:ただ、先ほどもお話したように、幻肢痛の認知度は低く、鏡療法のマニュアルもなかったため、医師やセラピストでも「名前は知っているけれど、よく分からない」という方も多く、指導マニュアルを整備したいと考えています。
また、基本的にリハビリは医師の指示を受けて行うので、セラピストを増やすと同時に、医療従事者に対して科学的根拠を示しつつ、理解を広げることも重要です。
これまで症状の一つであった「痛み」ですが、病気であると分類され、近年治療の対象となりましたので、先生方とタッグを組み、研究をさらに加速させていきたいです。
痛みはいま起きており、いま何とかしてほしい。待っていられないのです。
――幻肢痛への理解を広げるために、私たち一人一人ができることはありますか?
猪俣:原因不明の「痛み」があることによる苦しさは計り知れません。
例えば、朝起きて胃が痛かったら、それだけですごく嫌な感じがしますよね。でも、例えば「昨日食べ過ぎたからだな……」といった理由が分かると、その理由は安心材料となりますよね。
幻肢痛はなぜ痛むのか分からない上に、どんどん痛みも増していき、恐怖と不安に駆られるんです。
あまりにもつらい痛みなので、自分事として考えてほしいとは思いません。病気、事故から救ってもらい、生き延びられる喜びに感謝すると同時に、代償として失った手足の不自由さ、それ以上に痛みが、生きる上で障害になっている人たちがいる。
幻肢痛が存在すること、その痛みに悩み、苦しんでいる人がいることを知ってもらいたい。それが一番の願いです。
編集後記
痛みはあくまでも主観で、他人には分かりにくいものかもしれません。だからこそ、まずはその存在を知ることが重要ではないでしょうか。
幻肢痛交流会では、当事者だけでなく、幻肢痛に興味のある学生、医療従事者、エンジニア、デザイナーなどどなたでも参加可能だそうです。
幻肢痛を理解し、活動する人が増えれることを願います。
撮影:十河英三郎
〈プロフィール〉
猪俣一則(いのまた・かずのり)
株式会社 KIDS代表、NPO法人 Mission ARM Japan 副理事長、東京零環ライオンズクラブ 障害福祉支部 会長。1972年東京生まれ。17歳の時に右腕神経叢損傷(みぎわんしんけいそうそんしょう)を患い、以来左利きに。右腕の代わりになると身につけたデジタルスキルを活かし、建築、土木、自動車のデザインに従事。上肢障害者のQOL向上を目的に活動するため株式会社 KIDSを起業。恩返しプロジェクトとして、若手デザイナーの育成や、VRを活用した幻肢痛を和らげる取り組みを行う。
株式会社KIDS 公式サイト(外部リンク)
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