日本財団ジャーナル

【災害を風化させない】ナナメの関係で子どもたちの「向学心」を育む。宮城県女川町で学び場づくりに取り組む女川向学館の想い(連載第3回)

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東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町で、子どもたちの学びの場づくりに取り組む女川向学館のスタッフの皆さん
この記事のPOINT!
  • 宮城県女川町は東日本大震災で大きな被害を受けた。子どもたちに日常が戻ってきたのは最近のこと
  • いつまでに震災にとらわれ過ぎないで、子どもたちの可能性や選択肢を広げることが大切
  • 目に見えない部分での復興はまだまだ。被災者の言葉に耳を傾けるのが支援の第一歩

取材:日本財団ジャーナル編集部

2021年は、東日本大震災から10年、熊本地震から5年といった、未曾有の被害をもたらした大震災の大きな節目となる年。地震、台風、豪雨、大雪と、毎年大きな災害に見舞われる日本において、私たちはどう備えるべきか。

連載「災害を風化させない」では、復旧・復興に取り組んできた人々のインタビューを中心に、今もなお活動を続ける人々の声を通して、災害に強いまちづくり、国づくりを考える。

第3回目は、認定NPO法人カタリバが宮城県女川(おながわ)町で運営する「女川向学館(おながわこうがくかん)」(別ウィンドウで開く)に勤める多田有沙(ただ・ありさ)さんにインタビュー。彼女も被災地の復興支援に携わる一人だ。

東日本大震災から10年が経つが、いまだに震災の傷跡が残る宮城県女川町で、子どもたちの教育を支えている。そんな多田さんに、いま思うことを伺った。

震災で心の傷を負った子どもたちを支えたい

宮城県女川町は東日本大震災で非常に大きな被害を受けた町だ。建造物被害率は82.6パーセントと被災地の中でも最も高く、町内にある第二小学校に通っていた児童の9割、第一小学校の児童の4割が津波で自宅を失った。

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東日本大震災による地震と津波が襲った、宮城県女川町

そんな子どもたちを支援しているのが女川向学館だ。2011年7月に、避難所として使われていた小学校を借り、主に小中学生に学習指導と心のケアを行う、被災地の放課後学校「コラボ・スクール」(別ウィンドウで開く)の1校目として設立された。

「運営元である認定NPO法人カタリバは、『意欲と創造性をすべての10代へ』というミッションを掲げています。被災地の子どもたちのために、震災発生から約半年後に女川向学館が立ち上げられました。女川町は被害が大きく、大人たちは復興に向けて時間を費やす必要がありました。でも、そこで取りこぼされてしまうのが子どもたちです。家を失った子も多く、彼ら彼女らには安心できる場所がなかった。そこで、きちんと心のケアをしたいと思ったんです」

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震災の影響で安心できる居場所がなく仮設住宅の前に座り込む子どもたちの姿。2011年撮影

女川向学館では、震災によって職を失ってしまった地域の塾講師や、被災地支援を志す大学生ボランティアなどが中心となって、子どもたちに寄り添っている。

「当時、仮設住宅での生活を余儀なくされていた子どもたちからは、『勉強できる場所がない』という悩みが多く寄せられました。同時に、震災で傷を負ってしまった子どもたちの心をケアしなければいけない。だから私たちは、学習面とメンタル面の双方向から子どもたちをサポートしています」

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子どもたちの支援に取り組む女川向学館の多田さん

現在、女川向学館に通っているのは小学生、中学生、高校生と幅広い世代の子どもたち。その人数は町内の小中学生の40パーセント近くに上るという。

学習指導では、子どもたち自身がその日の目標設定から振り返りまでを行う自律学習を目指している。個別に最適化されたプログラムで、誰一人取りこぼさないことが心掛けられているそうだ。

また、ネイティブ講師による英会話指導や、被災地を訪れる国内外の大人たちとの交流を通じ、グローバルな視野を養うことも忘れない。「まちの復興のために、何かしたい」と願う子どもたちには、その想いを叶えるためのサポートも行なってきた。

「いま通っている子どもたちの中には、震災のことを当時幼すぎて覚えていない子も多くなりました。なので、震災時のトラウマをケアするというよりも、もっと普遍的な悩みに寄り添うケースが増えてきています。例えば、『将来の夢が見つけられない』とか、『親や友達には話せない問題がある』とか。私たちが大切にしているのは、子どもたちとの“ナナメの関係”なんです。縦の存在である親や教師、横の存在である友達、そこには打ち明けられない悩みも、ナナメの関係である私たちには話せる。そんな存在でありたいと思っています」

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子どもたちと学生ボランティア。少し年上の先輩と本音で対話することで、子どもたちの成長を支える

子どもたちの可能性や選択肢を広げたい

震災から10年が経つが、大きく変わったことはあるのだろうか。

「ここ1年で大きく変わったことがあります。震災が起きてからつい最近まで、町がかさ上げ工事をしていたこともあり、子どもたちは学校に通学バスで通っていました。それが2020年夏に新しい小中一貫教育学校ができたことを機に、ようやく徒歩で登下校できるようになったんです。子どもたちが震災の影響で登下校できない状況が、ここ10年女川町では当たり前になっていました。2020年に朝と夕方に子どもたちが登下校する風景がやっと戻ってきて、町全体も明るい雰囲気になったと思います」

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町の復興も落ち着きようやく徒歩で通えるようになった子どもたち

子どもたちが徒歩で登下校できない。そんな状況が2020年まで続いていた。この事実を知っている人は、どれくらいいるだろうか。

おそらく、被災地にいなければ知り得ないだろう。だからこそ、震災のことを風化させてはいけないのだ。被災地がそれまでの日常を取り戻すには、まだまだ時間がかかるはずだから。

一方で、多田さんはいつまでも震災にとらわれないように、と前向きな考え方も口にする。

「子どもたちの中には、『女川町の復興のために何かしたい』と考える子もいます。もちろん、それは素晴らしいことです。ただ、被災地で生まれ育ったことにとらわれ過ぎないでほしいとも思っています。子どもたちは可能性に満ちあふれている。だから、もっともっと世界に目を向けてもらいたい。いろんな世界を見た上で、女川町のために何かしたいと思う気持ちは素晴らしいことですが、町を飛び出して行ったって構わないと思うんです。被災地出身だからといって、そのことにとらわれることはないと思います」

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震災の記憶が薄れつつある被災地で、子どもたちに震災と復興を考える課外授業を行う講師

被災者の声に耳を傾けてほしい

そして、被災地からは遠く離れた場所に住む大人たちに伝えたいことがある。それはとても些細で、大事なことだ。

「もしも被災者の方に会う機会があったら、彼ら彼女らの話に耳を傾けてもらいたいと思います。中には、『被災のことを聞いたら申し訳ない』と遠慮する人たちがいます。それはやさしさですよね。でも、被災した人たちは、当時の体験談を語ることで癒やされる側面があるということを、震災を経験した子どもたちから学びました。だから腫れ物に触るように扱うのではなく、ちゃんと耳を傾ける。それだけでも復興支援になると考えています」

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子どもたちに寄り添いながら学習面と心のサポートに取り組む多田さん(写真奥)

女川向学館を運営するカタリバでは複数のNPO団体と共に、「東日本大震災発生時に0歳だった赤ちゃんが無事に二十歳を迎えられるように」というコンセプトで、継続的な支援を行う「ハタチ基金」(別ウィンドウで開く)も立ち上げている。

20年間にわたって支援を行うというのは、子どもたちが大人になり自立できるまで寄り添い続けるということだ。

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女川向学館に通う子どもたちと講師やスタッフたち

東日本大震災から10年。被災地支援は新たなフェーズへと移行している。町の復興は落ち着きつつあるが、人口の減少や高齢化、過疎化など、被災地が抱える課題は大きい。

かつて子どもだった若者たちがリーダーとなり、新しい未来を地域でつくっていくまで、みんなで支え続けることが大切ではないだろうか。

写真提供:認定NPO法人カタリバ

コラボ・スクール女川向学館 公式サイト(別ウィンドウで開く)

ハタチ基金 公式サイト(別ウィンドウで開く)

認定NPO法人カタリバ 公式サイト(別ウィンドウで開く)

連載【災害を風化させない】