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能登半島被災地の災害関連死を防ぐ——佛子園・雄谷さんが「ごちゃまぜ」のまちづくりにこだわる理由とは
- 能登半島地震の被災地・輪島市内に、復興を支援するコミュニティ施設「コミセンBASE(ベース)」が相次いで開設
- 「ごちゃまぜ」をコンセプトに地域の人たちの交流を生み出し、災害関連死(※)の防止につなげる
- 自然に人と人とが関わり合える環境を整えることが、安心して暮らせる地域づくりに重要
- ※ 「災害関連死」とは、地震や洪水といった災害で直接命を落とすのではなく、避難生活による疲労やストレス、持病の悪化、不衛生な環境など、災害の二次的な影響によって間接的に亡くなること
取材:日本財団ジャーナル編集部
2024年1月1日に発生した能登半島地震。2025年9月25日時点で、災害の直接死の人数は228人。対して、災害による負傷の悪化や避難生活による心身への負荷などを原因とする災害関連死の人数は438人と直接死を上回っており、今後さらに増える可能性が示唆されています。
仮設住宅の建設は完了し、避難所は全て閉鎖されました。県や市町の災害対策本部は解散し、県によれば「復旧から復興に向けたフェーズに入った」とのこと。しかし、現地で暮らす人たちからすれば、先が見えない状況に変わりはないでしょう。まだまだ復興は進んでいないじゃないか、という言葉がため息とともに聞こえてきます。
そんな中、甚大な被害を受けた地域の1つである輪島市内には、「コミセンBASE」という名の施設が、仮設住宅の一角に続々と誕生。これは集会機能と福祉機能を一体化した、日本の災害史上初めてとなるであろう注目の施設で、デイサービス、介護予防、見守り、相談支援など、さまざまな役割を提供することで、被災した人々の災害関連死を防ぐことを目的としています。
さらに、食堂や銭湯も完備しており、大勢の人たちが交わる「みんなで支え合うコミュニティ」としての役割も担っています。
この「コミセンBASE」を運営するのは、社会福祉法人佛子園(外部リンク)。石川県白山市を拠点に「B’s 行善寺」「Share金沢」「星が岡牧場」といった福祉施設を多数展開してきました。
共通するテーマは「ごちゃまぜのまちづくり」。若い人も高齢者も、障害のある人もない人も、全ての人が関わり合うことで地域がにぎわう——。まさに「共生社会」の実現に必要な考え方をいち早く取り入れ、全国規模で実践してきました。
代表する事業の1つ「輪島KABULET(わじまカブーレ)」は、輪島市中心部に点在する空き家や空き地を利活用して2015年にスタートした、まちづくりプロジェクト。古き伝統と歴史を持つ輪島の文化を継承していくことを主軸に据えながら、おそば屋に、銭湯、高齢者デイサービス、ウェルネスジム、カフェなど、さまざまな機能を持つ施設がまちの一角に集い、地域を活性化する一助となってきました。
「コミセンBASE」は、「輪島KABULET」を進めてきた佛子園だからこそ実現できた施設といえるでしょう。


今記事では、佛子園の理事長である雄谷良成(おおや・りょうせい)さんに、輪島市の未来と目指すべき姿についてお話をうかがいます。
「生きがい」を感じられるかどうか。それが人の生命を左右する
――「ごちゃまぜ」のまちづくりという理念がとても印象的です。
雄谷さん(以下、敬称略):例えば福祉や医療施設に行ってみると、そこには職員と利用者さんしかいないことが多い。他から隔離されていて、とても閉鎖的な環境になってしまっているんです。でも、それでいいんだろうか、と疑問に思います。
人は地域の中で他者と関わりながら生きていますよね。それが本来あるべき姿だと思うんです。だから私たちは「ごちゃまぜ」を提唱して、地域の中に高齢者も障害者も外国人も移住者もいて、みんなで関わり合いながら暮らす社会をつくっていきたいと考えているんです。
ある調査によれば、生きがいのある人とない人とでは生存率に3倍もの差が出ることが分かりました。この「生きがい」とは何かというと、近所の人と楽しい時間を過ごしたり、好きな人とおいしい物を食べたりすること。つまり、他者との関係を築くことが「生きがい」につながるわけです。

――その「生きがい」が被災地においても重要になるんですね。
雄谷:そうなんです。被災地ではもっと露骨な差が出てくるでしょう。仮設住宅で孤立して、誰ともかかわらずに過ごしていたら、生きがいなんて感じられなくなってしまう。実際、直接死と災害関連死の人数を比較すると、後者が2倍以上になっています。
でも、これはまだ少ない方なんです。東日本大震災では3,808人(2024年12月末時点)の方が災害関連死で亡くなりました。さらに熊本地震では亡くなられた方の8割が関連死でしたから。だから私たちは、「コミセンBASE」を開設して、見守りに力を入れていこうと考えました。
――発災前と後とで、輪島市はどう変わりましたか?
雄谷:さまざまな変化がありましたが、ひとつ挙げるとすれば、人口が大きく減りました。ピーク時には3万8,000人くらいいましたが、震災直前は2万2,000人、いまは約1万9,000人まで減少してしまいました。それから伝統工芸である輪島塗が産業として大きなダメージを受けています。当然ですよね、震災の影響で作ることが難しくなってしまいましたから。
そういった根幹産業を失うと、労働人口も流出してしまいます。結果、輪島市内は空き家だらけです。いまはそれをどう活用していくのか、地域の人たちと相談しながら進めています。でも、輪島の人たちは強いですよ。

――強い、というと?
雄谷:「輪島KABULET」のプロジェクトの1つとして、天然温泉「三ノ湯・七ノ湯」を運営しているんです。そこは被災直後から入浴できるよう復旧に力を入れたので、自然と地域の人たちが集まる場になっていました。
すると、そこに集まる人たちから「気兼ねなくお酒が飲みたい」というような声があがって。確かに、避難所で生活していたら、お酒なんて飲めないわけです。「こんなときに不謹慎だろう」と言われてしまう。でも、被災した人だって晩酌くらいしたっていいじゃないですか。
だから、そういった思いを抱えていた人たちと協力して、発災から3カ月後の2024年4月に「輪島KABULET」でビアフェスタを開催しました。議員さんも招待して、「みんなで楽しみましょう」と一緒に乾杯して。その姿を見て、改めて輪島の人たちは強いなと感心しました。だから、そんな人たちが笑顔を取り戻せるように、力を尽くしたいんです。

「コミセンBASE」は自然と「見守り」機能を果たし、高齢者をサポートする
佛子園は輪島市内にある仮設住宅の計3カ所に、まさに「輪島KABULET」のミニ版ともいえる「コミセンBASE」を開設しました。「コミセンマリンタウンBASE」「コミセン門前BASE」「コミセン鳳至(ふげし)BASE」と名付けられた施設は、日々地域の人たちが集い、活気があふれています。
「コミセンBASE」が被災地の人々にどのような影響をもたらしているのか。スタッフの方たちにもお話を伺いました。

最初にインタビューに応えてくれたのは、「コミセン門前BASE」の野中昌子(のなか・しょうこ)さんです。
――野中さんはどのような業務を担当しているのでしょうか?
野中さん(以下、敬称略):私は主に福祉サービスに携わっています。仮設住宅に住んでいるとどうしても外に出てこなくなってしまう人がいて、そうなると運動量がぐっと減り、介護を必要とするリスクも高くなってしまいます。ですので、孤立していそうな人を見つけ出すところから始まり、そういった人たちに声をかけては、ピラティスや体を動かすプログラムに参加してもらっています。

――地域の人たちからの反応で印象的だったものは?
野中:「コミセンBASE」を利用している高齢者の方から、日常生活の中で頼ってもらえた瞬間ですね。地域から届いたアンケートの書き方が分からないから教えてほしいとか、タクシーの電話番号が分からないから調べてほしいとか。とても些細なことかもしれませんが、私たちがここにいる意義を感じられて、とても嬉しくなりました。

続いてお話を聞かせてくれたのは、「コミセン鳳至BASE」の店長を務める室瀬舞(むろせ・まい)さん。食堂で料理の腕を振るう他、仮設住宅から足を運んでくれる人たちの話に、親身に耳を傾ける人物です。

――「コミセン鳳至BASE」はどのような利用者が多いですか?
室瀬さん(以下、敬称略):やはり高齢者の方が多い印象です。なかでもご飯を作るのが面倒だ、そもそも作れない、という方々。かといって、自動車もないから遠くのスーパーまで買い物にも行くこともできないみたいで、そういう人たちがここでご飯を食べていったり、お惣菜を持ち帰ったりしてくれています。

――運営する上での苦労はありましたか?
室瀬:開設当初はなかなか人が来てくれませんでした。皆さん、気になるけれど一歩踏み出せないという感じで。でも、利用した方がお友だちを誘って連れてきてくれて、またその方も別の方を連れてきて、と輪が広がっていきました。結局は人と人とのつながりが大事なんだと感じます。

最後に登場してくれるのは、「コミセンマリンタウンBASE」で働く谷内勝次(やち・かつじ)さんと白崎(しろさき)しのぶさんのおふたり。谷内さんは高齢者向けデイサービスを担当し、日常生活におけるサポートをしています。白崎さんはこちらの店長で、接客だけでなく食事の開発などにも意欲的。明るい人柄で地域の人たちからも愛されています。

――「コミセンBASE」の存在が地域にどのように貢献していると思いますか?
谷内さん(以下、敬称略):高齢者の方と若い人たちをつなぐ役割を担えているのではないか、と考えています。
というのも、一般的なデイサービスだと、利用者の人間関係はその中だけで完結してしまいます。でも、「コミセンBASE」では、あえてデイサービスとそれ以外のサービスを提供するエリアを分けていません。だから、デイサービスに訪れたおばあさんが、食堂にいる若者とふつうにおしゃべりをする光景が見られるんです。

白崎さん(以下、敬称略):もちろん、デイサービスを利用しない人にとってもとても価値がある場所になっていると思います。一番は銭湯の存在です。
仮設住宅にも新しいお風呂は完備されていますが、やはり銭湯で他の人と一緒にお湯に浸かるのは特別な体験ではないでしょうか。そこで仲良くなった人同士が、お風呂上がりにビールで一杯やるといった光景も当たり前で、ここが憩いの場になれているんだなと感じますね。

白崎さん(以下、敬称略):それから、銭湯を利用する方には毎回、記帳をしていただくようにしているんです。それをチェックすると、一人ひとりの生活スタイルがなんとなく見えてくる。すると、「あれ? あのおばあさん、最近来ていないな。心配だから様子を見に行こう」というように、自然と見守りにつながっていくんです。
「コミセンBASE」は自然と「共生意識」が生まれる場だと思います。
――今後、どういった形で復興に携わっていきたいと考えていますか?
谷内:意識しなければいけないのは、若い世代や子どもたちのことです。そういう人たちが働ける場所、伸び伸びと過ごせる場所を用意できるかどうか。それがないと、どうしたって地域の外に出ていってしまいますよね。
だから、輪島市にいる大人のひとりとして、若い世代や子どもたちが安心して働ける、楽しめる環境をつくることを考えていきたいです。

白崎:私自身が被災し家も無くしました。でも、輪島から出ていこうとは、少しも思いませんでした。なんなら1月2日から働いていて、いまもこのまちの復興のために何ができるかを常に考えている状態です。
そんな中で私にできることは飲食店で働いた経験を活かし、おいしいご飯を提供しみんなに喜んでもらうことかなと。ここで温かいご飯を食べていただいて、みんなが幸せになってくれたら嬉しい。なかには毎日ご飯を食べに来てくれる高齢者の方もいて。「今日のあれ、おいしかったよ」とか「明日は何が食べられるの?」なんて話しかけられると、それだけで励みになります。
そういった人たちのためにも、今後もおいしいご飯を作りを続けていきたいです。



「ごちゃまぜ」にすることで人と人との交流が生まれ、災害関連死を防げる
「コミセンBASE」で働くスタッフの皆さんの話を聞いて、地域住民との間に強いつながりが生まれていることを感じました。それこそが雄谷さんの大切にしていること。「コミセンBASE」を中心に生まれた人と人との絆は、復興を推し進めていく力になっていくはずです。

改めて、雄谷さんに、復興で目指す姿についてお話を伺います。
――「コミセンBASE」ではまさに「ごちゃまぜ」が実現されていますね。
雄谷:私は長年福祉業界に身を置いてきて、社会的に排除されるような人たちを目の当たりにしてきました。同時に、佛子園の活動を通して、そういった排除されるような人たちが地域と関係を持ったことで元気になっていく姿も見てきました。だから、地域を活性化するには「ごちゃまぜ」が重要だと訴えかけているんです。
人が人と交わることで元気になるだけではなく、そこには自然と手を取り合って協力し合う支援が沸き起こります。昔はそれが当たり前でした。例えば、ご近所さんとの間に「ちょっとだけうちの子を預かってくれない?」といったやりとりが発生していましたよね。でも、時代が変わり、そういったやりとりは無くなってしまいました。
でも、これから先の時代、昔ながらの助け合いが必要になってくるはずです。それは被災地に限った話ではなく、どんな地域においても、です。そもそも社会保障に対して潤沢な資金が用意されている時代ではないので、人と人とが助け合わなければ生きていけないんです。
――そうやって助け合うことで孤立や困難を防げることが「輪島KABULET」や「コミセンBASE」を取材して、改めて理解できました。
雄谷:そうですね。被災地でいうならば、災害関連死を減らせると思います。東日本大震災や熊本地震の時と比べても、能登半島地震の災害関連死の割合は減少傾向にありますから。
ただ、残念ながらそれを数値として証明することは難しい。被災地で生き残った人がいて、その人がどうして生き延びることができたのか、例えばそこに「見守り」がどれくらい寄与したのかは証明できないんです。
だから、災害関連死を防ぐために「コミセンBASE」がどれくらい役立っているのかは証明できないんですが、私たちは評価してもらうために活動しているわけではないので、自分たちの活動を続けていくことが地域の復興につながると、信念を持って取り組んでいます。

――今後の目標や展望はありますか?
雄谷:「コミセンBASE」を全国的な福祉モデルとして展開していくことです。
仮に地方の中山間地域に展開できれば、万が一そこで震災が起こったとしても、すぐに対応できますよね。高齢者の方が頼れる場になって、それ以外の人たちも集まれる。見守り機能もあるし、働ける場として雇用も生まれる。そんなふうに「起こったときに駆け込める場所」として「コミセンBASE」が全国に広まるように尽力していきます。
「コミセンBASE」のスタッフが考える、被災地の復興に私たちができること
「コミセンBASE」で働きながら、日々、輪島市の被災者たちと関わるスタッフの皆さんに、被災地が1日も早く復興するために、私たちにできることを教えてもらいました。
[1]被災者の困難に耳を傾ける
遠く離れた場所で生活していると、被災地のことを忘れてしまいがち。だからこそ、新聞やニュースで被災地の情報を見かけたら、周囲の人々に共有する。そのことが、能登半島地震の風化を防ぐ
[2]被災地の情報発信に協力する
現場の声は貴重な情報源。例えばSNSで被災地の人が何かを発信していたら、それを拡散することも支援につながる。情報を広める前に「誰が、どんな目的で発信しているのか」も意識をしながら、被災地からの声を全国に届けるよう協力しよう
[3]実際に足を運んでみる
被災地へ実際に足を運ぶことで、ニュースだけでは分からないことが見えてくる。そこで暮らす人々と交流することで、励ますことができるかもしれない。また、現地でおいしい食事を楽しんだり、観光を楽しんだりすることも、復興への大きな力となる
思うように復興が進んでいない能登半島地震の被災地。しかし、そんな中、被災地の人々の笑顔が集まる場所があるという情報を得て、佛子園に取材を申し込み、その活動を牽引する雄谷さんにお話を伺うことができました。
輪島市での取材を通して感じたことは、いくらきれいな仮設住宅や、豊かな物資が行き届いても、人と人との縁がなければ、人は元気に暮らすことが難しいということ。「コミセンBASE」で見た、スタッフと仮設住宅に住む人々とのやりとりを目にし、心からそう感じました。
「コミセンBASE」のような場所が、日本だけでなく世界中に広がることを願います。
撮影:十河英三郎
〈プロフィール〉
雄谷良成(おおや・りょうせい)
社会福祉法人佛子園・理事長、公益社団法人青年海外協力協会・会長、日蓮宗普香山蓮昌寺・行善寺・住職。石川県金沢市生まれ。金沢大学卒業後、青年海外協力隊に参加。ドミニカ共和国で障害福祉の指導者育成のための活動を行う。帰国後、北國新聞社に入社、金城大学非常勤講師などを経て現職に。石川県を中心に、高齢者や障害者、外国人など、さまざまな属性の人たちを「ごちゃまぜ」にし活性化するまちづくりに尽力している。
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