日本財団ジャーナル

 【オリ・パラ今昔ものがたり】第10回 パラリンピックが未来を拓く

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スペシャルオリンピック冬季世界大会(2017年オーストリア) ©PHOTO KISHIMOTO

執筆:佐野慎輔

もし新型コロナウイルス感染が「パンデミック(世界的流行)」にならなかったなら、ちょうどパラリンピックが始まっていた。いや1年後の8月24日こそ、第16回東京パラリンピックの開会式であってほしい…。

認知度は高いけれども…

1964年以来、東京では2度目、1998年長野冬季大会を入れれば3度目の日本開催となる。

夏季大会としては世界で初めて2度目の開催都市となる東京。3度開催する国としては米国(1984年ニューヨーク、1996年アトランタ、2002年ソルトレークシティー冬季)に並ぶ。開催という一点でみれば、障害者スポーツ先進国といってもいい。

しかし、その実情はというといささか寂しい。この春学期、講義している2つの大学で「パラリンピック」の認知度を聞いてみた。

パラリンピックを知っているかと聞くと、全員が「イエス」と答えた。では、パラリンピックに出場できるのはどんな障害のある選手かと聞くと、これが怪しい。

聴覚障害者は出場できないと説明すると、驚く学生が少なくなかった(ちなみに質問はリモート授業のアンケート、投票といった機能を使って行い、授業後のコメントぺーパー、リアクションペーパーによる反応である)。

当然「なぜ?」という質問が返ってくる。

パラリンピックは下半身麻痺、車いすを使う選手たちの競技会として始まった。そして「日本のパラリンピックの父」中村裕(なかむら・ゆたか)医師らの尽力で参加できる障害の枠を広げていったことは以前、小欄(別ウィンドウで開く)でも紹介した。

1989年、国際パラリンピック委員会(IPC)が創設された際、聴覚障害者スポーツの統括団体、国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)の参加も決まり、実際、パラリンピック大会にも出場している。

しかし、1995年に離脱。以後、独自の道を歩んでいる。

独自の道歩むデフリンピック

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デフリンピック陸上競技スタート地点のスタートランプ 写真提供:一般財団法人全日本ろうあ連盟

ICSDは1924年、ベルギー、英国、フランスなど欧州9カ国によって創設され、同年のパリ大会を第1回として国際サイレントゲームとも言われる「ろう者世界大会」を開催した。

これ以降、夏季大会は4年に1度開かれ、2001年からは国際オリンピック委員会(IOC)承認のもとデフリンピック(デフ=ろう者+オリンピック)を名乗る。116カ国・地域が加盟。日本での開催はなく、2025年大会開催を目指している。

障害者の国際スポーツ大会としては1960年に第1回大会を開催したパラリンピックよりも歴史が古く、独自路線を歩むのはそうしたプライドによると語られることが多い。

一方、関係者は「デフリンピックの独創性」を強調する。コミュニケーションは全て国際手話によって行われ、スタートや競技開始の合図が視覚的に工夫されている以外はオリンピックと同じルールで運営される。

早い時期から競技性を重視、当初はリハビリテーションの意味合いが強かったパラリンピックとは明らかに一線を画してきた。

障害者の国際スポーツ大会としてIOCが「オリンピック」の名称使用を許可している存在として、他に知的障害者の大会「スペシャルオリンピックス」がある。

こちらは1968年創設。多様性を受け入れ、やがて1つの国際大会となる日が来るかもしれない。

残念ながら日本では、いまだこうした組織への認知度は低く、理解が進んでいるとは言い難い。だからこそ、東京で2度目となるパラリンピックの存在が大きいのだが…。

パラリンピックの成功なくして…

「パラリンピックの成功なくして、2020東京大会の成功はない」

期せず、2人の指導者から異口同音に発言を聞いたことがある。1人は2020大会組織委員会の森喜朗会長。そしてもう1人がパラリンピック支援に力を入れる日本財団の笹川陽平会長である。

2人の念頭には「近年最も成功した」と称される2012年ロンドン大会があった。

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パラリンピック・ロンドン大会開会式(2012年) ©PHOTO KISHIMOTO

ロンドン大会の成功の要因としてパラリンピックの成功が指摘される。

それはストークマンデビル病院でのスポーツによる下半身麻痺者へのリハビリに端を発した歴史があるからというわけではない。英国でも大会前は認知度も低く、理解は足りなかったという。

しかし、蓋を開けてみればチケットは完売し、ゲームメーカーと呼ばれたボランティアを含む大会運営に多くの障害者が参画、スポンサー企業はオリンピックと同様にパラリンピックも支援した。

そして建設業者はアクセシビリティ講習が義務付けられ、施設建設にユニバーサルデザインが広まった。

「Get Set」と言われる教育プログラムは子どもたちにオリンピック、パラリンピックの価値を教え、多様性と共生、障害者への理解を深めた。そして子どもたちから親世代へと理解の輪を広めていった。

市民の障害者への理解の広まり、それが大会を成功に導いた最大の要因と言われる。

さらにパラリンピックのホストテレビ局チャンネル4が制作したCM『Meet the Superhumans』が人々の心を揺さぶり、大会成功に寄与した。チャンネル4は2016年リオデジャネイロ大会でも『We’re The Superhumans』を制作、世界的な共感を呼んだ。

日本でも同様の方策が取られてきた。さて、どこまで理解が進んでいるだろうか? 

少なくともパラリンピックを経て、ロンドンの障害者のスポーツ環境は改善され、スポーツ実施率は高まったと聞く。

笹川スポーツ財団が2019年に行った調査では、約1,500人の回答者の98.2パーセントが「パラリンピック」を知っていると答えた。

一方で障害者のスポーツ実施率(週1回以上)は約20.8パーセントにとどまり、健常者の実施率55.1パーセントに遠く届かない。

「スポーツ環境」が要因に上がる。何度でも書く。パラリンピック開催こそ障害者スポーツの未来を拓くのである。

〈プロフィール〉

佐野慎輔(さの・しんすけ)

日本財団アドバイザー、笹川スポーツ財団理事・上席特別研究員
尚美学園大学スポーツマネジメント学部教授、産経新聞客員論説委員
1954年、富山県生まれ。早大卒。産経新聞シドニー支局長、編集局次長兼運動部長、取締役サンケイスポーツ代表などを歴任。スポーツ記者歴30年、1994年リレハンメル冬季オリンピック以降、オリンピック・パラリンピック取材に関わってきた。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会メディア委員、ラグビーワールドカップ組織委員会顧問などを務めた。現在は日本オリンピックアカデミー理事、早大、立教大非常勤講師などを務める。東京運動記者クラブ会友。最近の著書に『嘉納治五郎』『金栗四三』『中村裕』『田畑政治』『日本オリンピック略史』など、共著には『オリンピック・パラリンピックを学ぶ』『JOAオリンピック小辞典』『スポーツと地域創生』『スポーツ・エクセレンス』など多数。笹川スポーツ財団の『オリンピック・パラリンピック 残しておきたい物語』『オリンピック・パラリンピック 歴史を刻んだ人びと』『オリンピック・パラリンピックのレガシー』『日本のスポーツとオリンピック・パラリンピックの歴史』の企画、執筆を担当した。

連載【オリ・パラ今昔ものがたり】

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