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【オリ・パラ今昔ものがたり】どう評価すればいいのか?

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2020年東京オリンピック開会式。国立競技場上空に打ち上げられた花火。 ⒸPHOTO KISHIMOTO

執筆:佐野慎輔

第32回東京オリンピックをどう評価すればいいのだろう。

新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)により史上初めて1年延期された。2021年に入ってもなお続く感染禍で、緊急事態宣言下での開催となった異様な大会である。それでも北朝鮮を除く国際オリンピック委員会(IOC)加盟205カ国・地域から約1万1,000人の選手たちが東京に集った。

会期中も東京は連日、感染者数が拡大していた。選手、関係者は厳しく行動を制限されたが、バブルはほころびものぞいた。開幕直前、いや閉会式を迎える前日まで「中止」を叫ぶ声が聞こえていたことも異様である。

主要メディアの世論調査

主要メディアは、8月8日の閉会式を前後して世論調査を実施している。

社説で「中止」を迫った朝日新聞は7、8日に電話調査を行い、開催は「よかった」が56パーセント、「よくなかった」は32パーセントだった。推進派の読売新聞は7~9日に実施。開催されてよかったと「思う」が64パーセント、「思わない」の28パーセントを大きく上回った。読売が開幕直前の7月9~11日に行った調査では「中止する」が41パーセントに上ったが、今回「中止したほうがよかった」は25パーセントに留まった。選手の活躍が変化をもたらしたと考えていい。

NHKの調査(7~9日)でも開催について「よかった」26パーセント、「まあよかった」36パーセントと62パーセントが肯定的で、「あまりよくなかった」18パーセント、「よくなかった」16パーセントの否定的な見方を上回った。TBS系のJNN世論調査でも61パーセントが「よかった」となった。

民放テレビでは開催前、ワイドショーを中心に開催に否定的な見解が示されていた。批判した方が、視聴率が上がるという計算があったのかもしれない。

しかし、いざオリンピックが始まり、選手たちの活躍、特に日本選手のメダルラッシュ(金メダル27個と銀14、銅17を合わせた総メダル58個は史上最多)もあって、報道は大いに盛り上がった。

これを「手のひら返し」と批判する向きもあるが、それは当たらない。人の心の動きとは、不安に思うものを不安といい、選手たちの姿に心惹かれれば素直に感動を覚えるのである。

だからこそ開催に理解を示しつつ、同時に問われた政府のコロナ対策には否定的な見方がなされた。

朝日では政府の取り組みは「遅い」が73パーセントと高く、読売でも政府対応を「評価する」が31パーセントと低い。NHKは「安心・安全な大会」だったかを問い、「なった」が31パーセント、「ならなかった」は57パーセント。東京大会開催によって期待されたという菅義偉(すが・よしひで)政権の支持率が上がらなかった理由といっていい。

開催を「失敗」と断じる人もいれば、「成功だ」と言いきる人もいる。オリンピックを拒否する人もいれば、愛好者もいる。スポーツそのものに関心のない人もいれば、高いレベルの選手に憧れ、そこを目指す小・中学生も現れてくるだろう。

人それぞれ、違う見方があっていい。それを分からせてくれたのが、このコロナ禍の大会ではなかったか。

1964年も関心は薄かった

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1964年東京オリンピック開会式。ブルーインパルスにより、東京の青空に描かれた五輪。 ⒸPHOTO KISHIMOTO

1964年東京オリンピックは国民がひとつになった大会だと理想化する人が少なくない。

確かに敗戦の焼土から立ち上がり、開催に合わせて完成した新幹線や首都高速道路と共に、オリンピックは日本の高度経済成長を象徴する一大エポックとなった。

しかし、開催4カ月前の1964年6月にNHKが東京都内に住む1,131人を対象に行った世論調査では、「今度のオリンピックには関心を持っていますか」との問いかけに「非常に持っている」が24.0パーセント、「やや持っている」が47.2パーセントで、「あまり持っていない」20.4パーセント、「全然持っていない」8.3パーセントという結果になった。80パーセントが反対していたという2021年5月の世論動向からみれば、高い数字といえるかもしれない。

ただ、同じ調査での「近頃どんなことにいちばん関心を持っていますか」との問いに、「社会、経済、政治」と答えた人が33.0パーセントで最も高く、「家族、友人など」13.4パーセント、「自分の生活」11.5パーセントと続き、「オリンピック」はわずか2.2パーセントに過ぎなかった。64年当時は関心の低さが今以上だった証左である (以上は日本放送協会放送世論調査所『東京オリンピック』=1967年刊=を参照した) 。

64年大会開催前の人々の関心にいささか拍子抜けの思いもするが、NHKの調査以前は返上論も出るなど、より世論は冷たかったという。

政治家の暗闘による会長、と事務総長の辞任と長く不在が続いた組織委員会の無責任ぶり、未だ発展途上の日本にあって他にやるべきものがあるとの批判、そして開催に便乗した公共事業や補助金の乱発に対し、一方では選手がないがしろにされているとの報道が新聞紙上を賑わせた。

どこか、今日のあり様と似てはいまいか。

開催してよかった

作家の三島由紀夫(みしま・ゆきお)は、1964年東京オリンピック開会式翌日の10月11日付毎日新聞朝刊で観戦記をこう書き起こした。

「やっぱりこれをやってよかった。これをやらなかったら日本人は病気になる」

世界93カ国から5,152選手が集うアジア初の国際イベントが日本中の人々の琴線に触れ、連日の躍動が64年大会を「やってよかった」に変えたといっていい。そして三島のいう「病気」にはならず、日本は成長の階段を駆け上がっていくのである。

もちろん2020大会は、あの当時と明らかに様相が異なる。コロナ感染の拡大は止まらず、経済は停滞、国民に鬱屈(うっくつ)ばかりが広がっている。不信が募り、不満となって会員制サイトSNSなどで反発を募らす人は少なくない。

64年はあきらかにオリンピックが日本を変えた。果たしてこの大会は、日本の閉塞感を払い、何かを変えることができるだろうか。いや、一連の組織委員会の不手際、政府のコロナ対策の不備によって「パラレルワールド」と呼ぶ意識の分断すら招きかねない。

今後、検証が進むと巨額の赤字に対する批判の声も上がるだろう。コロナ禍が拍車をかけた開催都市への負担の大きさ。それが東京オリンピックに対する意識を悪く変えなければよいが…と願う。

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開会式で日本語を交えながらスピーチするIOCバッハ会長。右は橋本聖子(はしもと・せいこ)組織委会長。 ⒸPHOTO KISHIMOTO

IOCはトーマス・バッハ会長の言動で日本の人たちに不信感を植え付けた。本来の姿とは別なところで、オリンピックの印象は地に落ちた。日本だけではなく、世界中にそうした意識が広がれば、今後のオリンピックムーブメントに影響しかねない。

オリンピックはいま節目を迎えている。いま一度、理念を問わなければならない。

オリンピックとは何か?このコロナ禍の開催によって日本の人々が少しでも関心を示してくれたことは悪くはない。オリピックにはさまざまな社会変革の種が存在している。性別、人種、政治体制、宗教、言語など、さまざまな違いを乗り越え、平和を希求するという社会変革である。

東京大会は女性選手の比率が48.8パーセントと過去最多に上り、開会式の旗手は各国・地域男女1人ずつが務めた。重量挙げに女子には男性から女性に性別を変更したローレル・ハバートが出場。性的少数者であることを明かした選手は180人に上る。また、ベラルーシの陸上選手クリスツィナ・ツィマノウスカヤの会期中のポーランド亡命は独裁体制に対する国際社会の意思を示した出来事だった。

そして女子サッカーで見られた国歌演奏時の片膝つきポーズ。言うまでもなく黒人の人権問題に関するアピールである。さらに八村塁(はちむら・るい)と大坂(おおさか)なおみばかりに焦点が当たったが、柔道のウルフアロンや女子バスケットのオコエ桃仁花(もにか)など日本選手団では多様性を象徴する選手たちが躍動した。

こうした現実をテレビやインターネット、新聞を通してだが、目の当たりにできたことは大きな開催の意義だといっていい。

〈プロフィール〉

佐野慎輔(さの・しんすけ)

日本財団アドバイザー、笹川スポーツ財団理事・上席特別研究員
尚美学園大学スポーツマネジメント学部教授、産経新聞客員論説委員
1954年、富山県生まれ。早大卒。産経新聞シドニー支局長、編集局次長兼運動部長、取締役サンケイスポーツ代表などを歴任。スポーツ記者歴30年、1994年リレハンメル冬季オリンピック以降、オリンピック・パラリンピック取材に関わってきた。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会メディア委員、ラグビーワールドカップ組織委員会顧問などを務めた。現在は日本オリンピックアカデミー理事、早大、立教大非常勤講師などを務める。東京運動記者クラブ会友。最近の著書に『嘉納治五郎』『金栗四三』『中村裕』『田畑政治』『日本オリンピック略史』など、共著には『オリンピック・パラリンピックを学ぶ』『JOAオリンピック小辞典』『スポーツと地域創生』『スポーツ・エクセレンス』など多数。笹川スポーツ財団の『オリンピック・パラリンピック 残しておきたい物語』『オリンピック・パラリンピック 歴史を刻んだ人びと』『オリンピック・パラリンピックのレガシー』『日本のスポーツとオリンピック・パラリンピックの歴史』の企画、執筆を担当した。

連載【オリ・パラ今昔ものがたり】

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