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【オリ・パラ今昔ものがたり】オリンピックボランティアの始まりは…

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東京2020大会ボランティア集合研修の様子(2019年10月) 写真提供:日本財団ボランティアサポートセンター

執筆:佐野慎輔

予定通りなら、7月24日の東京オリンピック開会式を控えて海外から選手たちが次々と来日。日本中が地上最大のスポーツイベントに盛り上がっていたことだろう。

新型コロナウイルスが恨めしい

「さあ本番」と腕をぶす選手たちと共に、大会組織委員会に属する8万人のフィールドキャスト、開催都市の顔となる3万人のシティーキャスト、合わせて11万人以上のボランティアが空港や市街地、選手村や競技会場などで活発に活動しているはずだった…。

ところが新型コロナウイルス感染が「パンデミック」となり、大会開催は1年間、延期された。登場を待っていたボランティアの意気込みが削がれ、特に大学4年生には恨めしい延期となった。学生ボランティアの中にはこの延期のため、就職して環境が変わり活動できなくなる人も出ている。せっかく意気込んで研修を受けてきた思いはどこにぶつければいい。何か形にしてあげることはできないだろうかと思う。

1948年ロンドン

オリンピックの運営にボランティアが関わった始まりは1948年、戦後初開催となった第14回ロンドン大会だと言われている。一般の人から希望者を募り、役員や係員を補助して競技運営や選手誘導などを円滑に進める役割を担った。このコラム(別ウィンドウで開く)でも取り上げたロンドン大会は戦後の混乱期、人心が荒廃し物のない中での開催。有効国から支援物資が届けられ、準備が進む中でロンドンの人々が大会を支えようと立ち上がった。ボランティアの意味通り、自分の意思のもと、母国の大会成功に活動した人たちである。

それ以前、第二次世界大戦前に開催されたオリンピックでは軍人やボーイスカウトがそうした役割を担ってきた。今日でもそうだが警備を担うのは軍隊であり、奉仕を活動の前面に掲げるボーイスカウトの存在は大きい。1948年ロンドン大会以降も、軍人やボーイスカウトの活躍は続いている。

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陸上競技選手用ボックスを運ぶボランティア(2012ロンドン大会) ©PHOTO KISHIMOTO

こうした軍人たちやボーイスカウトの活躍を現在、われわれが思い描くボランティア像と重ねることができるかどうか、それは分からない。ただ彼らは社会への奉仕者であり、1964年の東京大会はパラリンピックも含めて、自衛隊やボーイスカウトの活動に支えられた。詳しくは後述したい。

「オリンピックボランティア」と報告書に

オリンピックの歴史でボランティアが組織化されたのは1980年レークプラシッド冬季大会を嚆矢(こうし)とする。組織委員会の正式なプログラムとして、通訳や会場整備に当たり、メディアへのサポートなどで活躍した。大会規模が拡大し、参加国・地域、選手が増える中でボランティアの活動の場が広がっていったのは言うまでもない。

1984年ロサンゼルス大会は民間資本を導入した商業化大会の始まりとして知られている。一方で公費を使うことが許されず、節約に節約を重ねた大会でもあった。本来、後者の部分がもっと強調されてしかるべきなのだが、「商業主義のはしり」として批判的に見られていることは残念でならない。このロサンゼルスでも、ボランティアという自発的な参加者が大会成功に一役かった。

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陸上競技の運営にも多くのボランティアが携わった(1984ロサンゼルス大会) ©PHOTO KISHIMOTO

思えば、レークプラシッドからロサンゼルスへ、米国で開催されたオリンピックではボランティアが大きな役割を果たしている。教会への奉仕に始まり、社会奉仕を根幹に置く米国の土壌を思わずにはいられない。

「オリンピックボランティア」という言葉が、報告書で定義付けられたのは1992年バルセロナ大会。商業主義の導入と共に、ボランティアを重要な役割として認知したフアン・アントニオ・サマランチ第7代IOC会長の故郷で開催された大会である。サマランチ会長はその後、大会の閉会式には必ずボランティアに感謝の言葉をささげ、「ボランティアの活躍こそが大会を成功に導く」と称えた。それは続くジャック・ロゲ、現在のトーマス・バッハ会長に受け継がれている。

なぜ、ボランティアに参加するの?

彼らの言葉を「偽善」と決めつけ、組織に組み込まれたボランティアの活動を「労働力の無償搾取」と批判することはたやすい。しかし、なぜ人々はボランティア活動に身を投ずるのだろうか。オリンピックという巨大イベントを支える役目をやりたがるのだろうか。

2000年シドニー大会から、自国に限られていたボランティア参加が海外からも応募が可能になった。成功したとされる2012年ロンドン大会では海外からの志願者や障害者を含めて約7万人のボランティアが活躍。「ゲームメーカー」と称されて大会成功の一翼を担った。

案内ボランティアの手の指図板にタッチする子ども(2012ロンドン大会) ©PHOTO KISHIMOTO

2020東京大会では、フィールドキャスト募集に24万人超もの応募があり、うち44パーセントが海外からだった。中には毎大会ボランティアを続けているつわものもいる。金銭的な見返りもない活動に、自ら望んで加わる。どのような思いがあるのだろう。

日本財団ボランティアサポートセンターの沢渡一登(さわたり・かずと)事務局長はこう見ている。

「ボランティアとは単なる無償の奉仕ではない。理想や目的遂行のための活動です。その後の人生のために経験を積む。自分の飛躍のきっかけを探す。そうしたことを自発的に行うということだと思います」

そうなんだろうな。自発的に何かをして、それが結果として社会に役立てばいい。ボランティアは元来、そうしたものかもしれない。来年夏、躍動するボランティアの笑顔が見られるといいが…この稿続く。

〈プロフィール〉

佐野慎輔(さの・しんすけ)

日本財団アドバイザー、笹川スポーツ財団理事・上席特別研究員
尚美学園大学スポーツマネジメント学部教授、産経新聞客員論説委員
1954年、富山県生まれ。早大卒。産経新聞シドニー支局長、編集局次長兼運動部長、取締役サンケイスポーツ代表などを歴任。スポーツ記者歴30年、1994年リレハンメル冬季オリンピック以降、オリンピック・パラリンピック取材に関わってきた。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会メディア委員、ラグビーワールドカップ組織委員会顧問などを務めた。現在は日本オリンピックアカデミー理事、早大、立教大非常勤講師などを務める。東京運動記者クラブ会友。最近の著書に『嘉納治五郎』『金栗四三』『中村裕』『田畑政治』『日本オリンピック略史』など、共著には『オリンピック・パラリンピックを学ぶ』『JOAオリンピック小辞典』『スポーツと地域創生』『スポーツ・エクセレンス』など多数。笹川スポーツ財団の『オリンピック・パラリンピック 残しておきたい物語』『オリンピック・パラリンピック 歴史を刻んだ人びと』『オリンピック・パラリンピックのレガシー』『日本のスポーツとオリンピック・パラリンピックの歴史』の企画、執筆を担当した。

連載【オリ・パラ今昔ものがたり】

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