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【オリ・パラ今昔ものがたり】「ARIGATO」は誰に ~選手が魂を吹き込んだ2020大会

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2020東京オリンピック閉会式では1964大会と同じフォントで「ARIGATO」の文字が映しだされた ⒸPHOTO KISHIMOTO

執筆:佐野慎輔

第32回夏季オリンピック東京大会が閉幕した8月8日の夜、メインスタジアムの国立競技場大画面に「ARIGATO」という文字が映し出された。1964年大会閉会式、旧国立競技場の大画面に浮かんだのは「SAYONARA」だった。同じフォントの文字は前回大会へのリスペクトである。

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1964東京オリンピックの閉会式で電光掲示板に映し出された「SAYONARA」の文字 ⒸPHOTO KISHIMOTO

開催してくれて、ありがとう

「ARIGATO」とは、誰が誰に向けて発した言葉なのだろう。NHKテレビの画面を眺めながら、ふとそんなことを考えた。組織委員会から選手たちに、新型コロナウイルスの世界的な流行を乗り越え、「参加してくれて」ありがとうであることは間違いない。

選手たちは口々に、「開催してくれてありがとう」とインタビューに答えた。異様な状況下、開催を許容してくれた日本の人たちへの感謝の念に他ならない。そして献身的なボランティアの人たちに数多くの感謝が捧げられた。そんな選手たちには「よく戦ってくれて」ありがとうと言いたい。

延期が決まった2020年3月以降、選手たちはコロナと共に開催への不安とも戦い、準備を進めなければならなかった。情報が乏しく、練習場所にも事欠く中で体調を崩し、心の不安を訴える選手も少なくなかったと聞く。自ら参加を取りやめた選手もいる。

苦境の選手たちを「オリンピックは特別なのか」「選手たちも中止の声をあげよ」と非難の意見が追い打ちした。会員制交流サイトSNSなどには目を覆いたくなる誹謗中傷もあがった。コロナ禍での鬱屈が特権階級と見なす選手たちに向けられたのかもしれない。

心の平静を保ちながら、体調を整え技術を磨くことがどれほど難しいことか。しかも、たどり着いた東京の舞台には背中を押してくれる観客はなく、沈黙した会場に自分たちの吐息と掛け声だけが響く。こんなはずではない…と思った選手も少なくなかったろう。

よく戦ってくれて、ありがとう

オリンピックは魔法の時間である。たとえテレビ観戦であろうと、選手たちが真摯に競技に打ち込む姿に魅せられる。開催を疑問視していた人までも巻き込んだ共感の輪は、自然な流れだったといっていい。

競泳の個人メドレー2冠、大橋悠依(おおはし・ゆい)は自分をとことん追い込み、練習は裏切らないことを実証してみせた。

強い日本柔道は、73キロ級を連覇した大野将平(おおの・しょうへい)に代表される「礼に始まり礼に終わる」嘉納治五郎(かのう・じごろう)精神を体現した。井上康生(いのうえ・こうせい)監督の教えの結実でもある。

精神的な支柱、内村航平(うちむら・こうへい)の鉄棒からの落下を乗り越えた19歳の橋本大輝(はしもと・だいき)をはじめ平均年齢21.5歳の「体操ニッポン」。美しい体操の伝統は見事に受け継がれた。

中国という難敵に立ち向かった卓球。水谷隼(みずたに・じゅん)・伊藤美誠(いとう・みま)の混合ダブルス優勝は特筆されてよい。悲壮感よりも楽し気な姿に、また卓球ファンを増やすことだろう。

13年ぶりのオリンピックの舞台。ソフトボールは長い年月を乗り越えて連覇し、野球は長嶋茂雄(ながしま・しげお)、故星野仙一(ほしの・せんいち)監督時代からの悲願を成し遂げた。両種目は次の2024年パリではまた実施競技から外れる。決勝を戦い終えたソフトボールの宇津木麗華(うつぎ・れいか)監督と米国ケン・エリクセン監督の固い抱擁が忘れられない。

期待された陸上男子4×100メートルリレーは、決勝で得意のバトンが渡らなかった。選手個々の調子が上がらない中、攻めのバトンを目指した末の失敗を責めてはならない。

陸上女子1,500メートルの田中希実(たなか・のぞみ)、5,000メートルの廣中璃梨佳(ひろなか・りりか)、男子3,000メートル障害の三浦龍司(みうら・りゅうじ)。そしてマラソンの大迫傑(おおさこ・すぐる)も含め、日本の中長距離選手の積極的な走りに目を見張らされた。

選手への思いは人それぞれで異る。Excellence(卓越)・Friendship(友情)・Respect(敬意・尊敬)という「オリンピックの価値」を見せてくれた選手たちを紹介したい。

陸上男子走り高跳び、同じ記録で並んだカタールのムタエッサ・バーシムとイタリアのジャンマルコ・タンベリは最終決着を求めず、2人で「金メダル」を実現した。

陸上800メートル準決勝、最後のコーナーに入る手前で米国のアイザイア・ジュエットの足がもつれて転倒。後続するボツワナのニジェル・アモスが巻き込まれて転んだ。2人は膝をついたまま握手し、再び走り出して並んでゴール。大差はついたが、最後まで走り切った。

そしてスケートボードの女子パーク世界ランキング1位、15歳の岡本碧優(おかもと・みすぐ)は逆転を狙った最後の試技の最後の技で転倒。しゃくり上げながらゴールした時、国を超えてライバルたちが駆け寄って抱擁、肩車して敗者であるはずの彼女を称えた。

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スケートボード最終試技で転倒した後、外国選手に肩車される岡本碧優選手 ⒸPHOTO KISHIMOTO

そのスケートボードをはじめ、サーフィンやクライミングは初めて公式競技となった。スケートボード・ストリートの13歳西矢椛(にしや・もみじ)が代表する笑顔がこれら新しい競技に溢れていた。心の底から技を楽しむ姿に、忘れかけていたスポーツの原点を思う。

ボランティアの支えに、ありがとう

そうした選手たちを励まし、観客に代わり拍手を送っていたのがボランティアである。こんな心温まるエピソードも生まれた。

陸上男子110メートル障害で金メダルを獲得したジャマイカのハンスル・パーチメントは準決勝当日、選手村からバスに乗り間違え、着いたところは競泳会場。選手村に戻り、国立競技場行のバスに乗り換えるとウォーミングアップの時間がない。途方に暮れる彼に、ボランティアの女性スタッフがタクシーを呼び、タクシー代まで渡してくれてウォーミングアップにも、翌日の金メダルにも間に合った。

米国の体操の女王シモーネ・バイルズ復活の裏で順天堂大学体操部の協力も忘れてはならない。バイルズは団体総合決勝で最初の跳馬の演技を終えた後、突如、その後の演技を棄権した。兼ねてADHD(注意欠如・多動性障害)の治療を続けていたが、1年延期による重圧と無観客が影響して心が悲鳴をあげたという。連覇のかかる個人総合も3つの個人種目も欠場、米国では大騒ぎとなった。ところが最終日の種目別・平均台決勝に登場、笑顔で銅メダルを受けた。治療しながら、順天堂大学で練習を続けていたのである。

こうした話は稀ではあるが、ボランティアや日本の関係者が選手を支え続けたことは書き残しておかなければならない。この大会、ボランティアはコロナ禍で思うように実践訓練ができず、不慣れも手伝い、当初はトラブルもあった。職務に忠実なあまり、関係者の輸送であってはならない事故も起こした。

しかし、その献身は選手たちの心に強く残り、「感謝」の言葉となり、大会の好印象につながったことは言うまでもない。

日本財団は日本財団ボランティアサポートセンター(ボラサポ)を設立。ボラサポの職員自らボランティアを務める傍ら、研修に携わり大きな足跡を残した。無観客下、ボラサポが提唱しボランティアが歌う国歌合唱はどれほど選手たちを励ましたことだろう。

こうした体験を今後、どう日本社会に活かしていくか。大会レガシーとしての期待も大きい。

オリンピックの魔法が解けたら…

「無観客で魂のない大会になるかと思ったが、そうはならなかった」

閉会式に先立つ総括会見で、IOCのトーマス・バッハ会長はまるで傍観者のように語った。「魂」を吹き込んだのは、選手たちである。彼らを支えた関係者、ボランティアの人たちに他ならない。さらに言えば、開催を受け入れた日本の人たちの心である。

「ARIGATO」にはそうした思いが込められていたのだろうか…。

オリンピックの魔法はしかし、聖火が消えると共に解けてしまう。コロナと対峙しなければならない現実に戻る。8月24日からパラリンピックが幕を開けるが、オリンピック開催の検証は始めなければならない。

なぜ国立競技場建設の見直しや大会ロゴの取り消し騒ぎ、相次ぐ関係者の辞任などが起きてしまったのか。組織委員会の対応は果たして適切だったろうか。招致時に掲げた「コンパクト五輪」から「復興五輪」「コロナに打ち克った証」「安心・安全」とスローガンが移り変わっていった背景は何なのか。それらが人々の不信感を増幅し、開催への批判につながったことは間違いない。

政治が大きく関与した大会である。政治との関わりはこれで良かったのか?

一方で、スポーツ界の顔は見えなかった。2020大会終了後、スポーツは冬の時代を迎える。物言わぬスポーツ界では未来が見えてこない。選手たちの心の病、SNSへの対応もスポーツ界に課せられた課題である。

「多様性と調和」「共生社会の実現」に代表される基本コンセプトは日本の近未来と大きく関わる。ここで芽生えた意識を大切に育てていかなければならない。もちろん大幅な赤字必須な大会予算、国立競技場の後利用問題など具体的な対応は山積する。

検証と共に、いま一度考えなければならないのはオリンピックの理念である。なぜ開催したのか?在り方はこれでいいのか?

規模の適正、放送権者の影響力、IOCの存在意義も含めて、東京2020大会を検証、総括し未来志向の「東京モデル」を発信することは開催国、開催都市の責務である。

この大会に「魂」を吹き込んだ選手たちのためにも、開催を受け入れた日本の人々に対しても、きちんとした総括と説明が求められる。

〈プロフィール〉

佐野慎輔(さの・しんすけ)

日本財団アドバイザー、笹川スポーツ財団理事・上席特別研究員
尚美学園大学スポーツマネジメント学部教授、産経新聞客員論説委員
1954年、富山県生まれ。早大卒。産経新聞シドニー支局長、編集局次長兼運動部長、取締役サンケイスポーツ代表などを歴任。スポーツ記者歴30年、1994年リレハンメル冬季オリンピック以降、オリンピック・パラリンピック取材に関わってきた。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会メディア委員、ラグビーワールドカップ組織委員会顧問などを務めた。現在は日本オリンピックアカデミー理事、早大、立教大非常勤講師などを務める。東京運動記者クラブ会友。最近の著書に『嘉納治五郎』『金栗四三』『中村裕』『田畑政治』『日本オリンピック略史』など、共著には『オリンピック・パラリンピックを学ぶ』『JOAオリンピック小辞典』『スポーツと地域創生』『スポーツ・エクセレンス』など多数。笹川スポーツ財団の『オリンピック・パラリンピック 残しておきたい物語』『オリンピック・パラリンピック 歴史を刻んだ人びと』『オリンピック・パラリンピックのレガシー』『日本のスポーツとオリンピック・パラリンピックの歴史』の企画、執筆を担当した。

連載【オリ・パラ今昔ものがたり】

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