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【災害を風化させない】看護師として「精いっぱいできること」を。ボランティアナースの会「キャンナス」が大切にする被災者への寄り添い方

写真:熊本地震の被災者が暮らす仮設住宅に、定期的に訪問しコミュニケーションを交わすキャンナス熊本のメンバー。東日本大震災の被災地で、中学校の音楽教室を拠点に、被災者の相談に乗ったり、食料や物資を配ったり、活動に取り組むキャンナス東北のメンバー。避難所で、ダンボールと紙おむつでトイレを作るキャンナス東北のメンバー。
東日本大震災、熊本地震の被災地で支援活動に取り組むキャンナスのメンバー
この記事のPOINT!
  • 被災地で求められているのは医療支援だけでなく、一人ひとりに寄り添う継続的な支援
  • キャンナスでは、看護師として「精いっぱいできることを」を合言葉に中長期的な支援に取り組む
  • 地域に暮らす人が互いに気を配り、手を差し伸べることができる優しい社会を目指す

取材:日本財団ジャーナル編集部

2021年は、東日本大震災から10年、熊本地震から5年といった、未曾有の被害をもたらした大震災の大きな節目となる年。連載「災害を風化させない」では、復旧・復興に取り組んできた人々のインタビューを中心に、今もなお活動を続ける人々の声を通して、災害に強いまちづくり、国づくりを考える。

今回は、地域に住んでいる看護師が忙しい家族に代わって介護のお手伝いをする訪問ボランティアナースの会を取り仕切る、NPO法人キャンナス(別ウインドウで開く)代表の菅原由美(すがはら・ゆみ)さんにお話を伺う。

キャンナスは、東日本大震災や熊本地震、2018年の西日本豪雨、2020年の熊本豪雨など、甚大な被害をもたらした災害の発災当初から避難所に駆けつけ、被災者の健康面だけでなく精神面もサポート。一人ひとりに寄り添うように支援活動を行ってきた。

在宅介護で家族が抱える負担を減らしたい

日本財団が2020年11月に実施した「人生の最期の迎え方に関する全国意識調査」(別ウインドウで開く)によると、死期が迫っていると分かったときに人生の最期を迎えたい場所として、67~81歳の当事者世代のうち58.8パーセントが「自宅」と回答。また、人生の最期について考える際に最も重視するのは、95パーセント以上の人が「家族の負担にならないこと」と回答した。

自らが介護の大変さを見聞きし、経験しているからこそ、自分の介護で家族に迷惑をかけたくないという声は多い。

図表:自分が最後を迎える際に一番望ましい場所

67~81歳の男女を対象に行った、自分が最後を迎える際に一番望ましい場所を示した円グラフ。医療施設(病院、診療所)33.9%、介護施設(有料老人ホーム、特別養護老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅など)4.1%、自宅58.8%、子の家0.1%、その他3.1%。
一番望ましい場所は「自宅」。続いて「医療施設」「介護施設」と続く。作成:日本財団

図表:自分が最後を迎える際に一番避けたい場所

67~81歳の男女を対象に行った、自分が最後を迎える際に一番避けたい場所を示した縦棒グラフ。医療施設(病院、診療所)67〜71歳13.4%、72歳〜76歳10.2%、77〜81歳6.7%。護施設(有料老人ホーム、特別養護老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅など)67〜71歳28.8%、72歳〜76歳36.1%、77〜81歳40.4%。自宅67〜71歳9.9%、72歳〜76歳9.0%、77〜81歳7.3%。子の家67〜71歳42.6%、72歳〜76歳41.3%、77〜81歳42.4%。その他67〜71歳14.4%、72歳〜76歳12.6%、77〜81歳13.9%。
一番避けたい場所「子の家」。その理由には「家族の負担にならないこと」がもっとも多い

「キャンナスの活動は、介護に疲れたご家族を休ませてあげたいという思いが原点にあります」

そう語るキャンナス代表で、現役看護師でもある菅原さんは、結婚後に仕事を辞めて一度家庭に入り、夫の祖父母や両親の介護を経験。その大変さから訪問看護の重要性を痛感し、1997年にキャンナスを設立する。

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キャンナス代表の菅原さん

「私と同じように、資格を持ちながらさまざまな理由で仕事から離れている、いわゆる潜在看護師の方に向けて『技術や経験を生かして地域の福祉のために活動しませんか』と呼びかけたのが始まりでした」

キャンナスのネーミングは「デキル(Can)ことをデキル範囲で行うナース(Nurse)」の造語。2021年6月時点で全国138カ所に拠点を持ち、活動メンバーには看護師のほか、無資格の人から作業療法士や保育士なども含まれる。

支援対象は、高齢者を中心に障害者や小児など全ての「困っている人」。食事や入浴、排せつ等の介助をはじめ、結婚式や旅行への付き添いなど介護保険制度では対応しきれないケアにも対応する。

有償ボランティアとして、空いている時間内に「できることをできる範囲で」取り組むことをモットーにしており、子育てや仕事と両立しながら活動する人も多い。

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神奈川県藤沢市にあるキャンナス本部

「私が普段からメンバーに伝えているのは、『たくさんの人を助けようと思う必要はない。ご近所にいる一人の人の力になれば十分』ということ。それぞれの自己決定、自己責任、自己判断に任せているので、本部が指示や命令を出すことはありません。その地域にとって何が必要で、どんなサービスが求められているかは、実際にその場所で活動している人が一番理解しているはずですから」

菅原さんを含め、キャンナスのメンバーは、目の前に困っている人がいれば手を差し伸べずにはいられない人ばかり。2011年3月11日に東日本大震災が起こった時も、いち早く動き出し、3月19日から宮城県気仙沼市を拠点に支援活動をスタートした。

目の前にいる人の声に耳を傾け、必要な支援を

気仙沼入りしてからは本部がある藤沢市から毎週2回、被災地を車で往復し、看護師を中心に医療従事者の送迎や支援物資の運搬を行った。避難所では24時間常駐し、一人ひとりに声を掛けて健康状態をチェック。こまめにコミュニケーションを取り、相談を受けたら指導するのではなく、丁寧に寄り添うことを心掛けたという。

仮設住宅への入居が進むと仮設住宅への個別訪問も併せて行い、継続的に心のケアに重点を置いた。延べ1万5,000人の医療従事者を派遣したが、「いつでも人手が足りなかった」と菅原さんは当時を振り返る。

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東日本大震災発生から10日後の気仙沼の様子
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キャンナスが駆け付けた気仙沼市総合体育館では、多くの人が避難生活を強いられていた

「避難所の方たちにとってキャンナスが『保健室』のような存在になれたらいいなと思っていました。メンバーはみんな、トイレ掃除に、粉じん処理、毛布の配付と、やるべきことをどんどん見つけ出しては手を動かし、本当に頑張ってくれていました。キャンナスのメンバーは24時間、それも数週間、数カ月という長期間にわたって、被災地の方と一緒に過ごします。医療行為ができるわけではありませんが、それでも被災者の方たちはキャンナスのメンバーがいることで安心してくださるんです」

キャンナスは、普段の活動では、看護師として「できることをできる範囲で」をモットーにしているが、災害時においては「精いっぱいできること」を合言葉に、被災者の支援活動に邁進する。

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中学校の音楽教室を拠点に、被災者の相談に乗ったり、食料や物資を配ったり、活動に取り組むキャンナス東北のメンバー
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避難所で、ダンボールと紙おむつでトイレを作るキャンナス東北のメンバー

ある避難所では、最後の1人が仮設住宅に入るまで見届けたいと申し出て、避難所が閉鎖するまで支援活動を行っていた看護師も。心細く不安な日々を送る中、その温かさに触れた人々は、どれほど励まされただろう。避難所生活を送っていた人の中には、キャンナスの活動に励まされ、看護師を志した若者もいたという。

キャンナスのメンバーは、日常的に地域で活動をしているからこそ、災害時においても一人ひとりの視点に立って支援を行うことができたのではないか。東日本大震災での経験は、熊本地震や西日本豪雨など各地で発生する災害にも活かされている。

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2016年4月に発生した熊本地震の際もいち早く駆け付けた。写真中央が菅原さん
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熊本地震の被災者が暮らす仮設住宅に、定期的に訪問しコミュニケーションを交わすキャンナス熊本のメンバー(2016年7月撮影)

菅原さんは災害支援における課題として、窓口や手続きの複雑さから行政や医師会とスムーズに連携が取れない点を挙げる。

「東日本大震災や西日本豪雨では、メーカーから寄贈いただいた支援物資が行政で止まってしまい、なかなか届かなかったこともありました。新型コロナウイルスの感染拡大により、改めて行政や医療、保健所の関係性や在り方が注目されていますから、これを機にそれぞれがお互いのポジションで災害時に何ができるかを考え、助け合えるようになれたら理想ですね」

目指すのは、子育ても老後も安心して暮らせる地域づくり

菅原さんに、これからのビジョンについて尋ねると、キャンナスとしての活動を続けながらも、次の時代を生きる若い世代のために時間を費やしたいと語る。

実は菅原さんは、3人の実子に加えて、3人の知的障害のある子どもの里親でもある。

東日本大震災の際にも気仙沼の家族や子どもたちに付き添ってテーマパークへお出かけしたり、伝統行事である「大漁旗よさこい」を開催するために奔走したりと、子どもたちを笑顔にするための活動にも力を入れてきた。

「目指しているのは、お父さん、お母さんだけでなく、地域みんなで子どもを育てていく社会。貧困や虐待などから子どもたちが守られ、子どもの人権が確立される仕組みをつくりたいんです。これからも地域の方のために、手を動かしていけたら」

写真:キャンナス本部で開かれたクリスマス会の様子。キャンナスのメンバー、子どもと一緒に記念撮影
これまでもクリスマスや縁日など地域の子どもを対象にしたイベントを開催してきた菅原さん(写真右から3人目)たち
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菅原さんが籍を置くキャンナス本部では、新型コロナ禍においても「フードバンクふじさわ」のメンバーとしてフードバンクを定期的に開催。多くの地域の子育て世代とつながる機会も増えている

この数年で仮設・復興住宅で暮らす人々の高齢化が進み、独りで死を迎える人が増えているという。地域の人がつながり、世代を超えて「困ったときはお互いさま」と自然に支え合う社会をつくる。それは、みんなが安心して暮らせる未来につながるはずだ。

写真提供:NPO法人キャンナス

〈プロフィール〉

菅原由美(すがわら・ゆみ)

1955年神奈川県生まれ。大学で看護を学び、東海大学病院ICU勤務を経て、結婚・介護のために退職。1997年、在宅治療を望む高齢者や家族をサポートしたいとの思いから、訪問ボランティアナースの会「キャンナス」を設立。東日本大震災の際にキャンナスが行った支援活動は、メンバー間のメーリングリストをまとめた「ボランティアナースが綴る東日本大震災―ドキュメント」(三省堂)にも綴られている。
NPO法人キャンナス 公式サイト(別ウインドウで開く)

連載【災害を風化させない】

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