日本財団ジャーナル

社会のために何ができる?が見つかるメディア

【オリ・パラ今昔ものがたり】過去に学ぶ、歴史を残す

写真
ロンドンオリンピックの開会式(ウェンブリースタジアム) ©PHOTO KISHIMOTO

執筆:佐野慎輔

もしも、その大会が開催されていなかったなら、オリンピックそのものが消滅していたかもしれない。120年を超えるオリンピックの歴史を紐解くと、そんな思いに駆られる大会が存在する。1948年、第14回ロンドン大会はまさにそれにあたった…。

1948年ロンドンは苦境に立たされた

欧州とアジアで発火した戦禍は第2次世界大戦に拡大。1940年、1944年の冬と夏の大会はすべて中止された。1945年、ようやく戦火は止んだものの、間の悪いことに1942年1月、辣腕(らつわん)を奮った第3代会長アンリ・ド・バイエ=ラツールが飛行機事故で死去。国際オリンピック委員会(IOC)は会長不在のまま、終戦を迎えねばならなかった。

戦後も混乱は続き、世界は疲弊していた。オリンピック開催など夢の話だ。しかし、つぎの1948年大会も中止となれば、永遠に消滅しかねない。ジークフリード・エドストローム会長代行(のち第4代会長)を中心にエイベリー・ブランデージ(第5代会長)ら4人の理事がロンドンに集ったのは1945年8月21日。4日間にわたって議論を重ね、1948年大会の開催を決めた。冬は名乗りを上げたレークプラシッドと2都市のうちからスイスのサンモリッツを、夏は米国の4都市(ボルチモア、ロサンゼルス、ミネアポリス、フィラデルフィア)やIOC本部を置くローザンヌではなく英国のロンドンを選び、IOC委員の郵便投票によって正式決定された。

当時参加国の大半は欧州勢。交通事情を考慮、過去の開催経験も理由であった。1928年第2回大会以来の開催となるサンモリッツに不安はない。20年前の経験が生きており、中立国スイスは戦争被害も及んではいない。世界有数のスキーリゾートは宿泊施設が完備、食糧調達も問題はなかった。

しかし、ロンドンはドイツ軍による空襲の跡が市内中心部に残り、食糧事情の悪さに改善は見られず、戦時中同様に配給の日々である。物不足が続き、住宅も足りない。「復旧・復興を優先させるべきだ」と国じゅうに憤懣(ふんまん)が渦巻いたのも当然だろう。

オリンピックの火を消すな!

それでも1928年第9回アムステルダム大会陸上400mハードル金メダリストのデヴィット・バーリーを会長とする英国オリンピック委員会(BOC)は粛々(しゅくしゅく)と準備を進めていく。「こんな時だからこそ、近代スポーツ発祥の地として英国が先頭に立たねば…」との思いからである。

ただ、財政の困窮は如何(いかん)ともしがたい。思いあぐねたBOCは政府を頼った。そして時のクレメンス・アトリー首相に指名されて登場したのが1920年国際連盟創設に努め、同年のアントワープ大会陸上1,500mの銀メダリストでもあるフィリップ・ノエル=ベーカーにほかならい。ノエル=ベーカーは担当相として「オリンピックをロンドンで開く以上、成否には国家の名誉がかかる」として閣内の意思を統一。既存施設の活用で大会経費の節約に励み、軍や大学に人材、物資、施設の提供を求めると共に国鉄や軍需省、食糧省を督励した。そしてサッカーの聖地ウェンブリー・スタジアムを17日間でオリンピック・スタジアムに造り変えた。

写真
フィリップ・ノエル・ベーカー(1959年ノーベル平和賞受賞) ©PHOTO KISHIMOTO

もちろんノエル=ベーカーひとりの働きではない。彼が道筋を描き、英国を挙げた成果である。危機意識はすぐに諸外国にも共有された。スウェーデンが施設改修に必要な木材を提供し、アルゼンチンは馬術競技の馬、アイスランドからはヨットが送られた。不足する食料はオーストラリアやカナダからの援助を受けた。「オリンピックの火を消してはならない」との思いの結集であり、「友情のオリンピック」と称される所以である。

写真
ジョン・コーク選手による聖火点火(1948年ロンドンオリンピック開会式) ©PHOTO KISHIMOTO

歴史から学ぶ

いまオリンピック運動は新型コロナウイルス感染禍に揺れている。戦後の混乱といまの状況を一緒にするわけにはいかないが、2021年夏の東京大会は、世界が英知を結集して“新しい戦争”に打ち勝った祝祭の大会であってほしい。そのためにも日本は一丸となってこの「国難」を乗り切らなければならない。

歴史に学ぶことは少なくない。笹川スポーツ財団(SSF)は『スポーツ歴史と検証』として元アスリートや組織指導者などへのインタビューを2012年から、レガシーに関わるコラムを16年から継続してホームページ(別ウィンドウで開く)に掲載してきた。スポーツ、オリンピック・パラリンピックが「時代を映し出す鏡であり、また、未来創造の示唆に富む」(SSF・渡邉一利理事長)と信じるからである。

ちなみにノエル=ベーカーは「軍縮への貢献」を理由に、1959年ノーベル平和賞を受けた。史上ただ一人のオリンピック・メダリストにして、ノーベル賞受賞者である。

〈プロフィール〉

佐野慎輔(さの・しんすけ)

日本財団アドバイザー、笹川スポーツ財団理事・上席特別研究員
尚美学園大学スポーツマネジメント学部教授、産経新聞客員論説委員
1954年、富山県生まれ。早大卒。産経新聞シドニー支局長、編集局次長兼運動部長、取締役サンケイスポーツ代表などを歴任。スポーツ記者歴30年、1994年リレハンメル冬季オリンピック以降、オリンピック・パラリンピック取材に関わってきた。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会メディア委員、ラグビーワールドカップ組織委員会顧問などを務めた。現在は日本オリンピックアカデミー理事、早大、立教大非常勤講師などを務める。東京運動記者クラブ会友。最近の著書に『嘉納治五郎』『金栗四三』『中村裕』『田畑政治』『日本オリンピック略史』など、共著には『オリンピック・パラリンピックを学ぶ』『JOAオリンピック小辞典』『スポーツと地域創生』『スポーツ・エクセレンス』など多数。笹川スポーツ財団の『オリンピック・パラリンピック 残しておきたい物語』『オリンピック・パラリンピック 歴史を刻んだ人びと』『オリンピック・パラリンピックのレガシー』『日本のスポーツとオリンピック・パラリンピックの歴史』の企画、執筆を担当した。

連載【オリ・パラ今昔ものがたり】

  • 掲載情報は記事作成当時のものとなります。

関連リンク