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死をタブー視しない社会へ——自分らしい最期と家族を支える「人生会議(ACP)」とは?
- 「人生会議(ACP)」とは、本人が大切にしたいことや望む医療・介護について、家族や医療・ケアチームと話し合い、共有する取り組み
- 急速な高齢化や認知症の増加により、本人の意思が確認できないまま、家族や医療者が決断を迫られるケースが増加している
- 元気なうちから希望を共有しておくことは、本人の意思の尊重だけでなく、家族の迷いや後悔を和らげる大きな支えとなる
取材:日本財団ジャーナル編集部
人は誰しも、いつの日か人生の最期を迎えます。もしそのとき、自分の意思を伝えられなくなっていたら、医療やケアの選択を託されるのは大切な家族かもしれません。「本人ならどうしたいだろう」と迷いながら決断することで、後になって「あれで本当によかったのだろうか」と悩み続けてしまう人もいることでしょう。
だからこそ、元気なうちから「自分らしくどう生きたいか」「どんな医療やケアを受けたいか」などを家族や大切な人と話し合っておく取り組み「人生会議(ACP:アドバンス・ケア・プランニング)」が注目されています。
「人生会議」は、本人の希望を叶えるためだけのものではありません。あらかじめ思いを伝えておくことは、残される家族にとっても、その後を生きていくための支えになることがあります。
「人生会議」は、家族の心に何をもたらすのでしょうか。特定非営利活動法人CCL(くくる)(外部リンク)の理事長・杉元重治(すぎもと・しげはる)さんにお話を伺いました。

元気なうちに思いを交わす、家族で始める「人生会議」
――「人生会議」とは、どのような取り組みでしょうか。
杉元さん(以下、敬称略):厚生労働省では、人生の最終段階における医療やケアについて本人がどのように意思決定していくのか、そのプロセスのことを「人生会議」と呼んでいます(※1)。
もともとは「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」と呼ばれているもので、万が一、自分で意思を伝えられなくなったときに備え、「どのような医療やケアを望むのか」「どこで過ごしたいのか」「どこまで治療を受けたいのか」といった、本人が大切にしたい思いを、あらかじめ家族や医療・介護に関わる人たちと話し合っておく取り組みです。
――なぜ、話し合っておくことが大切なのでしょうか。
杉元:医療の現場では意識状態が悪化したり、救急搬送されたりしてから、今後の方針を急いで決めなければならない場面が多々あります。そうした切迫した状況になってからでは、本人の意思を確認することが難しく、望み通りの医療やケアを受けられなくなってしまうことも少なくありません。
そのため、元気なうちに家族や医療・介護に関わる人たちと話し合っておくことが大切です。
「もし意識がなくなったときにどうするのか」
「どこまで治療を受けたいか」
「人工呼吸器をつけるのか、透析をするのか」
「できる限りの延命治療を望むのか、自然な形で最期を迎えたいのか」
そうした希望を日頃から家族間で話し合い、共有しておけば、いざというときにも本人の思いを踏まえた判断がしやすくなります。
――「人生会議」の必要性が注目されている背景には、どのような課題があるのでしょうか。
杉元:まず大きな背景として、急速な少子高齢化があります。高齢化に伴って認知症の方が増えていますが、認知症になると体は元気であっても、自分の希望や意思をうまく伝えることが難しくなるケースがあります。
そうした場合、周囲が本人に代わって医療やケアの判断をしなければいけない場面が増えるため、事前の話し合いがより重要になってきます。
また、意思疎通が難しくなった際、本人が望まない治療や延命措置をどこまで続けるべきか、という倫理的かつ社会的な問題にぶつかります。もちろん、治療そのものを否定するわけではありませんが、本人の意思が置き去りにされたまま過度な処置が行われることは避けなければなりません。
今後、さらに高齢化が進み、若い世代や現役世代が医療を支えていくことを考えても、どのような医療を望むのかは社会全体で向き合うべきテーマだと思っています。
さらに、医療者は患者さんが来れば、命を救うために全力を尽くします。あらかじめ本人の希望が分かっていれば、現場の医師や看護師も判断に迷うことが減り、医療者の精神的な負担を軽減することにもつながるのです。

「あのとき聞いておけば」を残さない。家族をつなぐ事前の対話
――CCLの成り立ちや活動内容について教えてください。
杉元:活動を始めたのは15~16年前です。もともと私は内科医で、釧路赤十字病院を経て北海道釧路市で開業しました。そこで初めて、地域医療の現場には大きな病院とは異なる課題があることを痛感したんです。
特に衝撃を受けたのは、認知症を患う方の多さです。今後さらに高齢化が進むことを考えると、医療の枠内だけでなく、介護にも目を向けなければ、地域医療・介護体制を支えきれないと感じるようになりました。
当時はまだ、医療と介護の連携が十分に進んでおらず、どうすれば両者が手を取り合えるかが大きな壁でした。私自身も介護の現場を知りたいと模索していたところ、介護関係者の方々と話をする機会があり、お互いに抱いていた問題意識が一致したことが、CCLの発足につながりました。
立ち上げ後は話し合いを重ねながら、地域医療の課題や必要な取り組みを整理し、補助金を活用した事業を進めてきました。現在は医療・介護従事者向けの研修や、市民公開講座を実施しています。また、2年ほど前からは釧路市より医療・介護連携の研修事業を受託するなど、活動を広げています。
――活動を始められてから15年間で、釧路市の高齢化はさらに進んだのではないでしょうか。
杉元:そうですね。釧路市の高齢化率は、以前は30パーセント未満でしたが、現在は36パーセントほどまで上がっています(※2)。少子化によって子どもの数が減る一方で、高齢者の割合は確実に高まっています。
また、人口減少も深刻です。かつては20万人を超えていた人口が、現在は15万人を割り込みました(※2)。若い世代が都市部へ流出し高齢化が加速するなかで、今後は医療や介護を担う人材不足がさらに深刻化していくと考えています。これは釧路市に限った話ではなく、多くの地方都市が直面している課題ではないでしょうか。
――「人生会議」を行うことで、患者さん本人や家族にはどのような心理的効果が生まれるのでしょうか。
杉元:切迫した状況ではない「日常」だからこそ、本音を打ち明けられることがあると思います。私自身もそうですが、親子であってもお互いが何を大切に生きているのか、深くは分からないものです。
普段少し疎遠になっていて、話す機会が減っているご家庭もあるかもしれませんが、「人生会議」が家族であらためて対話を重ねるきっかけになればと思っています。
人は誰しも、いつの日か最期を迎えます。今はまだ「自分には関係ない」と思っている若い方も、いずれ親の介護や死に向き合うときが必ず訪れます。そうした状況に直面して慌てる前に、家族で大切な話をするきっかけとして、「人生会議」を知っておいてほしい――。これは私たちの活動の根幹にある思いの1つです。
――死について話し合うことに抵抗感がある方も多いと思います。「縁起でもない」「もしものことなんて考えたくない」と避けられてしまうこともあるのではないでしょうか。
杉元:まさにその抵抗感こそが、最大の課題だと感じています。死をタブー視する空気は根強く、「人生会議」と聞くとどうしても重いテーマとして捉えられがちです。しかし、私自身はもっと気軽に、ポジティブに捉えていい取り組みだと思っています。
――「人生会議」は、残された家族にとってどのような意味があるのでしょうか。
杉元:家族を看とるときには、どうしても「本当にあれでよかったのだろうか」という葛藤や迷いが残るものです。だからこそ、本人がどのように最期を過ごしたいのかを、元気なうちに家族で共有しておくことが大切になります。
私は開業してから、在宅医療に力を注いできました。そのなかで「やっぱり家はいいな」と言ってくださる方が多いんです。
もちろん、実際に家でみとることは、ご家族にとっても決して簡単なことではありません。ただ、病院で最期を迎えた場合、「家に帰りたいと言っていたのに帰してあげられなかった」「あれを食べたい、飲みたいと言っていたのに、食べさせてあげられなかった」といった後悔が強く残ってしまうケースも少なくありません。
私は、在宅医療であれば本人が望む通りに過ごしていいと思っているんです。お酒を飲もうが、タバコを吸おうが本人の自由です。どうしても食べたいものがあるのなら食べさせてあげたいですし、最期まで自分らしく過ごしてほしい。病院では難しいことも、住み慣れた自宅なら叶えられます。
慣れ親しんだ家で、本人が望むように過ごして満足そうな表情を見せる。その姿を家族がそばで見届けられることには、とても大きな意味があると思います。
たとえそうであっても、「もっと早く病気に気づいてあげていれば」「もっと一緒に旅行に行きたかった」などといった思いがゼロになるわけではありません。それでも、「本人の希望を叶え、一緒に最期の時間を過ごしきった」という実感があれば、残されたご家族の後悔はずっと和らぐはずです。

構えずに、自然体で。日常の会話から育む「人生会議」の第一歩
――CCLでは「ACPリーフレット」の作成や市民公開講座など、一般の方に向けた活動も行っています。こうした活動には、どのような思いが込められているのでしょうか。また、市民の方からはどのような反響がありますか?
杉元:リーフレットを作成したのは、ご家族で大切なことを話し合う「最初のきっかけ」にしてほしいという思いからです。本当に切迫した状況になったときには、本音を聞けないかもしれません。だからこそ、元気なうちに「思い」を共有しておくことが大切なんです。
市民公開講座に参加してくださった方からは、「家族と話し合ってみます」「まずは自分自身がどうしたいか考えてみます」といった前向きな声をいただくことがあります。
「人生会議」は、一度で結論を出す必要はありません。少しずつ対話を重ねながら、「自分らしく生きるために、こうしたことを考えておこう」と思えるようなきっかけを届けていけたらと思っています。
――「人生会議」が日常のなかで自然に話せる、身近なものになるためにはどのようなことが必要でしょうか。
杉元:そもそも「人生会議」も「アドバンス・ケア・プランニング」も、言葉として少し難しく感じられますよね。特に、「会議」と聞くと、「議題を用意して、メンバーを集めて、結論を出して……」といった堅苦しいイメージを抱く方も多いと思います。
そうではなく、もっと何気ない日常の会話のなかで、自分や家族のことを自然に話し合えるきっかけが必要だと感じています。そのきっかけを模索するなかで、当団体のスタッフから出たのが、「音楽」を切り口にするアイデアでした。
彼が父親を亡くした際、葬儀で流す曲を選ぶために、妹さんと一緒に「お父さん、この曲が好きでよく聴いていたよね」と、お父さんとの思い出を話したそうです。その経験から、音楽をきっかけにすれば、構えることなく自然とその人の歩んできた人生や思い出を振り返ることができるのではないかと考え、現在、新たな取り組みとして形にできないか検討しています。
懐かしい音楽を耳にすると、「あのときはこうだったな」と当時の感情や記憶を思い出すことがありますよね。そうした誰もが親しめる身近なものを入り口に、自分のこれからの生き方を考えたり、家族と話し合ったりするきっかけをつくっていければと考えています。
音楽以外にも、きっかけは日常のなかにたくさんあると思います。例えば、お盆やお正月に家族が集まったときに、「もしも意識がなくなったら、どうしてほしい?」「お墓はどう考えている?」など、何気なくこれからの希望について話してみるのも1つの方法です。誰もがいつかは死を迎えるわけですから、決してタブー視するような特別な話ではありません。
「せっかくみんなで集まって楽しく過ごしているのに、そんな話は切り出しづらい」と思われるかもしれません。もしそのように感じるのであれば、法事で親族が顔を合わせた機会を生かすのもよいと思います。「この人はどんな人生を歩んだんだろう」「自分が生きたいと思う人生を歩めたのかな」と、まずは故人を偲びながら話してみてはいかがでしょうか。
将来の医療やケアについて真正面から話すだけでなく、身近な人の人生を振り返ることから、「自分ならどう生きたいか」「これからどう過ごしたいか」を考えてみる。そうした何気ない日常の会話そのものが、人生会議の第一歩になればと思っています。

「人生会議」を始めるために、私たちにできること
最後に、「人生会議」を身近に捉え、日常のなかで始めるために、私たち一人一人にできることを杉元さんに伺いました。
[1]「人はいつの日か最期を迎える」という意識を持つ
どんなに元気で「まだまだ大丈夫」と思っていても、いつ意思を伝えられなくなるかは誰にも分かりません。だからこそ、元気なうちから自分や家族のこれからについて考えておくことが大切です。
[2]家族が集まる機会に、何気なく話題にしてみる
お盆やお正月など、家族が集まる場で「もし意識がなくなったら、どうしてほしい?」「お墓はどう考えている?」など、自然な会話の延長で話してみましょう。
[3]身近な人の人生を振り返り、自分の生き方やこれからについて考えてみる
法事で親族が集まったときに、「この人はどんな人生を歩んだのか」「自分が望む生き方ができたのか」と語り合うことをきっかけに、「自分ならどう生きたいか」を見つめ直してみましょう。
編集後記
祖父母や恩師、勤務先でお世話になった方など、年齢を重ねると大切な人を見送る機会が増えていきます。
「もしも自分の意識がなくなったら」と想像することは難しいことかもしれません。でも、身近な人を見送った経験を通して、「あの人は何を大切にしていたんだろう」「自分だったらどうしたいだろう」と考えることはできるのではないでしょうか。
今回の取材を通して「人生会議」は、死を考えることから始めなくてもいいのだと感じました。大切な人との思い出を話したり、好きなものについて聞いたりすることも、自分や家族のこれからを考えるきっかけになる。まずはそんなところから、始めてみてもいいのかもしれません。
- ※ 掲載情報は記事作成当時のものとなります。