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【オリ・パラ今昔ものがたり】「祈りの場」としての東京2020大会

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オンラインで開催された東京2020大会Field Cast(大会ボランティア)リーダーシップ研修の様子(2021年4月)。写真提供:日本財団ボランティアサポートセンター

執筆:佐野慎輔

新型コロナウイルスの感染はまだ、収束の出口も見えてこない。しかし、東京オリンピック・パラリンピックは、すぐそこまでやってきた。来日選手団も相次ぎ、すでにボランティアの皆さんの活動も始まっている。

どうか、無事に終わってほしいと願わざるをえない。

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東京2020大会Field Cast(大会ボランティア)共通研修の初日に開催された記者会見の様子(2019年10月)。写真提供:日本財団ボランティアサポートセンター

日本財団がこの東京2020大会に関わったいきさつは日本財団ホームページ(外部リンク)に記され、このコラム(外部リンク)でも取り上げた。

日本財団パラリンピックサポートセンターを設け、日本財団ボランティアサポートセンターも設置。「大会オフィシャルコントリビューター」としてボランティアの研修、育成など支援を続けてきた。コロナ禍で活動も制限される中で、重要な役割を担った関係者の思いはいかばかりだろう。

東京2020大会開幕となるオリンピックの開会式は7月23日午後8時に始まる。1896年から数えて32回目、長いオリンピックの歴史で、開会式は「祝う」かたちで実施されてきた。オリンピックが「祝祭」と表現される所以である。

その祝祭の場で、たった一度だけ「黙祷」が捧げられた大会があった。1994年、ノルウェーのリレハンメルで開かれた冬季オリンピックである。

リレハンメルの3つ前、1984年冬のオリンピックは、いまはボスニア・ヘルツェゴビナの首都となっているサラエボで開催された。当時のユーゴスラビア社会主義連邦共和国(旧ユーゴ)の古都である。

写真:スタジアムで開会式を見守る大勢の観客
サラエボ冬季オリンピック開会式(1984年2月) ⒸPHOTO KISHIMOTO

旧ユーゴは「人種のモザイク」と呼ばれ、6つの共和国からなる連邦国家。ヨシップ・ブロズ・チトー大統領の政治力で辛うじて均衡を保ってきたが、チトーの死後、モザイクのたがが緩み、民族主義が台頭し独立への動きが加速した。

東西冷戦構造終結後の1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニアが相次いで独立を宣言。ボスニア・ヘルツェゴビナも続き、1992年旧ユーゴは瓦解した。

ただ、何事もなく解体されたわけではない。ユーゴスラビア紛争と呼ぶ内戦が、1991年のボスニア紛争、1992年ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争と次第に泥沼化していくのである。

そうした中で起きた悲劇がサラエボ包囲。古都を守るボスニア勢力と包囲するセルビア勢力との武力衝突で、美しかった街は焼かれ壊され、1万2,000人が死亡し5万人が負傷したと伝えられる。歴史的な建造物とともにオリンピックスタジアムも破壊された。

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サラエボ五輪メインスタジアム付近は戦争犠牲者の墓所と化した(2009年) ⒸPHOTO KISHIMOTO

IOCはこのとき、国際社会に働きかけ「休戦」を呼びかけている。

交渉の末、1993年の国連総会で「オリンピック休戦」決議を勝ち取った。しかし、あざ笑うかのようにリレハンメル大会開幕直前の1994年2月5日、マルカレ殺戮が起き、セルビア勢力の攻撃で68人の市民が死亡、2,000人以上が負傷した。

開会式は2月12日、当時のフアン・アントニオ・サマランチIOC会長は恒例のスピーチでサラエボの戦禍に言及、犠牲者への黙祷を呼びかけた。

私もこの時、会場にいた。極北のオリンピック開催地を清冽な空気が包み、鎮魂の祈りは心に響いた。

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リレハンメル冬季オリンピック開会式でのIOCサマランチ会長のメッセージ(1994年2月) ⒸPHOTO KISHIMOTO

1972年ミュンヘン大会でアラブ武装グループによるイスラエル選手団襲撃が起きた際、選手・コーチ11人の犠牲を悼み、黙祷が捧げられた。

その時は会期途中、開会式では初めて。サラエボはサマランチ氏にとってIOC会長として初めて指揮を執った大会。強い思い入れであったように思う。

東京2020大会の開会式は「祈りの場」であってほしい。

開催を1年延期し、世界中に感染が拡大した新型コロナウイルス。その犠牲者に向けられた「黙祷」「祈り」である。

オリンピック自体を傷つかせ、開催か、中止か、世論を分断させたコロナ禍は、「皆さんのために」活動しようと志したボランティアの人たちをも懊悩(おうのう)させた。彼ら彼女らの悩みを払う「祈り」でありたい。

2001年「9.11」世界同時テロから20年、2011年の「3.11」東日本大震災からは10年の節目を迎える年。その犠牲者へ、さらには開催国・日本で続く自然災害の犠牲者への祈りの場であることは、東京2020大会の役割であるように思う。選手たちにはぜひ、鎮魂の行進を望みたい。

27年前のリレハンメル大会とは背景も事由も異なる。しかし、IOCの心を見せる場であると考える。

〈プロフィール〉

佐野慎輔(さの・しんすけ)

日本財団アドバイザー、笹川スポーツ財団理事・上席特別研究員
尚美学園大学スポーツマネジメント学部教授、産経新聞客員論説委員
1954年、富山県生まれ。早大卒。産経新聞シドニー支局長、編集局次長兼運動部長、取締役サンケイスポーツ代表などを歴任。スポーツ記者歴30年、1994年リレハンメル冬季オリンピック以降、オリンピック・パラリンピック取材に関わってきた。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会メディア委員、ラグビーワールドカップ組織委員会顧問などを務めた。現在は日本オリンピックアカデミー理事、早大、立教大非常勤講師などを務める。東京運動記者クラブ会友。最近の著書に『嘉納治五郎』『金栗四三』『中村裕』『田畑政治』『日本オリンピック略史』など、共著には『オリンピック・パラリンピックを学ぶ』『JOAオリンピック小辞典』『スポーツと地域創生』『スポーツ・エクセレンス』など多数。笹川スポーツ財団の『オリンピック・パラリンピック 残しておきたい物語』『オリンピック・パラリンピック 歴史を刻んだ人びと』『オリンピック・パラリンピックのレガシー』『日本のスポーツとオリンピック・パラリンピックの歴史』の企画、執筆を担当した。

連載【オリ・パラ今昔ものがたり】

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