日本財団ジャーナル

【オリ・パラ今昔ものがたり】第9回 日本におけるスポーツボランティア

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畳まれた参加各国の国旗を持つスポーツ少年団員(1964東京大会)©PHOTO KISHIMOTO

執筆:佐野慎輔

東京は、1964年以来2度目のオリンピック、パラリンピックを開く。前回大会ではどのようなボランティア活動が展開されたのだろうか?

ボランティアがいなかった1964?

1964年大会の組織委員会は運営の円滑化、競技の進行、選手やメディアなどの支援のため、7,300人ほどの臨時スタッフを採用。主に競技団体の関係者や体育大学、体育学部の学生であり、競技会場などで運営を支えた。東京外国語大学や上智大学、青山学院大学などから語学に強い学生は語学ボランティアとして各会場で通訳業務に当たった。

裏方として大会を支えたのが全国から招集された警察官や消防隊員、そして自衛隊員。

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選手村の警備には当時珍しかった女性警察官も登場(1964東京)©PHOTO KISHIMOTO

各会場の警備や救急、輸送など各方面で活動した。ただ、彼らをボランティアとは言い難い。存在は大きかったが、国の組織の一員としてのオリンピック、パラリンピック・サポートである。ボーイスカウトや1962年に誕生したスポーツ少年団は約1万4,000人が参画。各会場で国旗掲揚、収納を担った。彼らもまたボランティアという範疇(はんちゅう)とは異なるだろう。ボランティア、ましてスポーツボランティアという概念はまだ、当時の日本には育ってはいなかった。

神戸で生まれたボランティア活動

日本で「スポーツボランティア」が生まれたのは1985年に神戸で開かれたユニバーシアード。「学生スポーツの祭典」には106カ国・地域から4,400人の選手、役員が集った。迎える神戸市では競技団体の関係者に加えて、市民の間から大会運営に協力するスポーツボランティアを募った。約8,500人が参加して運営をサポート、大会を盛り上げた。その後の日本における国際スポーツ競技大会運営のモデルといっていい。

「スポーツボランティア」が公文書にお目見えするのは2000年の「スポーツ振興基本計画」まで待たねばならなかったが、その間、日本のボランティア活動に大きな動きが起きた。一つが日本の「ボランティア元年」と言われた阪神淡路大震災である。

1995年1月17日早朝、淡路島北部を震源としたマグニチュード7.3の兵庫県南部地震は震源地に近い神戸市街地などに甚大な被害をもたらした。6,434人に及ぶ犠牲者と神戸の街の変わり果てた姿は世界中に大きな衝撃を与えた。

どこから手を付けたらいいのか、ぼうぜんとする間もなく、全国から支援の人々が被災地を目指した。1997年12月末までで推定延べ180万人、一般の人々が自発的に復旧、復興活動に参画したのである。医療活動、食糧など物資の配給や高齢者の安否確認、避難所の運営、さらに引っ越しや家屋の修理、高齢者や障害者のケアなど活動は多岐にわたった。不幸な事態から発生したボランティアではあったが、それまでの日本には見られなかった姿こそ「日本のボランティア元年」としてのありようだった。

長野で育てたボランティア精神

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雪の中でアルペンコースを整備するボランティア(1998長野大会)©PHOTO KISHIMOTO

阪神淡路大震災から3年、スポーツの世界では長野冬季オリンピック、パラリンピックが開催されている。オリンピックのボランティアは約3万2,000人。リーダーを務めた丸田藤子(まるた・ふじこ)さんは「ボランティアをまとめることの難しさを知った」と語る。

先行した国際大会である1994年広島アジア大会、1995年福岡ユニバーシアードに学び、まとめ役となった。しかし自治体職員を中心としたスタッフとボランティア、有給か無給かという待遇、さらに一般ボランティアと語学ボランティアの意識の違いなど、60人の海外からのボランティアを一つにする作業は課題山積。考え抜いて自治体スタッフを研修し、心を開いていく大切さを訴えた。交流の場として「ボランティアセンター」を開設、みんなが交流し情報を交換し合ったことが高い評価につながったという。

丸田さんは笹川スポーツ財団の取材に、長野のボランティアレガシーを3つ挙げた。

  1. 新しいボランティアイメージの創出
    • 奉仕、我慢という暗いイメージから自発的にという明るいイメージに
  2. ホスピタリティの高揚
    • 10年かけても会えない人との交流
  3. 21世紀型のパートナーシップ
    • 行政スタッフとボランティアが互いを認め合い、パートナーシップを構築

さて、2020東京ではどのようなレガシーを遺すのだろうか?

パラリンピックのボランティアについても書いておかなければならない。1964年大会は自衛隊とボーイスカウト、そして日本赤十字社が支援した学生ボランティアによって支えられた。1998年長野では約3,200人のボランティアが大会運営を支えている。

会場整理と運営業務、情報関連業務に輸送業務など。日本財団パラリンピック研究会の小倉和夫(おぐら・かずお)理事長は、「オリンピックと相まってボランティア精神とボランティア活動を地元に広める大きな機会になったことは疑いない」と説く。長野市がバリアフリー化の先進地域となり、パラリンピックについての社会啓発と障害者理解を促進するNPO法人も創設された。大会開催のレガシーである。

ボラサポセンターに期待する

障害者スポーツ普及にはボランティアの役割が見逃せない。練習会場へのアクセス、使い勝手など、ほんの少しの支えが必要とされるとき、きちんと手を差し述べられる世界でありたい。

日本財団ボランティアサポートセンター、通称ボラサポは日本財団と2020東京大会組織委員会の提携を受けて2017年に創設された。ボランティア活動では長い歴史と経験を持つ日本財団のノウハウをオリンピック・パラリンピックに生かし、フィールドキャスト(大会ボランティア)の育成をサポート。競技会場のある自治体との連携によるシティーキャスト(都市ボランティア)の研修育成を支援する。独自の研修プログラムを開発、障害者ボランティアの育成も手掛ける。ボラサポセンターの取り組みが2020大会を通して新たなボランティア像を描き、日本にボランティア文化を根付かせていくと思う。

主な参考:笹川スポーツ財団日本財団ボランティアサポートセンター

〈プロフィール〉

佐野慎輔(さの・しんすけ)

日本財団アドバイザー、笹川スポーツ財団理事・上席特別研究員
尚美学園大学スポーツマネジメント学部教授、産経新聞客員論説委員
1954年、富山県生まれ。早大卒。産経新聞シドニー支局長、編集局次長兼運動部長、取締役サンケイスポーツ代表などを歴任。スポーツ記者歴30年、1994年リレハンメル冬季オリンピック以降、オリンピック・パラリンピック取材に関わってきた。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会メディア委員、ラグビーワールドカップ組織委員会顧問などを務めた。現在は日本オリンピックアカデミー理事、早大、立教大非常勤講師などを務める。東京運動記者クラブ会友。最近の著書に『嘉納治五郎』『金栗四三』『中村裕』『田畑政治』『日本オリンピック略史』など、共著には『オリンピック・パラリンピックを学ぶ』『JOAオリンピック小辞典』『スポーツと地域創生』『スポーツ・エクセレンス』など多数。笹川スポーツ財団の『オリンピック・パラリンピック 残しておきたい物語』『オリンピック・パラリンピック 歴史を刻んだ人びと』『オリンピック・パラリンピックのレガシー』『日本のスポーツとオリンピック・パラリンピックの歴史』の企画、執筆を担当した。

連載【オリ・パラ今昔ものがたり】

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