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東日本大震災から15年——「消滅可能性」の町を「希望の循環」へ。陸前高田を支える「関係人口」とは?
- 人口減少と少子高齢化が進む日本。全国4割の自治体が将来的に消滅の可能性がある
- 岩手県陸前高田市に拠点を置く認定NPO法人SETは、学生と地域との交流事業を通して「関係人口」の増加に貢献している
- 移住や定住にこだわるのではなく、気軽に「地域の一員」として若者を受け入れることが、「関係人口」につながる
取材:日本財団ジャーナル編集部
「関係人口」とは、 移住や定住といった形態に限らず、仕事、学び、交流などを通じて特定の地域と継続的に関わり続ける人々のことを指します。
人口減少に歯止めがかからない日本では、特定の地域だけで住民を増やすことが難しくなっています。2024年の最新報告(人口戦略会議)では、全国の約4割にあたる744の自治体が、将来的に消滅する可能性があると指摘されました。
こうした危機的な状況に対し、「地域と人の新しいつながり」を生み出しているのが、岩手県陸前高田市広田町を拠点とする認定NPO法人SETです。東日本大震災を機に設立されたSETは、民泊型修学旅行やインターンシップ、キャリア教育支援などを通じて、都市部の若者と地域を結ぶ交流を創出してきました。2024年度には5,000人を超える人々が活動に関わり、地域と若者の間に“希望の循環”を生み出しています。
震災から15年。 復興のその先にある、持続可能な地域の未来づくりとは何か。
今回はSET理事長の三井俊介(みつい・しゅんすけ)さんに、「関係人口」を広げ、地域を次世代につなぐためのヒントを伺います。

震災発生2日目にSETを創設。5日目には物資支援をスタート
――三井さんがSETを立ち上げた経緯について教えてください。
三井さん(以下、敬称略):高校時代に『世界がもし100人の村だったら』という本を読んだのをきっかけに、世界には自分が知らない人たちがいて、さまざまな出来事が起きていることを知り、関心を持つようになりました。
そこから「いつか海外に行ってみたい」と思うようになり、国際協力について学べる大学へ進学しました。
当時の僕は、世界中で起きている問題を生み出しているのは「人」ではないかと考えていました。だとしたら、ひとりでも多くの人がボランティアなどを通じて社会課題に関わる機会が増えれば、問題解決に近づくのではないか、と思ったんです。
そのために何ができるのかと考えた末にたどり着いたのが、「国際協力 × エンターテインメント」という発想でした。楽しむことが、結果的に誰かの助けにつながるのであれば、もっと多くの人が関われるのではないかと考えました。
そうして大学2年生のときに立ち上げたのが、サッカーを通じてカンボジアの子どもたちを支援する学生団体だったんですが、3年生になって下の世代に引き継ぎ、残りの学生生活で何をしようかと考えていた矢先に、東日本大震災が発生しました。
自分にできることをしようとボランティア活動を始めたことが、その後の活動につながりました。
――東日本大震災発生時は、どのように動かれたのでしょうか。
三井:当時、Twitter(現在のX)で震災に関する情報を発信していたところ、学生団体の活動でつながった仲間たちから「一緒に何かやろう」と声がかかって。3月12日の深夜に集まり、翌13日にはSETを立ち上げました。
情報収集を進めるなか、活動を通じてつながっていたAAR Japan(難民を助ける会)がすでに現地に入っており、連絡を取れる状況にあったこと、さらに企業から衣類を無償提供したいという申し出があったことが重なりました。加えて、ヤマト運輸が輸送ルートを無償で担ってくださることになり、それらをつなぎ合わせる形で支援の体制を整えていきました。
当時、僕ら学生は春休み期間中だったので、人手として動くことができたんです。物資の搬入や搬出、仕分け作業などを行い、3月17日の早朝には第一便を被災地へ送り出しました。
――ボランティア活動を続けるだけでなく、陸前高田市広田町への移住を決めたのはなぜでしょうか。
三井:立ち上げ当初は、月に1度必ず広田町に通うと決めて、ボランティア活動を続けてきました。そんなある日、町の方に「50年後には、この町はなくなってしまうかもしれない」と言われたんです。しかもそれは、「震災があってもなくても変わらない未来だろう」と……。
一方で、「震災をきっかけに若い人たちが全国から来てくれて、いまはチャンスかもしれない。だからこそ、この機会を生かしたいんだ」ともお話されていました。
それを受けて、この町がより良くなるために自分自身の人生を一度投げ込んでみようと、大学を卒業してすぐ、2012年の春には引っ越しました。
――移住後は、どのように生活を始めたのでしょうか。
三井:移住する時点では、具体的に何をするかは決めていませんでした。唯一決まっていたのは住む場所だけで、広田町で一人暮らしをしているご高齢の方が、「うちの2階が空いているから、1年間、住む場所と食事を提供するよ」と言ってくれたんです。
本格的にこの町で生活するなら、まず運転免許がないと困るなと思い、教習所に通うところから始めました。その後、ありがたいことに車を寄贈してくださる方もいて、どんな活動が求められているのか、現金収入をどうするか、ガソリン代をどうするかといったことを、一つ一つ解決していった感じです。
――住んでみて感じる、広田町の魅力はどんなところでしょう?
三井:食べ物が豊かでおいしく、自然がきれい、という魅力はありますが、それだけで言えば、正直どの地方にも当てはまってしまう。そう考えると、やはり一番の魅力は「人」だと思います。
僕が言う「人」というのは、その土地ならではの歴史や文脈と結びついて形成されてきた存在のことです。
いわゆる「田舎」と呼ばれる地域には、それぞれにオンリーワンの魅力がありますが、観光として訪れるだけでは、なかなか見えてきません。そんな表面的な魅力ではなく、そうした深い文脈に触れることで、初めてその地域の本当の面白さが分かってくる。それが「関係人口」を増やすことにつながっていくのではないでしょうか。


どちらかが我慢や犠牲を強いられる関係性は、継続しないと気づいた
――SETは、どのようなミッションを掲げて活動しているのでしょうか。
三井:立ち上げた当初は、ボランティア活動をしていた頃と同じように、広田町の人から要望を受けたことに対して、その都度対応していました。ただ、活動を続けるうちに、少しずつ自己犠牲的な側面が強くなっていったんです。
「やれと言われたことは何でもやる」という状態になっていて、相手自身も本当にそれをやりたいわけではなさそうだと感じることまで、頼まれるようになっていました。それは結果的に、自分たちにとっても健全な状態ではありませんでした。
そこで、改めて自分たちのミッションを見直そうと考え、2013年にNPO法人化しました。その際に掲げたのが、「一人一人の“やりたい”を“できた”に変え、日本の未来に対して“Good”な“Change”が起こっている社会を創る」というミッションです。
当時、東日本大震災の被災地は、過疎化における「課題先進地(※)」と呼ばれていました。だからこそ、ここでの活動は、この町だけのためではなく、日本の未来で起こり得る課題に対する解決策をつくっている、という意識で取り組んでいました。
ミッションのなかでも、特に大事にしているのが「一人一人の“やりたい”を“できた”に変える」という点です。広田町の人が本当にやりたいことと、僕ら自身がやりたいと思えること、その両方を一緒に「できた」に変えていくことが重要だと考えています。
誰かが本気でやりたいかどうかも分からないことを「やれ」と言われ、こちらも本当にやりたいか分からないまま取り組むと、結局は誰も幸せにならない。そのことが、ボランティア活動を通してよく分かりました。
このミッションは、僕ら自身もこの町で幸せに生き、やりたいことをやって生きていく、という決意表明でもあります。当時、「被災者に寄り添う」「復興」を前面に打ち出す支援団体が多い中では、かなり珍しい存在だったと思います。
――そこから生まれた事業の1つ「チェンジメーカースタディプログラム(CMSP)」について教えてください。
三井:CMSPは、大学生を対象にした実践型のプログラムです。地域に滞在しながら田舎暮らしを体験し、町が抱える課題と向き合い、1週間の滞在期間中、アイデアを考えるだけでなく、具体的な行動にまでつなげていきます。
さらに、月1回の訪問と長期休暇中の3週間程度の滞在を組み合わせた、半年間のインターンシップへと発展させることもできます。
このプログラムの原点になったのは、広田町で野菜の産直に取り組む農家の方から、「野菜を売りたいのだけれど、どうしたらいいだろう」と相談を受けたことでした。何度も話し合いを重ねた結果、海に近いこの町で採れる野菜を「浜野菜」としてブランディングし、東京へ発送するサービスを一緒に立ち上げることができました。
――素敵なネーミングですね。
三井:ありがとうございます。特に印象的だったのが、地域の方が涙を流して喜んでくださったこと。ボランティア活動でも感謝の言葉をいただくことはありますが、それとは少し違う笑顔が見られたことです。
その時に、町の中の人と外の人が本気で向き合い、対話を重ねながら挑戦すると、感動が生まれ、結果として町のためになる取り組みが生まれると実感しました。その経験から、「地域の人たちと外から来た若者が本気で関わり合う場を、継続的な事業としてつくろう」と、CMSPを立ち上げたんです。
- ※ 「課題先進地」とは、人口減少、少子高齢化、過疎化など、今後多くの地域が直面するであろう課題を抱え、その解決策を模索、実証している地域のこと


「みんなをうちに泊めちゃだめなの?」――地元の人の声から始まった民泊事業
――民泊事業もSETの重要な活動になるかと思いますが、始めたきっかけはなんだったのでしょうか。
三井:外部から多くの若者を広田町に連れてくる最中、町に暮らすある方が「うちに泊めちゃダメなの?」と声をかけてくれたことがありました。その一言が、現在では陸前高田市全域で163軒(2026年2月時点)協力していただけるご家庭が広がり、年間約4,000人が訪れる民泊事業の原点になっています。
――研究や調査事業にも取り組まれているそうですが、その理由を教えてください。
三井:10年以上にわたり、若者と地域の人をつなぐ活動を続けてきました。そこで見えてきたのが、外部の人と交流している人ほど、考え方や行動が前向きに変わっていく場面を何度も目にしてきました。
一方で、そうした変化はこれまで「当事者の実感」や「エピソード」として語られることが多く、客観的に伝える手段が十分ではないと感じていました。そこで、アンケートやヒアリングを通じた調査に取り組むようになりました。
調査を重ねるうちに、外部の人と交流している人は、そうでない人に比べて幸福度が高く、地域のつながりの強さを示すソーシャルキャピタルも高い傾向があることが見えてきました。また、社会に関わろうとする意欲や、具体的な行動が増えていく様子も確認されています。さらに、自己肯定感やウェルビーイングの向上、抑うつ傾向の低下といった変化についても、調査結果から見えてきました。
こうしたデータをもとに、CMSPや民泊プログラムの改善や、関係人口づくりに力を入れる他の自治体との提携にもつなげています。
――CMSPや民泊に参加した学生からは、どのような声が寄せられていますか。また、三井さんから見て、参加後に感じる変化はありますか。
三井:民泊は2泊3日という短い期間ですが、お別れ会では多くの生徒が泣いてしまいます。共働きといった家庭の事情で、普段は1人で食事をすることが当たり前という生徒が、「みんなで一緒にご飯を食べるのは初めてです」と話してくれたこともありました。
また、両親や祖父母も含めて都会育ちだという生徒が、畑でキュウリを収穫してその場で食べる体験をし、「『となりのトトロ』で憧れていた夢がかなった!」と感動していたこともありましたね。
CMSPでは、かつて引きこもりを経験し、「自分には人と共に生きる力がない」と思い込んでいた学生が参加してくれたことがありました。彼女は陸前高田市の人や仲間に受け入れられる経験を重ねたことで、「自分にも人と『つながりたい』という気持ちがあったことに気づけた」と、涙ながらに話してくれたことが印象に残っています。
都会では効率や合理性が優先されがちですが、ここでの暮らしや人との関わりを通して、感情を素直に出し、自分らしさを取り戻したり、「自分は何を大切にしたいのか」「何をやりたいのか」を見つめ直したりする学生は多いと感じています。
――一方で、SETの活動に関わった地元の人からはどんな声が寄せられていますか。
三井:ある民泊事業に協力いただいている家庭の方が、「最初はSETへの協力のつもりだったけれど、今はSETを通して、私の(民宿をしたいという)夢を叶えてもらっている。ありがとう」と話してくれたことがあります。その方は、もともとは受け入れに消極的だったのですが、気づけば10年以上、100回近く受け入れを続けてくださっています。
また、別の協力者の方は、大学生たちと話していくうちに、「これまでは町が悪いとか、誰かのせいにしていた。でも、人っていつからでも変われるんだと大学生に勇気をもらった。自分も今日から変わる」と話していました。


地域が「関係人口」を増やすために
――人口減少を問題に抱える地域は、これからどうしていく必要があると思いますか。
三井:そういった地域の人たちは、これまで都会に人が出ていく姿はたくさん見てこられたことでしょう。一方で「人を受け入れる」という経験があまりないから、受け入れ方が分からないのではないでしょうか。
自分たちの地域にただ「人を呼ぶ」のではなく、地域を「一人一人のやりたいことを叶えられるフィールド」「挑戦できるフィールド」として捉え直してみるとよいかもしれません。
移住や定住にこだわるのではなく、外から来た人を気軽に「地域の一員」として受け入れることが、「関係人口」を増やすことにもつながると考えます。
――頭では理解できても、行動に移すのはなかなか難しいかもしれませんね。
三井:だから、僕たちのように、地域の人の気持ちも外から来る人の気持ちも分かるコーディネーターの存在が、両者をつなぐハブの役割を果たしていけるのではないかと思っています。
「関係人口の創出」という言葉が行政の施策として語られる場合、どのようにして地域の経済につなげるか、雇用に結びつけるか、みたいなことがKPI(評価指標)になりがちで、「いますぐ移住できる人がいい」「いい人材に来て欲しい」みたいな考え方になる。
ですが、外から来る側は、ある程度大人になるとしがらみが生じやすいし、暮らしに合わない場合もある。そういった意味で、地方と真っさらな大学生は相性がいいと思うんです。
地方の人たちは急ぐのではなく、早いうちから関わり合い、若者を育てていくといった姿勢が必要で、それが「関係人口」を増やすことにもつながると思うんです。
――震災、そしてSETの立ち上げから15年が経ちますが、いまどんな未来を思い描いていますか。
三井:15年の節目を迎えるにあたって、これまでの歩みと実践をまとめた本の出版プロジェクトを進めています。
未曾有の大災害とも呼ばれた東日本大震災が発生した当初、復興をどう進めるか誰も答えを持っていませんでした。僕たちも答えが分からないままSETを立ち上げて移住し、試行錯誤しながら地域の人に叱られたり、泥まみれになったりもしながら、多くの人に支えられて活動を続けてきました。
これからも災害は起こり、地域の過疎化も進んでいくでしょう。そうすると、自分たちのように試行錯誤する若者も出てくると思います。地域で活動するのは、思っている以上に孤独です。そういう人たちに、僕たちの15年間の経験と思いを手渡す一冊になればと思っています。
僕にとって震災は、もはや人生とは切り離せないもの。はじめの頃は、町の人から教えてもらったことを、外から来た人に伝えていましたが、最近では自分の経験として、自分の言葉で語る段階に来ていると感じています。
この15年間で得た経験を次の世代に継承していけたらと考えています。


人口減少を課題に抱える地域のために私たち一人一人ができること
最後に、三井さんに人口減少を課題に抱える地域の人々が「関係人口」を増やすために、私たち一人一人ができることについて伺いました。
[1]地域に足を運び、そのまちの人と出会う
民泊や農泊など、単なる観光に留まらない地域の暮らしに触れる体験が、その地域への愛着を生み、「関係人口」につながる
地域とのつながりを支援する団体に寄付をする
地域の人と外の人をつなぐコーディネーターの存在は大きい。SETのように地域とつながるプログラムを提供、支援する団体に寄付することも手段の1つ
SETが提供するプログラムをきっかけに、「関係人口」にとどまらず、これまで80人以上の若者が岩手県内に移住しているそうです。その理由を尋ねると、永住ではなく「単なる引越し」的な感覚で暮らし始める人も多いという答えが返ってきました。
そのまちを好きになって、居心地の良さから長く住み続ける人がいてもいいし、数年で別の場所へ移る人がいてもいい。地域に足を運ぶ人も、受け入れる側も、こうした“ゆるい”スタンスでいることが、「関係人口」を無理なく増やし、つながり続けられるヒントになるのかもしれません。
撮影:十河英三郎
三井俊介(みつい・しゅんすけ)
1988年茨城県生まれ。大学在学中に学生団体WorldFutを創設。カンボジアへの国際協力活動を行う。同じく在学中の2011年3月、復興支援団体SETを設立。同年6月に同団体をNPO法人化。2025年に認定NPO法人の認定を受ける。NPO法人新公益連盟北海道・東北ブロック共同代表。元岩手県陸前高田市議。2022年にミネルヴァ書房より『政策起業家が社会を変える』(著者:M・ミントロム、翻訳:石田祐/三井俊介)を出版。
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