日本財団ジャーナル

【オリ・パラ今昔ものがたり】第13回 東京は「臭いまち」だった

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東京オリンピック開催決定祝賀会で挨拶する東龍太郎都知事(1959年) ⒸPHOTO KISHIMOTO

執筆:佐野慎輔

1964年オリンピック開催以前の東京は、世界でも有数の「臭いまち」だった。

こう書くと、きっと驚かれるだろう。

今年こそ新型コロナウイルス感染の影響で姿は見られないが、近年増加する訪日外国人客がまず驚くのが「日本中、どこへ行っても街がきれい」なことだと聞く。

ごみのない街並み、清浄な空間、そしてコロナ罹患者の重症度を低く抑えているマスクの着用や手洗いの慣行といったマナーの高さ。日本が世界有数の「清潔な国」だと信じて疑わない人がいかに多いことか…。

公衆道徳など、あって、ない

しかし、1964年を知る人はそうは言わない。例えば、当時都立小石川高校2年生だった都市政策学の泰斗(たいと)、市川宏雄(いちかわ・ひろお)明治大学名誉教授は雑誌『東京人』2014年第11号でこう話している。

「東京の空は、まだ煙たくて臭かった覚えがあります。排ガス規制もまだない時代でした」

臭かったのは「空」だけではない。ごみ収集が進まず、路上には家庭ごみが長く放置されて生ごみが異臭を放った。そして、遅れる下水処理問題。汚水が流れ込む隅田川では異臭のため、伝統の花火大会もボートの早慶レガッタも中止の憂き目にあっていた。

「街」が臭く「川」が臭く、英米文学者で文藝評論家の中野好夫(なかの・よしお)が「糞尿地獄」と評した状況である。地方小都市の小学4年生だった私も、隅田川畔で鼻、口を押える人々の姿を新聞やテレビで度々見かけたものだ。

公衆道徳など、「あって、ない」時代である。

文部大臣や中央教育審議会会長を務めた森戸辰男(もりと・たつお)が『オリンピックと道徳』と題した論文で嘆いている。日本人は家を出たとたん道路や公園、共同便所などを汚し、鉄道の車内では人に席を譲ることなく喧嘩場のようなありさまであった、と。

いまだ戦後20年にも満たない。高度経済成長が始まってはいたが、国民の多くは生きることに精一杯、マナーなど考えも及ばない時代であった。

外国人に恥ずかしくない東京を

「訪れる外国人に恥ずかしくない東京を」と、国際オリンピック委員会(IOC)委員で東京都知事の東龍太郎(あずま・りょうたろう)を先頭に、東京都が「首都美化運動」を呼びかけたのは1962年1月である。上下水道の整備などに加え、「一千万人の手で東京をきれいに」を標語に公衆マナーの厳守が呼びかけられた

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東京オリンピック開催を控え都内各所で清掃作業が行われた。看板には「首都美化」の文字が見える(1964年)。写真:共同通信社

いわく、「吸がらや紙くずの散らかしをやめる」「家のまわりは毎日掃く」「道路や公園などの木や花をだいじにする」「町中での放尿やたん、つばの吐きすてをやめる」「犬のふんは飼い主がしまつする」「路上に商品や車などをおかない」――いまに通じるマナーでもあるが、当時の意識はより低く、「恥ずかしくない東京」という日本人特有の「恥」の意識に訴えかけた。

また、「外国人」とは欧米先進国を指しており、当時のオリンピックを通した「先進国の仲間入り」という高揚した思いが伝わってくる。

文部省は1964年4月、『社会教育におけるオリンピック国民運動の取り扱いについて』に続いて『学校におけるオリンピック国民運動の取り扱いについて』という通達を出している。

「オリンピックの理解」「日本人としての自覚と国際理解」「公衆道徳の高揚」「健康の増進」を重点目標に、オリンピック開催を縦軸にした全国的な公衆道徳の底上げを狙ったことは言うまでもない。自治体や教育委員会はこぞって「オリンピック読本」を作り、公衆マナーにページを割いた。

大阪府作成の読本にはこうある。

「私達日本人は礼儀正しいという評判を持ちながらまた一面公共物を大事にしないという欠点のあることを外国の人から指摘されております」として注意点を列挙した。

  1. 街路樹、標識、立札等を損じないこと
  2. たんやつばを吐き散らしたり、汚物の不始末などがないように気をつけましょう
  3. 集合や約束の時間を守りましょう
  4. 幼い者を善導してやりましょう
  5. 善意銀行、小さな親切運動、その他の奉仕活動に進んで参加しましょう

栃木県の読本にはこう記載されている。「公徳心を高めること。公徳心は、いろいろな場合に発揮されなければならない。そのうちでも特に目立つところは、道路のきたないこと。公園がよごれていること。街路樹が荒らされていること。酔っぱらいが道路や電車内にふらふらしていること。『たん』や『つば』が道路に吐いてあること。立ち小便すること。これらのことをまず一掃することが最もたいせつである」

下水道処理こそ最大のレガシー

今日の日本の街の清潔さや日本人の公共マナーの高さは、「衣食足りて礼節を知る」状況かもしれない。ただ、官製ではあるが、1964年東京大会を介した「公衆道徳高揚運動」に起因していることは間違いない。

そこに積水化学が開発したふたつきプラスチック製バケツ「ポリペール」が一役かった。

それまでの木製ごみ箱は生ごみの腐敗汁を垂れ流し、臭気をあたりに充満させた。米国のごみ容器をヒントに1961年に完成させたポリぺールは臭気をシャットアウト。東京都のごみ収集方式を変える“革命”を担った。

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当時の「ポリペール」によるごみの収集風景。写真提供:積水化学工業株式会社

特筆したいのが下水処理である。

東京都は1962年、区部100パーセント普及を目指す「長期下水道整備10年計画」を策定。国の「第一次下水道整備五箇年計画」による約1,370億円の事業費を投下し、下水道整備を進めた。

結果、主な競技会場や選手村を置く渋谷区では、招致決定の1959年にはわずか3パーセントだった下水道普及率が、開催年の1964年に60パーセントにまで跳ね上がっている。

やがて隅田川の浄化対策も始まり、1978年には花火大会、早慶レガッタが再開され、支流の神田川にはいまや鮎の姿も見られるという。

1994年度末には遅ればせながら区部下水道普及率が100パーセントを達成。「その基礎となる事業の仕組みが確立したのが1964年東京オリンピック開催とするならば、オリンピック最大のレガシーは下水道と言えるのではないでしょうか」――東京都元下水道局長、前田正博(まえだ・まさひろ)氏の言である(2020年5月、論文『下水道とオリンピック』より)。

トイレから新しいレガシーを

日本財団は目下、渋谷区と協力。「暗い、汚い、臭い、怖い」というイメージを一新、「誰もが快適に使用できる」公共トイレを設置するプロジェクト「THE TOKYO TOILET」を展開している。

建築家の安藤忠雄(あんどう・ただお)、伊東豊雄(いとう・とよお)、隈研吾(くま・けんご)、槇文彦(まき・ふみひこ)氏ら世界的なクリエーター16人が参画。彼らがデザインした公共トイレを2021年夏までに区内17カ所に設置する。

2020年は安藤氏の「神宮通公園トイレ」など7カ所が、約7億5,000万円かけてオープンした。

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安藤忠雄氏が手掛けた神宮通公園トイレ

言うまでもなく2020東京大会を意識したプロジェクト。自作のトイレを視察した安藤さんは思いをこう述べている。

「日本の伝統でもある清潔で美しい国を世界に発信できたら…。トイレがきれいだと人は汚さない。トイレは宝石箱。使う人は宝石だと思います」

世界的なクリエーターの競作になる斬新なトイレは海外でも評判になっている。「新しい公衆道徳が生まれる場」の創出だと期待も集まる。

オリンピックにはそうした新しいレガシーを提供する役割もあると改めて思う。

〈プロフィール〉

佐野慎輔(さの・しんすけ)

日本財団アドバイザー、笹川スポーツ財団理事・上席特別研究員
尚美学園大学スポーツマネジメント学部教授、産経新聞客員論説委員
1954年、富山県生まれ。早大卒。産経新聞シドニー支局長、編集局次長兼運動部長、取締役サンケイスポーツ代表などを歴任。スポーツ記者歴30年、1994年リレハンメル冬季オリンピック以降、オリンピック・パラリンピック取材に関わってきた。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会メディア委員、ラグビーワールドカップ組織委員会顧問などを務めた。現在は日本オリンピックアカデミー理事、早大、立教大非常勤講師などを務める。東京運動記者クラブ会友。最近の著書に『嘉納治五郎』『金栗四三』『中村裕』『田畑政治』『日本オリンピック略史』など、共著には『オリンピック・パラリンピックを学ぶ』『JOAオリンピック小辞典』『スポーツと地域創生』『スポーツ・エクセレンス』など多数。笹川スポーツ財団の『オリンピック・パラリンピック 残しておきたい物語』『オリンピック・パラリンピック 歴史を刻んだ人びと』『オリンピック・パラリンピックのレガシー』『日本のスポーツとオリンピック・パラリンピックの歴史』の企画、執筆を担当した。

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